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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

アルバレス・ブラボ写真展 -メキシコ、静かなる光と時 @ 世田谷美術館

art

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一年ぶりの世田谷美術館。家を出た時は快晴でしたが、砧公園にバスから降り立つと、待ち構えていたような雨。去年も雨に降られたことを思い出しつつ、濡れそぼりながら美術館へ。

アルバレス・ブラボは20世紀に写真家として大きな足跡を残した、メキシコを代表する巨匠。というような紹介に惹かれるものがあって行ってきた写真展でしたが、なんとなく行ったわりに、心に沁み入るものがあって、とても良かったです。

享年100歳と一世紀を生きた写真家は、その長い活動のあいだ主題や手法を変えていきますが、どの時期にも共通するのは、メキシコに生きるひとりの人間として、その風景を見つめる眼差しです。誇張のない等身大の、静かな光と影。

アルバレス・ブラボの写真家としてのスタートは、身近なものの造形を幾何学的に切り取る、モダニズムの写真表現にはじまりました。その造形の切り取りが、メキシコの風景に向けられたとき、何気ない日常をユーモラスに、あるいは寓話的に切り出す、独特の風味が生まれてきます。

その作風が確立してきた1930年代ごろには、鳥を見る少女、日食を見る女性など、主題を枠の外において想像力を喚起させたり、生と死がひとつづきにつながることを感じさせたり…展示会では「詩的」と呼んでいましたが、深くに文学的な流れのある作品が並びました。

労働運動で命をおとした青年と、湧き水をのむ少年の二枚は、写真家がセットで見ることを好んだといいます。会場ではこの二枚が隣りあわせ。まだ若く未来もあったはずの青年と、これからを生きていく少年、その命がどこか見えないつながりをもって、この世界が息づいていることを、願う気持ちを呼び起こされます。

アルバレス・ブラボにある詩性は、メキシコの生死観や神話的なイメージであったり、伝承であったり、彼の生まれ育った土地が抱く言葉のイメージと、その関係性で育まれているように思います。そこが、彼を知っていくだけ深まる魅力ではないかと思いました。

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ファシズム体制を逃れた芸術家たちがメキシコに集ったのもこの時期。アンドレ・ ブルトンレフ・トロツキーなど、彼らとの交流も紹介されます。そうそうたる顔ぶれがおさまった記念写真には、時代の前衛で活躍した人だったのだなあと思わせられます。

1940年代、映画のスチル写真など商業写真も手掛ける一方、国内の先住民族の記録写真も残していますが、一定の評価を得た中で、メキシコに生きる写真家として、社会的な義務も意識する時期だったのかな、とも感じました。

しかし、ライフワークであるかのように、メキシコの町並みを見つめた作品も撮り続け、それらはより俯瞰的な視点へと変化していく。そこにあるのは、メキシコ・シティの街を行き交う人々の重層的な物語。道端で男女がすれ違い、彼らの上には洗いざらしのシーツがたなびいている。それぞれの物語の美しい調べが、その一枚から響いてくるようです。

晩年はメキシコ・シティの端っこの洞穴を家にしたような場所に家族で住まい、庭の写真を好んで撮ったといいます。図録には彼の娘の、父のことを語る文章が載っていて、とても面白くて、図録まで買ってしまったのでした。

娘があやまってオイルをかけてしまい、瀕死になったひな鳥を、砂糖を炒った蒸気で救った話など、薬品にはめっぽう強かったようで、街の片隅で質素に暮らしながら豊富な知識のある芸術家って、もうなんかそそられますよね。最近、図録を買うことを控えるようにしているのですが、この一冊は大切にしようと思いました。

アルバレス・ブラボ写真展 -メキシコ、静かなる光と時
会期: 2016年7月2日(土)~8月28日(日)
時間: 10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館: 毎週月曜日 ※7/18(月・祝)は開館、翌日休館。
会場: 世田谷美術館 1階展示室
観覧料: 一般1000円

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帰りがけに砧公園をぐるっと散歩しました。ポケモンゴーの人たちで混雑してるかな? と思ったけど、とても静かな園内。夕方17時、西日が木々の間から差し込むころ、草木の表情が変わっていくのが見てて、とても楽しかった。写真はあまりうまく撮れませんでしたが。

写真を撮ろうするとき、光と影のバランスの好ましい場面をも探している。夕方の金色の光が草木を照らして、その奥はちょっと暗い。光と影の輪郭が強くなって、対象物がぐっと浮き上がる瞬間は、音楽を聴いているみたいだなと思いました。

晴れていたのに途中で雨が降ってきて、木陰で雨宿りをしていると、少し離れたところで、降りしきる雨に木漏れ日があたって、それこそ光の奏でる音楽のように見えました。雨はすぐにあがって、今度は甲高い野鳥が、呼びかけ合うように声を響かせ、鈴虫の声が辺りに満ちて、視覚的な音楽のあとには、聴覚の音楽が浮き上がってくる。

一年前に来た時も、雨の音を聴いて、しみじみした気がするな。砧公園は音の心地良い公園だなと思ったのでした。秋には志村ふくみさんの展示があるそうなので、ちかくまた行きたいな、と思ってます。