日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画「もしも建物が話せたら」 @ 逗子 Cinema Amigo

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都内では渋谷アップリンクでも上映していたのですが、仕事終わりに行ったところすっかり寝入ってしまって…断片的に面白かったので、DVD出たら買いたいなと思ってたけど、そもそもDVD出るのかな、と、まだ上映予定のあった逗子の映画館まで足をのばした次第です。

逗子の映画館「Cinema Amigo」、よく知らないまま行ったのですが、スクリーンのあるカフェみたいな。めっちゃお洒落。30分前から入れて、ドリンク一杯ついてくる。ソファーに沈むと寝そうな気がして、カプチーノを注文する。他のお客さんはお酒を頼んでる人が多かったかな。

建物が自分語りをするコンセプトのオムニバス作品6編。一作品ずつ異なる監督で、スタイルもぜんぜん違う。ナレーションで物語を進めていく淡々としたつくりだけど、建物から起こすイメージは三者三様で、とてもおもしろかった。メモがてら感想を書いておきたいと思います。

うろ覚えなのに、きどってセリフを引用しているところなどは、じっさいカッコいい言葉だったもので、大目にみてください。

建築という理想郷 ベルリン・フィルハーモニー/ソーク研究所

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監督:ヴィム・ヴェンダースベルリン・フィルハーモニー> ©Wim Wenders

外側から見たときには小さく見えても、中に入ると、空間が開かれていることに気づくだろう。私は、"開かれた社会"というユートピアの実現なのだ――

というような朗読が印象的だったベルリン・フィルハーモニー。設計者はハンス・シャロウン、ナチの時代には隠遁しましたが、戦後は温めたアイデアに着手する機会にめぐまれました。

五芒星を3つ繋いだデザインは、空間の有機的なつながりを実現しています。ステージがホールの中央にあるのは、そこが魂の宿る場所にふさわしいから。客席は丘陵地に広がるぶどう畑のよう。観客はそれぞれの席からステージを見る。一様でないものの見方をうながしています。

コンサートホールは戦後の焼け野原に着工されました。街の東側を刺激するために必要とされたユートピアの象徴だったといいます。翌年、すぐそばにベルリンの壁が築かれる一方、ナショナルギャラリーが建てられ、いつしかこの地区はベルリンの心臓部となったのでした。


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物質とは消尽した光だ。私も、そしてあなたも。

ベルリン・フィルハーモニーの理想郷は建物の内側に出現しますが、ソーク研究所は、建物をとりまく環境とのつながりを意識しています。空気を循環させ自然光を取り入れる。広場ではなく庭をつくるという発想。ゲニウス・ロキとは土地の霊との意味で、空間にそのような主体性があるからこそ、感動や官能が生まれるのだといいます。

間仕切りを取り払える空間は、用途によってレイアウトを変えることができる、柔軟性のある構造です。合理性を極めると空間は閉じてしまう。空間を外界に開かせてゆくデザイン。

設計者のルイス・カーンの言葉はほとんど哲学のようで、建築とは彼の中の、思考の再現にも感じました。「物質とは消尽した光」の言葉の美しいこと。ルイス・カーンは建物(物質)を作ろうとはしなかったのでした。光をデザインするために建築があったのです。きっと。

社会的なユートピア、あるいは建築家の抱く深淵な哲学。建築とは理想の再現なのかな、なんて思ってしまう2つの建築でした。


未来へのイメージ ハルデン刑務所/ポンピドゥー・センター

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監督:マイケル・マドセン ハルデン刑務所 ©Heikki Färm

ここへ来るあなたが、誰であろうと構わない。私を通り抜けるとき、人は二種類に分けられる。囚人か、そうでないか――あなたが何者なのかは、私が決める。

6つの作品のなかでいちばん好みだったのが、ノルウェーにある「世界一人道的な刑務所」ハルデン刑務所の物語です。社会的制裁ばかりではなく、更生と隔離の機能も役割のひとつである刑務所。その更生の面に重きをおいた施設とでも言えましょうか。

私室の窓から明るい日差しが差し込む。施設内にはサッカーやバスケットコートがあって、礼拝堂、お店、まるで小さな町のよう。面会にきた家族と一泊できる戸建てもある。囚人と看守がくつろいで過ごす。支給されるのは最低限のものだけど、健康で文化的な生活は保証されている。

一方で麻薬犬の室内検査や、看守が重装備で出動することもある。ルールを破った場合のペナルティ。監視の目にさらされた生活。はたしてここはユートピアか、それともディストピアか。

