日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

カラヴァッジョ展 @ 国立西洋美術館

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ルネサンスを超えた画家、カラヴァッジョ。「ルネサンスを超えたんだって」「ルネサンスって、時代だよ」と、背後からのやや噛み合わない会話に気を引かれながら、西洋美術館の門をくぐる土曜日。

この日は常設展がお休みで、いつもより混みがちな企画展でした。こういうとき頼りになる音声ガイド機をかりて、さてバロック美術の世界へと。

カラヴァッジョの作風は知っているけれど、実物を見るのはこれが初めて。当時の資料も展示していて、波乱に満ちた画家の生きざまにも迫ります。カラヴァッジョが問題ばかり起こしている画家であることは、その成熟していて静謐な表現スタイルとかけ離れていて、ちょっと意外でした。

石工職人だった夫を病気で失い、絵の才能に長けた息子のために、母はいくつか地所を売らなければならなかったといいます。カラヴァッジョがローマにやってきたとき、ほとんど一文なしで、どんな仕事でも嫌がらず、進んで受けたのだそう。

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カラヴァッジョ「女占い師」1597年頃/ローマ、カピトリーノ絵画館 ©Archivio Fotografico dei Musei Capitolini

初期の作品から晩年まで11点を展示。38歳と短い生涯だったカラヴァッジョの作品は、現存するもの60点あまり。その内11点がひとところに揃うのはすごいことなんだそうです。来館者をまず迎える「女占い師」は、光と影の強いコントラストが生まれる以前の作品。

ですが、視線とポーズでストーリーを語るスタイルは、すでに出来上がっています。背景を描かず、二人の人物をクローズアップして見せることで、ユーモラスな場面に緊迫感をも感じさせる。大衆をモチーフに風刺的な一場面を描いたのも、カラヴァッジョがいち早く手がけたテーマだといいます。

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カラヴァッジョ「バッカス」1597-98年頃/フィレンツェウフィツィ美術館
© Alinari, Licensed by AMF, Tokyo / DNPartcom Reproduced with the permission of Ministero per i Beni e le Attività Culturali

カラヴァッジョが生まれ育ったミラノでは、レオナルド・ダ・ヴィンチが滞在していたこともあって、自然光のもとに静物を描くことが伝統としてあったといいます。マニエリスムの傾向にあったローマと異なって、自然のままに描くことが、カラヴァッジョの中に染み込んでいたのでした。

ローマ時代の作品「果物籠を持つ少年」「バッカス」は、人物とともに、まるでそこにあるかのような瑞々しい果実を描いています。「バッカス」を描いた時、カラヴァッジョは26歳。この完成された絵に若さを見るとすれば、自らの技巧をふんだんに見せつける、隠しもしない闘争心くらいでしょうか。

*波乱の人生すぎて映画化できそう、と思ってたら映画化されてた。

ローマでは後援者にも恵まれ、枢機卿デル・モンテの邸宅に従者として住み込んだカラヴァッジョでしたが、彼自身は工房も弟子も持たなかったといいます。それでもいち画家に関する数多くの記録が残っているのは、夜の街へ出ては喧嘩をし、その記録が取調調書や裁判記録に残っているからです。

当時の記録書もたくさん展示されていました。料理を持ってきた店の給仕に、使ったのは油かバターか聞いたところ、匂いで分かるでしょと言われて激昂したとか……そんな喧嘩っ早いカラヴァッジョは、いさかいの末に若者を殺めた罪で死刑を言い渡され、ローマから逃亡せざるを得なくなります。

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カラヴァッジョ 「エマオの晩餐」1606年/ミラノ、ブレラ絵画館

ローマ司法権の及ばないナポリに身をよせたカラヴァッジョ。ブレラ絵画館収蔵「エマオの晩餐」はこの時期に描かれました。それまでの作品に比べて、写実性も人物の感情も抑えて描かれています。ガイド機の言葉をかりると、光だけが人物の内面を表現するような、静謐な一枚。

この作品には、対象に平行してレンズを向けたとき、目線の高さにあって、水平と垂直が整う美しさがあります。ミュシャなどもそうで、カメラが普及し始めた時代の傾向かなと思ってたのですが、カラヴァッジョの他の絵にもこの構図の整いが見られたので、この時代からあった感覚なんだなと思った。

カラヴァッジョの「優秀な画家とは自然そっくりに模倣できること」と述べた言葉が、裁判の記録に残っているそうですが、真に迫る質感だけでなく、人の目線から見た対象との距離感の正しさというものも、彼のこだわった「自然そのものを描くこと」であるように思いました。

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 「煙草を吸う男」1646年 東京富士美術館 wikimedia commons

弟子を持たなかったカラヴァッジョですが、光と影を強烈に描くその技法は、彼のライバルたちでさえ模倣しました。今回はカラヴァッジョの作品に加え、その明暗法を取り入れた画家たちの作品も展示。とくに惹かれたのは、フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「煙草を吸う男」です。

ローマに行ったことのないラ・トゥールに、カラヴァッジョの絵を目にする機会はなかったはず。おそらくカラヴァッジョの技法を持ち帰ったオランダの画家たちの作品を通して、光と影の表現を知ったのだろうという話です。

カラヴァッジョの活躍した時代から30年ほどのちに描かれた一枚。カラヴァッジョの強烈な明暗法が、短いあいだに各地へ広まったことが想像されます。

さて、ナポリに逃れたカラヴァッジョは、それから間もなくマルタ島へ渡りました。イスラム教世界との最前線として防衛にあたっていたマルタ騎士団に、その一員として迎えられたことを、カラヴァッジョは喜んだようです。この地で騎士団に入会するも、またもや傷害事件を起こし、地下牢に幽閉。

