日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

旅日記 宮古島・水紀行

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5月の連休は宮古島へ。本島といくつかの島々は、そのほとんどに橋がかけられ、それぞれの島をめぐる楽しみのある宮古島諸島。大橋をわたるドライブは去年のうちにすませてしまったので、今年は趣向を変えて、水をテーマに島めぐりしたいな。

そんなわけで、青い海と空をカットして少々地味な写真映えですが、宮古島と水をめぐる旅の記録。まずは名称は知っていても、どういうものかは知らなかった「地下ダム」をたずねます。

福里ダム(地下ダム資料館)

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雨の多い宮古島は、それなのに干ばつに悩まされる年が多く、それというのも島の地質に原因があるのだそうです。

島を覆う赤土と琉球石灰岩は水を通しやすいため、雨水は大地にしみこみます。地中深くの粘土層が受け皿になりますが、雨水はこの粘土層をつたって、海へと流れ出てしまうのです。そこで地中に水をせきとめる壁をつくって、水を保有させようと考えだされたのが「地下ダム」です。

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ダムといっても水は琉球石灰岩の中にたまるらしく、目に見えないダムなんだそう。代わりに水位・水質測定用のミニダムを見ることができます。

地下ダム資料館も立ち寄りました。地層にも地形があって、地下の谷間に雨水が流れ込み、海へと向かう。その谷間のあたりに止水壁をつくるのです。大地の下にある水流の存在を思って、わくわくしました。

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資料館では、世界の水と宮古島の水の比較が面白かったです。宮古島の水はミネラル豊富な硬水ですが、近年、農薬や肥料などの使用で湧き水は飲めなくなっているのだそう。地下ダムの水は農業用水なんです。実際のところ生活用水には軟水がいいような気もしますが。

そんな特殊な宮古島の水事情が分かる資料館。展示は少ないですが、楽しかったです。

保良井(ぼらがー)

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地下水の豊富な宮古島には、いたるところに湧き水をくむ水汲み場があります。
しかし今日、水の湧き出ているところはだいぶ減っているようで、今回の水場めぐりでこんこんと水の湧き出ていたのは、この保良井くらいでした。

保良井も20年ほど前に観光地開発を受け、水汲み場を一部残しながら、残りの部分はプールになってしまいました。海までくだる急な斜面には、車が通れるように道がしかれ、この連休の間もカヤックでいく鍾乳洞ツアーなどで賑わっているようでした。

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昔はこの水場で馬の体を洗ったりしたのだそうで、上水場ができてからは、子どもたちの水遊びの場となってきました。今は遊泳も禁止で、海の賑わいをよそにひっそり静かな保良井です。

湧き出る水は豊富なようですが、昔に比べると水量は減っているのだとか。それでも水の色はとてもきれい。朝早く行ったので、より爽やかに感じられた湧き水どころでした。

友利のあま井(あまがー)

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自然洞窟の奥に水源があって、20mある洞窟を降りるのに石段が作られています。

掘られた年代は不明。友利・砂川の元島(旧集落)の人々が使っていた洞泉で、明和の大津波ののちに人々は高台へと移動して、友利・砂川の集落ができたのだそうですが、その後も彼らの生活を支え続けたあま井でした。

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この日はよく晴れていて、洞窟の上に開いた穴から木漏れ日が差し込んでいました。水場は深くにあって、明るい午前中でも先が真っ暗で見えないほど。当時は松明などを使ったのか、明るいところまで、もっと水の量があったのかな。

岩をつたう雫が水たまりにはねて、時おり微かな音を響かせます。しんとした洞窟をあがると、目の前にはイムギャー・マリンガーデンの青い海。眩さに翳りがともなうように、たしかにある歴史の重み。今日までつないできた命の、細くたくましい糸を思う一瞬でした。


上比屋山遺跡(ういぴゃー山遺跡)

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15〜16世紀の集落跡で、11ヶ所の御嶽(拝所)があり、神聖な場所とされているのだそうです。調べていて面白かったのは、遺跡内から発見された陶器には中国の青磁が多く、貿易が盛んであった説、倭寇の根城説などいろいろあるみたいです。

車を降りると、あたりに満ちる草木の甘い香りに気がつきます。木肌のはなつ瑞々しい香り、金木犀に似た花の香り。ほんの微かな匂いが濃縮されて、まさに森林浴という感じ。野分け道をどんどん奥に入っていくのは、ちょっとトレッキングに似てるかな。

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ここは実は、今回いろいろいった中でいちばん楽しかったところ。とは言っても、べつだん何があるわけでもないのですが…たとえば、蝶をおいかけるのが好きなおじさんとかは、もう絶対たのしめるはず。あと写真撮るのが好きなひととか。

いくつかある御嶽は、琉球石灰岩の石積みに藁葺きの屋根という古い拝所の再現らしく、時おり地元のひとが手入れをしているのだそう。御嶽はとても神聖な場所なので、「外から見てもいいけど中には入らないでね」と案内のひとに言われたりして、なんとなく写真も避けてしまった。

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草むらにはられた蜘蛛の糸は、風にゆられて踊る木漏れ日をはね、きらきらと光っていました。その様子が、音楽を奏でる弦といった風で、光の調律を聴くような美しい光景。何枚も撮ったけれど、なかなか写真にまでは残せないですね。

