日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

没後100年 宮川香山 展 @ サントリー美術館

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サントリー美術館宮川香山展がはじまったので、さっそく行ってきました。今回は明治に活躍した陶工、宮川香山の没後100年展です。緻密でリアルな浮き彫り装飾をほどこした「高浮彫」の超絶技巧、気品ある釉下彩の磁器がずらりと。

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2016_1/

京都に生まれて、陶工だった父のあとを早くに継ぐものの、30歳の時に伝統ある京都から横浜へと移り、輸出向けの陶磁器を制作する眞葛窯をひらきました。京都にいた頃は仁清写などを作っていたようで、当時手がけた品も展示。「仁清意双鶏図茶碗」など、このころの作品も良かったです。

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明治維新以降、公家や武家が職をうしない、顧客が減っていく中での挑戦だったのでしょう。新天地の横浜では、外国に人気のあった薩摩焼を手がけるも、金の使用は制作費がかかってしまうこと、金の海外流出を懸念したことから、緻密な装飾を作り込む「高浮彫」の技法を生み出すのでした。

海外向けの日本を紹介する冊子などから、日本らしさのヒントを得ていた香山。海外向けに作品を作るのではなく、日本固有のものを保存する思いで作っているのだと述べていたそうですが、欧米の人々の目を通して見えるものに、日本の輪郭をとらえようとしていたのかもしれません。

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なんと、展示室のうち撮影可能なエリアがありました。格調高い展示の多いサントリー美術館で、なかなかないことに違いなく、嬉しい計らい。こういう時、しっかりしたカメラがほしくなる。ファインダーごしに物語が生まれるようで、楽しかった。

端正なシルエットと比して、周囲にほどこされる装飾は細密ながら大胆で、左右非対称におおらかであり、鳥獣たちは陶器の絵の中から抜け出してきたような立体感。ウズラを描くのに、庭でウズラを飼ったりしたのだそうで、鳥や蛙、流水や葉の質感まで、細微に写し取ろうとした凄みがあります。

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17世紀に独マイセンで白磁の生産が成功して、ヨーロッパでシノワズリ流行のきっかけの一つとなります。中国陶磁器も好まれて取引きされましたが、1840年アヘン戦争を経て清国での陶磁器の生産が衰えてしまう。中国に代わってヨーロッパの需要を満たしたのが、日本の陶磁器であったといいます。

ヨーロッパから見た中国と日本のちがいはさほど認識されていなかったのかもしれません。西洋という写し鏡に映ったものは、誇張すべきところを誇張し、雑味を削ぎ落とした洗練であったかもしれませんが、どこかオリエンタリズムの気配も残しているように思います。

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初期マイセンがシノワズリであると聞いて初めて気づいたのですが、そうとらえてみると見方が変わりそう。東洋へのあこがれを交えて、宮廷文化とともに発展した西洋白磁。それもひとつのヨーロッパの文化なのだろうと思いました。

絵画を見るとき、国内と海外の流れを意識しながらみると、呼応するものがあって面白いのですが、陶磁器は、世界各地の様式が互いに混ぜあい発展していく様が、より顕著に見えるようです。

本当は国内の陶磁器を見るとき、中国、韓国の品々とともに見ることが大切なんだろうなと思うけれど、その辺が疎くてもどかしい。

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しかし、この細密技巧の焼き物は生産効率や運搬に難があって、明治21年家督を長男にゆずると、香山自身は新たな作品の研究に没頭しました。のちは釉下彩をはじめ中国磁器にならった品へと移行していきます。高浮彫ほどの大胆さはないものの、淡く明るい色使いが爽やかで華麗な釉下彩です。

しなやかなシルエットにアール・ヌーヴォの影響の指摘がありましたが、私は仁清焼が重なりました。ヨーロッパへ来た日本人が、アール・ヌーヴォを目にして「乾山写があるぞ」と言ったエピソードがありますが、私もたとえばガレの花入は、いつみても野々村仁清の茶壺などが思い出されるのです。

http://www.moaart.or.jp/collection/japanese-ceramics170/

アール・ヌーヴォーを見たとき、香山がどのように思ったかは分からないけれど、この時代の簡素ながら繊細な表現を見ると、かつて京都で手がけていた仁清写へと回帰しているように思うのです。秞下彩で複雑な表情をつけるのは、相当に高い技術が必要だそうで、たんなる回帰ではないけれど。

