日々帳

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映画の感想 - 光りの墓 

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© Kick the Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / GeiBendorfer Film-und Fernsehproduktion / Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)《「光りの墓」パンフレット》

国際的美術家でもあるタイの映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンの新作「光りの墓」が渋谷シアター・イメージフォーラムで封切りとなりまして、花曇りの土曜日に行ってきました。

タイのチェンマイを拠点に活動するアピチャッポン監督ですが、軍事政権下のタイでは、いま自由に表現することが難しくなっているんだそうです。

タイの若い人たちが抗議活動でみせた三本指を掲げて立つパフォーマンスは、アメリカの映画「ハンガー・ゲーム」由来の、独裁政治に抵抗することを示すためのジェスチャー。しかし、軍政権はこのジェスチャーを五人以上で行った場合、拘束するという対応にでました。

こうした空気はタイのアートシーンにも影響を与えているといいます。政治的な内容ではなくても、軍政府の監視を受けてしまう。その環境下で何をどう語っていくべきか。

「光りの墓」は、こうした政府の表現への締め付けが厳しくなりつつある中で制作されました。監督は国内で作品を発表することはないだろうと話しています。タイ本国で上映することが困難だったこの作品から、しかし政治的なニュアンスはほとんど感じられません。

舞台となるのはタイの東北部のイサーン地方。ここはかつてクメール人の王国のあった土地で、アニミズムの色濃く残る場所でもあります。その土地に立つ廃校になった古い校舎を仮設病院にして、眠り病という原因不明の病にかかった兵士たちが収容されている。

彼らはベットのうえで何日も眠り続けていて、たまに目を覚ましても、またすぐ寝入ってしまいます。食事中でも、外出してても、突然に。かつてその校舎で学んだ女性ジェンは、病院に配属された元同級生を訪ねたことをきっかけに、身寄りのないひとりの青年の世話をし始めます。

やがて彼女のまわりで、おかしなことが次々と起きてゆく。見知らぬ若い女性は、あの兵士たちのことは諦めたほうがいいわよ、と彼女に話しかける。あの病院の下は王宮の跡に立っている。地下ではまだ王たちの戦いが続いていて、戦いのためには兵士たちの生気が必要なのだと。

身寄りのない兵士イットは時おり目を覚まして、ジェンと心を通わせていきますが、その中でぽつっと「僕はまだ眠っていたい」と話すのです。

アピチャッポン監督は、自ら夢の中に閉じ込められた心地よさから、逃避することで生き延びることもできるのではないかと思ったのだそうです。たとえば作中、映画館で予告を見ていて、本来なら王室を讃える歌が流れるところで、娯楽作品で流すことができないことから、館内は無音になります。

それは語らないことで、今起きていることを語ろうとしているのかもしれません。「まだ眠っていたい」と語る兵士の姿を描くこともまた、タイの現状に対する返歌であったかもしれません。

しかし彼とは対照的に、主人公のジェンは「私はもう目覚めたいの」と答える。というのも、彼女自身この仮設病院に通ううちに、次第に夢と現実の境界があいまいになっていくから。

私が映画館に行った日は上映初日でして、幸運なことに、アピチャッポン監督とのスカイプを通してのQ&Aイベントがもようされたのでした。「見終えたばかりで、(不可解なあまり)みなさんゾンビのようになっているのではないでしょうか」と、冗談をまじえた挨拶ではじまったQ&Aでした。

ここから先は内容の解説にふれるので、もしこれから見に行く人で、自分の印象からの感想を大切にしたい人は、この辺でタブを閉じて、まずは映画館へ行ってくださいな。

以下はQ&Aの内容をうろ覚えの記憶から書き起こしたものです。イベントの一部はすでにまとめられていたのですが、私の聞き取ったものと多少違いがあるように感じたので、自分なりにまとめました。文脈や言い回しなどは適宜調整しており、実際の内容と異なるところもあると思います。
 

途中ミジンコが空をよぎるシーンがありました。あの映像の意味を教えていただけますか。

あのシーンでは、この映画がイリュージョンであることを示したかったのです。夢を見ているのか、現実なのか分からなくなってゆく、そのもっともピークにあるシーンだとも言えます。
この映画は夢と現実の境界が曖昧になる、幻のような出来事を扱っていますが、じつは映画そのものがイリュージョンなのだということを感じてほしいと思います。