行く先々に蝶が舞っていました。いちばん多いのは黒い羽のオナガアゲハ。モンシロチョウもちらちらと飛び交って、マダラチョウは二羽でダンスを舞う。綺麗な色なのになかなかシャッターチャンスをくれないアオスジアゲハは、気が弱いのか、ひとところにじっとしません。

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生き物たちの命の賛歌を聴くような上比屋山遺跡でした。

津波で身寄りをなくした男性が、竜宮の使いの女性と結ばれて、7男7女に恵まれたのち、妻は時期が来たといい、津波よけの祭事を伝えて海中へ帰ったという伝説のある上比屋山。

このあたりは明和の大津波で島内でも大きな被害を受けたそうで、人々はこの上比屋山に逃れて助かったといいます。自然災難から守ってくれる場所としての象徴なのだろうと思いました。

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近くに遠見台もあるそうですが、地元のひとじゃないと分からないそうで、代わりに途中の開けた場所からイムギャーを望む。木陰の涼しさにひたっていても、少し目を外に向けると、まばゆい海が広がっているのでした。

高腰城跡(たかうすじょう跡)

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水どころと少し離れてしまってますが…ちょっとついでということで。観光地でもないのですが、宮古島に戦国時代があったなんてと驚きがありました。

時は13〜15世紀ごろ、首里王府の勢力が伸びる前の宮古島は、各地に勢力者がたち、対立したり同盟を結んだりしていたようです。高腰按司は勢力の弱い内立按司を後ろ盾していたのですが、この内立按司が与那覇原軍にそそのかされてしまうのです。

内立按司の宴に招かれた高腰按司が異変に気付いたときには遅く、すでに城は与那覇原軍の攻めにあってしまったのでした。

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那覇原軍はきわめて好戦的であったようですが、その拠点は明らかではないそうです(倭寇説もあるようです)。宮古島統一の一歩手前までいきますが、仲宗根豊見親との戦いに敗れて、宮古島各地に離散したとの話。紐解くとなかなか面白そうな宮古島史です。

今はすっかり草の生い茂る荒地となっていますが、潮風にふかれつつ、この土地に流れた一千年ほどの時を思うのも、感慨ぶかいものがありました。

大和井(やまとがー)

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ここまで見てきた城辺地区は、宮古島でも古い歴史のある土地ですが、旧平良市のあたりは港町として栄え、権力や文化の中心地でありました。

宮古島の水汲み場といえば大和井で、国の史跡にも指定されています。
飛石をわたって奥に役人専用とされる石造りの井戸が出てきます。手前にも小さな洞穴があったので、手前は庶民、奥は役人という使い分けだったのかもしれません。

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18世紀初めごろに掘られたと見られており、島津の琉球攻略が17世紀初めで、これにつき動かされるように支配を強めた首里王府の影を感じさせます。城辺地区から平良地区へと視線を変えると、時代がくだって、権力のピラミッドがくっきり形をもつのを見るようです。

他の洞窟井戸にくらべて細かな石積みで形が整えられていて、技術の高さゆえの美しさが、どうも皮肉なところでした。

盛加井(むいかがー)

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大和井からそう遠くない場所に、14世紀から上水場の整うまで、土地の人々に長く使われてきた盛加井があります。住宅地の中の木々のこんもりした場所にあって、ちょっと驚きました。

水汲み場までの石段は103段もあるのだそう。この日は午後に雨が降って、ようやく見せた晴れ間に行ったので、滑らないか足元はらはらしながら下りました。

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石段は踏みしめられ、角がとれて丸くなっています。草木に覆われて、今はすっかり忘れさられた場所といった風情。光の入らないあたりは岩肌ばかりの石段で、雨のあとということもあって、雨だれがぽつりぽつりと足元をぬらします。

暗がりの向こうに湧き水の影がほんのすこし見えました。夕暮れともなって、寂しい雰囲気のある盛加井でした。

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洞窟井戸の中央をつかさどるように、一本の木が枝を広げているところに、蔦のつるやシダ植物が絡みついて、ジブリ感ありました。晴れた日に来たかったなあ。

前場海岸(マイバー海岸)の湧水

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水をめぐる旅はふたたび城辺地区へもどって、東平安名崎の根元、保良元島のあたりにある湧水をたずねます。

ここは観光地や史跡ではなく、この場所におりる道も今は木々が生い茂って危険なので、詳細はちょっと伏せますが、湧き水を海へと誘導して、小さな滝のようになっている場所があります。

とは言っても、昔はこうした湧き水でできた小さな滝は、その辺にぽつぽつあったりして、とりたてて名所あつかいするものでもなかったようです。大きなものでは保良海にあるポイントで、パンプキンホールとよばれる鍾乳洞の途中で、水量が多い時に見ることができます。

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水の島というイメージは、湧き水が海に流れ込むところに感じるような気がします。大きな循環の中にある小さな島。そんな中にささやかに歴史をつむいでいく。
保良元島のような、人の手のあまり入っていない風景を見ると、千年二千年前の人々も同じ景色をみたんじゃないかなと思って、感慨深くなってしまうのです。


水場&史跡めぐり マップ

参考URL

ダム随想 〜 宮古島の地下ダム - ダム便覧

宮古島の歴史 1609年(文保元年)〜1771年(明和8)

倭人集団与那覇原③テラフグ御嶽 : 琉球王国~その真実の歴史

沖縄の歴史