ランをかたどった「釉下彩花卉図蘭鉢」の花びらにうっすら浮かぶ表情は、仁清の「百合形向付」を思わせます。紫陽花の花びらを透かし彫りにしたのち透明釉をほどこした「彩磁紫陽花透彫花瓶」は、中をのぞくと花弁のかたちに光がもれて、ひっそりとした美しさがあります。

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凄みのある超絶技巧にも、激動する時代にあって、日本のかたちをとらえようとした情熱を感じる一方で、秞下彩あたりの品になると、その技巧は磁器の肌の内側にひそみ、全体から立ち上がってくる香気のようなものに感じられます。

晩年は中国陶磁器へと表現を移した香山でしたが、私はこちらの方が国内文化のルーツを感じられるように思いました。それは固有というものではないけれど、さまざまな文化の流れに揺られながら、しかし確かにこの地で育まれてきたものの、しなやかさがあるように思うのです。

関連URL

宮川家は江戸時代前期より続く京焼の窯元とのことで、こちらでは歴代の作品を掲載しています。初代・赤鯶香齋の頃は中国の陶磁器の写しが多いですが、四代目・五代目には明るく華やかなものが目立ち、香山の父にあたる宮川長造のころは、仁清写しがぐっと増えます。こういう流れを見れるのもいいですね。

私はこの宮川長造時代の作品が、絵付けのあしらいも細やかで品がありますが、茶碗の形や釉薬のかけ方にはくずしがあって、そのバランスとか、全体的にやさしい感じがして、とても好きです。

田邊 哲人コレクション
眞葛香山 まくずこうざん
田邊コレクション3,000点の内、一部を掲載しております。(掲載作品は、随時更新されます。)
http://www.tanabetetsuhito-collection.jp/makuzu.html

奇想の芸術シリーズ 宮川香山「葡萄ノ蔓二蜂ノ巣花瓶」
複雑で細かい細工をいかにして香山が作っていったのかは現在も謎のまま。制作過程すら謎めいているのです。果たして、香山の陶器はどのようにして生まれたのか?その恐るべき超絶技巧の秘密に迫ります。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/111210/

宮川香山作「渡蟹水盤」
今日の作品、「渡蟹水盤」は、香山が晩年にもてる技術を全て注いで作った作品でした。胃潰瘍による大量の吐血で、意識不明の重体となり、死の1ヶ月前に体力を振り絞って完成させた作品です。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/080119/

NHK、BSプレミアム「極上美の饗宴」『生き物が踊る器 陶芸家・宮川香山』について。個人ブログですが、とても丁寧な記事だったので。

茶碗はのんこうに限るというようなことを言うのは、夕顔棚に体を縛りつけて涼をとらんとする人のようだと私は思うのです。夕涼みというものは、素っ裸でむしろの上に寝ころんでおるから涼がとれる。自由だから涼がとれる。しかし、なんぼ夕顔棚の下でも、イデオロギーに縛りつけられておったのでは、まず涼はとれぬのじゃないか。だから、そういうものに縛られないように、自由な境地に自分を置くことが必要だと思うのです。
北大路魯山人 私の作陶体験は先人をかく観る

どこで読んだか、風流人がお茶を飲むのは、「今竹やぶに風が通りましたな」というようなことのためだけにやるのだという話があって、面白かったのですが、その風のころに茶をたてて、頃合いを見計らって、さあっと風のふいたときに茶をだす。それで「吹きましたな」「そうですな」とやる、のだそう。

森羅万象と人との関わりあいというか、言葉ひとつでは表せそうにないのですが、美術品の見方を「教養があるふうに振る舞うのではないよ」と、ピリッと注意しながら話す魯山人の講演に、そんな話を思い出したのでした。