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カラヴァッジョ「法悦のマグダラのマリア」1606年/個人蔵

協力者あってマルタ島を脱出したカラヴァッジョでしたが、各地を転々としたのち、教皇より恩赦の報を聞いてローマへ向かう途中、熱病がもとで命を落としてしまいます。この時カラヴァッジョが携えていた数点の絵画のうち一枚が、今回出展の「法悦のマグダラのマリア」だと考えられています。

この作品がすごかった。マグダラのマリアが娼婦だった過去を悔恨する場面ですが、カラヴァッジョは自分自身の罪とその改悛の情を重ねたのでしょう。虚空を見つめる女性の頬にわずかに伝う涙。その感情が画家の心情そのものと思われるのです。

後世の画家によって模写として伝わるこの作品のオリジナルは、長いあいだ行方知れずでした。2014年に個人の所有品で発見されて、研究者による検証が行われるのですが、さまざまな状況証拠がピタリと一致していく。展示ではそのいきさつの説明もありましたので、お近くの人はぜひ国立西洋美術館で。

プロテスタントの台頭してきた時代、偶像崇拝から宗教画を否定した彼らと対抗して、カトリック世界では宗教画がより熱心に求められました。その率先した担い手となったカラヴァッジョでしたが、彼自身は聖人たちを人間らしく描き、物語性よりも自然ありのままを描くことに重きをおいたのでした。

宗教性からの絵画の開放は、てっきりオランダ絵画の役目かと思っていたのですが、大衆を描き、聖人たちに人間味を宿らせたカラヴァッジョの筆の中に、すでにその種は潜んでいたのかもしれません。

振り返ってみれば、彼のある種のヒューマニズムは、無一文の時代を原点とした、粗野さに芽生えたもののようにも思えるのでした。

日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展
会期:2016年3月1日(火)~2016年6月12日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時30分
毎週金曜日:午前9時30分~午後8時 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(ただし、3月21日、3月28日、5月2日は開館)、3月22日
観覧料金:一般1,600円

日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展|過去の展覧会|国立西洋美術館


関連URL

http://www.bbcjapan.co.jp/tv/documentary/masterpiece.html

思えばカラヴァッジョを知ったきっかけはBBCの番組でした。アイルランド修道院で見つかった一枚の絵。別の画家の作品とされていましたが、絵画修復の依頼を受けた国立美術館の修復士が「これはもしやカラヴァッジョでは…」と思い、恐れながらも知人に手紙を書くことから調査が始まります。

ほぼ間違いないと判明するも、発表に至るまでには、点と点の間をうめるような検証が必要でした。なぜイタリアから遠く離れたアイルランドで、別の画家のものとされていたのか。この絵画「キリストの捕縛」のエピソードは「法悦のマグダラのマリア」にちょっと似ている。美術ってミステリーの面白さがあるなあとあらためて思いました。

その功績の割には、他の画家たちに比べて評価が低いような気がしますが、展示を通してみると、カラヴァッジョの犯罪者というイメージや、弟子を持たなかったことなどが、後世の評価に繋がりにくかった一因かもしれない。

最近、コンセプチュアル・アートについて「絵画を見る喜びがない」という意見を見たので、便乗して言うと、弟子を持たなかったカラヴァッジョは、画家自身が作品そのものであるタイプなのかもしれない。そう考えると、カラヴァッジョは「絵画を見る喜び」のある画家かもしれないなと思いました。

しかし、こうしたこと以上にカラヴァッジョを貫いているのは、やはり「タナトス」(死の観念)というものだったと思う。そのタナトスは神話性と想像力と現実社会との亀裂をおこすタナトスである。また、罪と悪とが暗闇の領域から光の領域の聖性に向かって転換していくときに、その溝にあらわれる一瞬の「死と再生」の出入りをつかさどるタナトスだ。
1497夜 『カラヴァッジョ』 宮下規久朗 − 松岡正剛の千夜千冊

カラヴァッジョについてとても詳しい書評記事でもあるのですが、ついリンクしてしまったのは、美術展に行ったその夜の夢が、カラヴァッジョは実はゲイだったというものだったからです。

ルネサンスの画家全部ゲイって考えるのは雑じゃないかねって朝起きて謎反省したけれど、そういう説もあるもんなんだなあ。予知夢なのか、そう感じさせるものが展示の数々にあったのか…ちなみにこの説を実証するもなはないということです。

「聖性とヴィジョン」はちょっと高くて躊躇してしまうんだけど、同じ著者のもので「カラヴァッジョへの旅」はもう少し手軽な価格でkindle版も出てて、手が出せそう。amazonで立ち読みできる。背景の時代とか詳しい。「カラヴァッジョ巡礼 」はミュージアムショップに売ってた気がする。写真も多いみたいなので、こちらもちょっと惹かれる。(節約中…)

礼拝堂内の照明は寄付制で、機械にコインを投入し、金額に応じた時間だけ明かりが灯されるようになっている。照明が当たっている間は、カラヴァッジョの絵の色彩はとても鮮やかで、黒い背景に人物が浮かび上がっている。まるで、舞台の上でスポットライトに照らされた役者が、少々大げさな身振りで演じているのを見ているよう。そして照明が落ちると、途端にすべてが消えてしまい、額縁の中には真っ黒の平面しか残らない。手品に魅せられたときに似た、不思議な感覚にとらわれる。
マルタ島へ—聖ヨハネ騎士団とカラヴァッジョ – Blog Oleandro

個人ブログですが、カラヴァッジョを追ってマルタ島やローマの教会に行った記録。いいなあ。『洗礼者ヨハネの斬首』は、今回出展ではないですが、エピソードも含めて惹かれた一枚でもありました。