これまで監督の作品を三作品見ていて、どれも心地よく途中で寝てしまいます。画面にさまざまなイメージが現れる、その多様性をありのままにする自由さに感銘を受けました。三作品には共通するテーマがあるように感じたのですがいかがでしょうか。

3つの作品ではそれぞれ異なる事柄を扱っていますが、私の作品では、しばしば相対的な事柄が描かれます。たとえば、歴史あるものと新しいもの、夢や現実、生や死。その境界線の周辺を意識が踊るように行き来する、という点では同じだと思います。また、記憶について描いているという点でも、共通しているかもしれません。

(眠り病の治療装置の)青やピンクのライトの色には、どんな意味が込められているのでしょうか。

眠りについての映画を思いついてから、いろいろ調査しました。MITの教授の話で、光で脳を刺激することで、特定の記憶を呼び起こそうとするものがあります。言い方を変えれば、それは意識を捏造しているとも言えます。あの光は兵士たちに影響を与えていますが、それは映画を見ている皆さんも同じなのです。つまり映画も人工的なもので、私たちの意識に影響を与えているということです。
今の時代は編集の段階で、暖色から寒色へなど、映像の色味を調整することが比較的簡単にできますが、たとえばこの映画では時間の経過とともに画面の色味を変えています。注意深く見れば、この映画が人工的(≒作為的?)なものであることに気づくことができると思います。


アピチャッポン監督のコメントを聞くと、ジェンの夢と現実の境界が曖昧になっていく、そのこととほとんど同時に、私たちもまた監督のしかけたイリュージョンに取り込まれていると気づかされます。

この作品の魅力は、イマジネーションの海に漂う心地よさにあります。しかしそのイマジネーションは、どんな物語を浮かび上がらせるか人それぞれとはいえ、たしかな構造をもっているのです。

たとえば、木々の揺らぎと鳥のさえずり、院内を歩き回る鶏の親子は、正しく循環している生命である。一方で旋回する扇風機、水力発電、都市のエスカレーターなど生命の宿らない運動も印象的です。眠り続ける兵士たちの身体もまた、意識のないままに、点滴剤を受け入れ呼吸を繰り返す。ではその、システマチックな身体にあるべき魂はどこにいったのか。

魂は夢の中にいるのです。夢は夜の深く宮殿とともにある。今なお呼吸している土地の古い記憶。地下の王宮はいにしえからの歴史を表しています。しかし日常には土地開発を続ける重機の音が鳴り響く。掘り返えされた土の上を子どもたちは走りまわる。

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© Kick the Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / GeiBendorfer Film-und Fernsehproduktion / Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

古いものと新しいもの、夢と現実、夜と朝、身体と心、向こう側とこちら側。その二つのものが次第に乖離し、やがてその残像をくっきり浮き上がらせていく。その空間軸の乖離は、時間の進行によって変化していきます。その象徴となるのが治療装置のライトであり、別世界へ誘う映画館であり、ミジンコの泳ぐ空である。

その異なる空間軸のまさにはっきり浮き上がる場面が、青年イットが雑木林の中を歩きながら、ジェンに王宮の案内をするシーンでしょう。けれどもその場面はいっけんなんの変哲もない、ふたりの女性の散歩として描かれます。乖離したふたつの空間を描くのは、私たちのイマジネーションなのです。

そして終盤、夕暮れのベットのそばでふたりが交わす会話で、この物語がふたつの空間の対話であったことに気づかされます。ときにすれ違い、気づかないこともある対話。周波数があえば、ふとつながる対話。その偶然だけが可能にする儚いつながりの、切なさと温かさを感じる作品でした。

美術作家としても評価を得てきたアピチャッポン監督。今年はさいたまトリエンナーレ2016、横浜美術館への出展、東京都写真美術館での個展も予定されているということですが、まずは新作「光りの墓」が上映中です。気になるひとはぜひ映画館に足をはこんで、ゾンビみたいになってください。

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初期作「世紀の光」も見てきたのですが、これも!とても良かった。クエスチョンが飛び交うのは同じだけど、時間がたつとイメージの構造が見えてくる。それから「記憶の触感」と監督が呼ぶ夢見るような映像も。アピチャッポン監督の作品を手始めに何かひとつ見たい、というときには、世紀の光のほうがオススメかも。