「私は外の世界を知らない」と繰り返すナレーションに、ふとあるイメージがおこります。

資本主義社会その進化の袋小路にはまって崩壊した"外の世界"。文明社会は刑務所内だけに残った。かつて囚人と看守であった記憶は薄れ、人々は厳格な規律の中で生きる。しかしひとりが「外の世界を見てみたい」と言い出して…「外のやつらは自滅したんだぞ。それでもお前は自由を見てみたいと?」

などと、そんなことを考えて楽しかったハルデン刑務所編でした。


私は20世紀の記憶だ。そして未来へのイメージでもある。私は古代都市に係留する飛行機だ。芸術家たちがそうしてきたように、私もまた偉大な文化的実験のひとつだった。

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監督:カリム・アイノズ ポンピドゥー・センター - Wikipedia Jean-Pierre Dalbéra from Paris, France

ハルデン刑務所の、ポリティカル・コレクトネスをよく解した、しかしどことなく情緒に欠けたAIを思わせるキャラクターとは打って変わって、パリの文化施設ポンピドゥーセンターは、謙虚で気が優しい。人々を迎える朝には気を張り、彼の内部に驚く老婦人に密かに喜び、皆が家路につくのを見送って安堵する、繊細なポンピドゥーセンターです。建物だけど。

彼の慎ましやかな言葉で紹介されていくポンピドゥーセンターの施設内。日本に貸し出しされる美術品への妬きもちを告白したり、人びとが今日は楽しめなかったらどうしようと不安になったり。どうしてそんなに謙虚なの!

次第に気づかされるのは、カメラがその俯瞰の像を映していないことです。明け方の街、ガラスチューブをくぐるエスカレーター、イベントごとレイアウトを変えるホワイトキューブ、来場者を外に吐き出したあと、落とされる照明。カメラがぐっと引いて、映しだされる夕闇のパリと、そこにたたずむ大きな影。

ラストにただ一度映るポンピドゥーセンターの無骨な姿に、つい愛おしくなってしまいます。
歴史ある街に現れた前衛的な建築に、当初は賛否もあったといいます。どこか謙遜したナレーションは、そんな事情を反映したのかな。未来へのイメージという過去の遺産。それでも月日とともにパリに暮らす人びとのアイデンティティになり、心の風景となっていくのでしょう。

詩的な建築 オスロ・オペラハウス/ロシア国立図書館

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監督:マルグレート・オリン <オスロ・オペラハウス > Operahuset i Oslo – Wikipedia Rafał Konieczny

建築家の心のうちにある理想を描き出したベルリン・フィルハーモニー、ソーク研究所。物語性のあるハルデン刑務所、ポンピドゥー・センターときて、オスロ・オペラハウス、ロシア国立図書館の二作は、とても叙情的。

「私はただの家(ハウス)」と語るオスロ・オペラハウス。しかし、そのただの箱の中で、ダンサーたちは血の滲む練習を重ね、舞台を披露し、彼らに憧れる子どもたちがいて…そんな人々の行きかいが流れる血になり、建物を艶めかしく息づかせるのです。

バレリーナやオペラ歌手の練習風景には、舞台の迫力とはちがって、リラックスしながらの美しさがあります。ひとたび舞台となると、演者の人生そのものを賭けた凄みがある。

建物は長くそこにあり、通りゆく人々の命ははかない。ましてや舞台の輝きは一瞬のもの。そんな生と死、光と影がぴったり背中合わせにあるイメージを、ガラスの建築に描き出しています。

また書きすぎてしまった。ロシア国立図書館は寝…全部書くのも何なので、割愛しようかな。
建物をテーマに物語や詩をつむぎだす「もしも建物が話せたら」は、何回も繰り返しみたい作品だなあと思いました。DVD出ないかな。

逗子の映画館ほんとうに素敵な場所で、20席ほどの客席は開始前までにうまってしまいました。作品を選びつつ、また行きたいな。なにせ家からは往復1000円してしまうので、IMAX3D見に行くと同じくらいの贅沢になってしまうのですよ。

映画も映画館も堪能できた日曜日でした。

5/29(日)〜6/4(土)15:00
6/5(日)〜6/11(土)20:00
※6/10(日)はイベントの為休映となります。
もしも建物が話せたら/Cathedrals of Culture 監督:ヴィム・ヴェンダース
2014/ドイツ・デンマークノルウェーオーストリア・フランス・アメリカ・日本/165min
http://cinema-amigo.com/movie/000487.html

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