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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

はじめての古美術鑑賞 絵画の技法と表現 @ 根津美術館

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原宿に出る予定があったので、しばらくぶりに根津美術館に行ってきました。
館内の雰囲気や散策できる庭園もいいですが、展示品など根津美術館らしいなって感じがあり、何はなくとも足を運びたくなる美術館です。

今回の展示は、いろいろな技法から古美術を見るコツを学べる展示。
まずは墨の乾かないうちから筆を重ねてにじませる「たらしこみ」から。「たらしこみ」と言うと俵屋宗達が思い浮かびますが、その宗達の牛の絵や、宗達派の絵師、喜多川相説などが展示。

喜多川相説の「四季草花図屏風」は、四季の草花が斜線状にならぶ構図に配され、装飾性に裏打ちされた構図に、宗達工房の作品らしさが感じられます。けれどつもる雪を、重ねて盛り上げた白で表現したり、細かな葉脈など、写実性ある描き込み。宗達の影響から図様的な装飾性を推し広げていく尾形光琳とは、またちがった方向性での展開がある気がしました。

個人的にですが、宗達工房の作品は長谷川派の雰囲気に似ているような気がします。光林の存在感によって、宗達の脈流は図様的な装飾性を強めていくように感じられるのですが、一方で、そうではないやまと絵の流れというのもあったのかなと思ったりしました。

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喜多川相説筆「四季草花図屏風」(部分)17世紀/雲溪永怡筆 沢庵宗彭賛「山水図」(部分)16世紀 根津美術館
*ハガキも本展図録もなかったのでチラシより。

ついでの展示は山水画に見られる技法「溌墨」、室町時代にさかのぼって雪舟の系統を追います。雪舟に師事した周徳の「潑墨山水図」がとくに良かったです。

水墨画は書道と似通っているという説明がありましたが、絵を描くというより、心を静ませて一気に描くといような、書道の心の持ちように近いのかもしれません。その身体性の反映。古美術は現代美術にも似ているように感じられます。

「たらしこみ」を見た後に「溌墨」を見ると、同じ水墨画でも全くスタイルが違う。風景というより大気を筆にとらえようとしているように思います。北京出身の画家でザオ・ウーキーという人がいますが、彼の絵を初めて見たときに、気そのものを描いているように感じたものでした。

宗達の流れがやまと絵なら、雪舟にあるのは中国山水画の気質でしょうか。しかし、そう思いながら見ていれば、周徳の絵にはある種のでたらめがある。

中国山水画は、実際の風景を見て描かれていて、実のところ目に見えるものに忠実だそうです。しかし日本で山水画を描こうとすると、想像でしか描けない。だからこそ、観念の中で風景を作り上げていく。でたらめとは言ったけれど、それはP.ドラッガーが言ったところの、日本絵画の「デザイン性」につながってくるのかもしれません。

展示後半は仏教美術へと。いわゆるペン入れの状態で完成とする「白描」は、密教などで図像を伝えるために使われたのだそう。こういった技法に比べてみると、「たらしこみ」「溌墨」「外隈」「付け立て」といった水墨画の技法は、情感をあらわす表現なのだと気付かされます。

イスラム教の一部の厳格な解釈で、音楽が罪深いとされることがありますが、感情の揺れが魅惑的であるからこそ、忌避されるものであるようにも思います。

教義を伝えるところに、描き手の恣意的な感情は、たしかに不要なものでしょう。こういった情感を排し、合理的なものだけで表現しようとする欲求も、私たちの中にあるのかもしれない。というより、私が白描画の簡素な表現をとても面白いと思ったのでした。

とはいえ、ほんらい合理的に伝えられるべき情報が、絵画である以上、描き手の「見る人を圧倒させたい」という絵師的欲求で、ごりごり炎など描いてしまって、合理性と情感の混ざり合いでまた新しい味わいが生まれたりして、そんな作品にも面白味がありました。

すっかり楽しんだ根津美術館。次の展示は「中国磁器」、唐物について学べる展示のようです。

琳派などの展示もしばしば企画されてますが、中国美術を手本とした日本の正統派の美術をあつかうときに、根津美術館ならではの信頼感があるように思います。井戸茶碗も根津美術館で見たものは端正なかたちをしていて、そこにこの美術館の感性を見るような気がしたのでした。

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いつものように庭園を散歩して、Nezu Cafeでミートパイを食べて、これピーターラビットのお父さん…とか思いながら。カフェの窓の外は夏の緑。琳派の断ち切りの構図のようで、枠の向こうの”絵”は四季のめぐりで色合いもかわる、素敵な場所です。

夜はパキスタンの伝統楽器の演奏者たちのジャズバンド、サッチャル・ジャズ・アンサンブルの演奏が国際フォーラムの地上広場であるということで、ゆるっと聴ければいいかなあと思いながら行ってきたんですが、遅い時間なのにたくさんの人!

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演奏ほんとうに素晴らしかったです。太鼓(タブラ)の演奏の、緊迫感からの盛り上げ感とか、ギターのおじいさんがめちゃくちゃかっこいいし、演奏してる方も聴いている方も、トランス状態みたいになる瞬間があって、振りしきる小雨も心地よい。

観客も大変もりあがって、ああーこれプライベートライブのチケット買えた人が羨ましい。迷うひまあったらポチッとしておけば良かった。


関連URL

喜多川相説筆「秋草図屏風」に関する一試論
喜多川相説の資料は少ないそうですが、その資料から、宗達との関係性、同世代の尾形光琳との比較で、相説の活動状況や作品の評価をさぐる小論文です。とてもおもしろかった。
宗達が加賀前田藩に出仕していたことと、相説の活動が北陸に多く見られることに関連を見出す一方で、喜多川姓が宗達の類縁の姓にあることから、その位置づけを難しいものにしているとも述べています。また、江戸時代中期からおこってくる博物学的な眼差しをいち早く得ていたところに、相説の評価を見ています。
"金沢地方では江戸時代から嫁入り道具に「たはらやの草花図屏風」を持参することが家格を示すとされ"、その作品が現存しているというくだりも、宗達の影響が北陸に引き継がれていたのかなと、興味深く読みました。
尾形光琳と喜多川相説が互いに影響や関わりをもったのかなどの関心を課題にのこしつつ結びとしていますが、個人的には、京都で展開していく宗達流と、北陸で展開していく宗達流があったのでは、という気がして、その関心が私の中にも課題として残ったのでした。