日々帳

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映画の感想 - 「X-ミッション」 思想が崩れるとき

話題のノーCGアクション大作「X - ミッション」

エクストリーム・スポーツの危険かつ華麗な荒技を大画面の迫力で見せる、10年に一度のノーCGアクション! というふれこみで、興行成績ランキング三位と上々の滑り出し。方々のPRでノーCGアクション映像の狂気は語られても、オザキエイトについては誰も語らない。語ってはならないのだ。

べつだんボンクラ映画ファンでもなく、スポーツなるジャンルにも微弱な引力しか感じない私ですが、映画の日に見てきまして、これが面白かった。

なにがすごかったのかを私なりに書いておきたいと思うのですが、まずあらすじをざっと。

友人の死をきっかけにエクストリーム・スポーツを引退して、FBIへの転身を志望したユタ。同じころ米資本を狙った連続強奪事件が起きていた。ユタにはすぐに分かるのだった。犯人は自然活動家オノ・オザキの提唱したオザキ8を実践してるのだと。誰にも信用されない中、指導官ホールは「俺は信じるぜ」と、期間限定のIDカードを差し出す。果たしてユタは事件を解決することができるのか?

開始10分ほど(体感)でオザキエイトが出てくるので、早い段階でピリピリくるものがありますが、要は8つのミッションをクリアすることで、ひとつ人間の完成型に達する、オザキエイトはその到達点への道すじなのです。ミッションを完遂した時ーーそのとき魂は新たなステージへ向かうーー

オノ・オザキが何者なのか、どちらが名字なのかなど明らかにされませんが、おそらくは日系人でしょう。オザキの思想は道教をモチーフにしていると思われます。無為自然とは、自然にあらがわず生きる姿であります。彼らは苛酷なスポーツを通して、自然と一体になる瞬間を得道とするのでしょう。

追記:オザキエイトについてタオイズムと推測しましたが、監督いわく「武士道の道徳観や哲学がこの映画やオザキのキャラクターに反映されているんだ。侍の精神だよ!」とのことです。お詫びして追記いたします。

映画的には「8つの試練」をクリアしていく様子を、エクストリーム・スポーツの極限シーンに重ねながら展開していく。「オザキエイト」は、華麗なる技を見せるための小道具にすぎないはずが、並外れた存在感を作中に漂わせる結果となっています。

中盤に出てくる主人公ユタとヒロイン・サムサラの会話も話題になってましたね。

「思想は強い」
捕鯨船の方が強いわ」

百聞しても何を言っているのか分からないと思いますが、わたくし、この迷言をガチ解説しますよ!

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この会話はオザキの思想について語る流れで出てくるものです。「思想は強い」というユタの言葉は、オザキの思想に敬意を表しているのです。しかしサムサラは「捕鯨船の方が強い」と答える。つまり、どんなに高尚な思想の持ち主でも、捕鯨船にボートごと潰されてしまえば、それで終わりだと。

思想だけでは世の中は変えられない。だからサムサラは「行動することが大切」と続ける。

サムサラの話に、私が思い出していたエピソードがあります。エジプトのイスラム過激派の母体となったムスリム同胞団。彼ら自体は必ずしも過激派ではありませんが、その中から先鋭化した行動派が現れたのは、信奉した思想を急進的に解釈した人々がいたからなのです。

当初、欧化主義者と保守主義者の間の中庸な選択として支持を得たアフガーニーやラシード・リダーの思想は、エジプトにおいてはムスリム同胞団により社会的な活動へと進みますが、その勢いを恐れたエジプト政府により弾圧がはじまると、政府との対立の図式へと変化していきます。

ムスリム同胞団創始者のハサン・バンナーは穏健派でしたが、大統領暗殺事件にからんで暗殺され、ついでトップメンバーであったサイード・クトゥブも投獄。より積極的な行動を訴えて執筆した「道標」が出所後に出版されると、クトゥブは再逮捕され死刑に処されるのです。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/suechikakota/20160125-00053768/

http://kousyou.cc/archives/3716

この事件は、当時10代の青年アイマン・ザワヒリに大きな衝撃を与えます。彼は活動をジハード団なる地下組織に移し、エジプトを出たのちには、ペシャワールでアルカイーダを組織するに至りました。

中道で穏健であった思想がどこで転換したのか。そこには思想家の不条理な死が絡んでいます。
言葉だけでは世界は変えられない。行動しなければ。ふたたびサムサラの言葉を追ってみれば、その転換がひそんでいることが分かるはずです。

この映画の原題は「point break」、サーフィン用語で波が左右どちらかに崩れるポイントのことだそうですが、作中ではムササビ飛びの時に、体が崩れるポイントと説明していました。おそらく、体が自然と一体になるポイントということではないかと思うのですが…。

しかし、別の見方もできるのではないでしょうか。つまり思想が崩れるとき——穏健な思想が急進的な思想へと転換するポイントです。それこそがユタとサムサラの会話に現れているのです。

ユタはオザキの思想を批判はしません。むしろ彼らの思想を深く理解し、寄りそうようです。ですが人を傷つけ、犯罪を犯すことは断固として認めない。その一線はゆるぎないのです。この映画はその寄りそいのため、一見おかしな映画に見えますが、訴えていることはじつはシビアなのです。

なになに? ストーリー展開がイマイチだって? まあ、その辺は映像と相殺ってことで。

ライバルのボーディもいいキャラでした。すぐ「お前の選んだ道だ」「誰かに言われたとしても、選んだのはお前だ」って言う。どことなくマッチョ。でもこれってやっぱりタオイズムなんだろうな。自然のままに運命を受けいるれるというような。

映画「リベリオン」の脚本家さんらしいんですけど、ガン=カタ(銃と空手の型)を編み出したりしてたので、好きなんでしょうね。東洋的なものが。

あと、エンドクレジットの長さ! 全体的にビリビリくる映画でしばらく動けずにいたんですけど、それでも「ながっ」って思ってしまった。あれでも足りないんだって、お世話になった人の名前もっと入れたかったらしい。MG(マジガチ)コピーに偽りなしの見どころ満載「X-ミッション」でした。