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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

初期浮世絵展 版の力・筆の力 @ 千葉市美術館

art

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千葉市美術館で開催の初期浮世展へ行ってきました。春画も初期と後期でことなるのだそうで、教養があって楽しめるものが、やがて分かりやすさ重視になっていく。初期にはその時期ならではの味わいがあるのだとか。では浮世絵はどうだろうかと、楽しみにしてた美術展でした。

17世紀後半、浮世絵の創始者菱川師宣の登場から、錦絵の黄金期の導き手となった鈴木春信までをたどる。個性の強い絵師たちの作品の向こうに、歌舞伎の隆盛や、町人文化の豊かさなど、変わりゆく近世社会が見えるようで、とても面白かった。

まずは作者不詳の「桜狩遊楽図屏風」がお出迎え。若衆を囲み遊女たちの戯れる春の光景を描きます。男色の対象と知られる若衆ですが、当時に描かれるのを見ると、女性との絡みの方が多い。少年と女性たちの春の賑わいは、男社会の外側に浮遊する層の作る、幻想的な一場面となっています。

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「桜狩遊楽図屏風」重要美術品 (無款) 寛永期(1624-44) 個人蔵

手始めの展示は、浮世絵の始祖に位置づけられる菱川師宣のものへ。

狩野派や土佐派、長谷川派の技巧に学ぶ一方、版本の挿絵も手がけた師宣。作者不詳の菩薩を描く挿絵は、町絵師が容易に描けるものではなく、社寺の依頼も受けていた師宣の仕事ではないかと推測されるそう。その素養の高さが、版本挿絵を観賞用の一枚絵に引き上げる力だったでしょうか。

師宣が自らを「浮世絵師」と呼ぶことはなかったようで、署名は「大和絵師」や「日本絵師」であったといいます。やまと絵の横長に展開する俯瞰の空間性が、やがて風俗画や枕絵の画面構成へと引き継がれていくのは、見ていて楽しかった。

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菱川師宣「江戸風俗図巻」(一部)元禄期(1688-1704) 出光美術館

視線を画面奥へと導く山水画とことなって、平面展開のやまと絵や浮世絵は、衝立、木、川など小物や地形による境界で領域が仕切られ、そこに人物の姿や表情を見せたり隠したり。情報のあり方がとてもデザイン的なのです。特に師宣は、そういった空間演出が巧みな絵師のように感じました。

第二幕の始まりは、役者絵で活躍した鳥居清信。父子で江戸へくだると、父の清元は芝居の看板絵で人気を博しました。清信はさらに版本挿絵や役者浮世絵を手がけて、鳥居派の様式をつくりあげます。歌舞伎の流行に華やぐ江戸の町で、鳥居派はその地位を確かなものにしていくのでした。

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初代鳥居清倍「二代目市川団十郎の虎退治」(1713) 千葉市美術館蔵/「月を眺める遊女」(1704-11)頃 シアトル美術館蔵

その作風を継いだ鳥居清倍の役者絵も展示。勇猛な役どころの演者が荒々しい場面を演じるのを得意として、線の躍動感、枠いっぱいの構図など迫力ある画面が魅力。かと思えば美人画は、太く力強い着物の線に、煙草をもつ手は細く繊細。メリハリある筆づかいで、女性の優美さを表現しています。

庶民向けの娯楽として浮世絵が広まると、その中道の流れもおこります。懐月堂派は廉価な肉筆画を描いて人気を得ました。図像のパターン化、紙や泥絵具などの画材や太く勢いある筆づかいといったの工夫が、素早く大量に作品を描き上げることを可能にしたようです。

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宮川一笑「吉原風俗図」元文期(1736-41) 千葉市美術館蔵/英一蝶「立美人図」元禄期(1688-1704) 千葉市美術館蔵

存在感をもってゆく町絵師と、幕府御用絵師の摩擦が垣間見えるのが、狩野派絵師と宮川派におきた事件でしょうか。宮川長春ひきいる宮川一門は日光東照宮の彩色を手伝いますが、彼らを招いた稲荷門狩野派当主の狩野春賀は、こともあろうに報酬を着服、催促に訪れた長春を暴行のうえ追い返します。

これに逆上したのが宮川家長男の長助でした。報復のため門弟たちと春賀邸へと討ち入ると、当主ほか3人を斬ったのでした。このとき長助と行動をともにした宮川一笑は、事件ののちに流刑となり、伊豆新島で余生を過ごしたといいます。ついつい思うところ深く眺めてしまう、一笑の吉原風俗図でした。

ここらでなかなかのボリュームでしたが、畳み掛けるように面白いのが展示後半。奥村政信は浮世絵界のトリックスターだそうで、颯爽と現れて世界をがらっと変えてしまったということなのか、トリッキーな作風をそう呼ぶのか、ともかく全体とおしても、大変おおきな存在であることが感じられます。

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奥村政信「結び文」延享〜寛延期(1744-51) 太田記念美術館蔵/「佐野川市松」延享〜寛延期(1744-51) 大英博物館

琳派の祖、尾形光琳がトリミングの技巧に長けていたのは、着物などの絵付けも仕事にしていて、絵画も工芸品も隔てがなかったからだそうですが、政信はさらにトリミングの面白さに意識的だったように思えます。本来のかたちから外れて、縦に細長い枠に風俗絵を描きました。

まず初めに枠があって、その中に要素をどう配置するかという発想を、P.ドラッカーは空間を仕切る意識、つまりデザイン性と見たのでした。時代をくだると、葛飾北斎幾何学図形の組み合わせを画面構成に取り入れましたが、奥村政信にもそれに近い構成の巧さを感じます。

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奥村政信 「浮世須磨」正徳〜享保期(1711-36) ホノルル美術館蔵

政信は絵の技巧だけでなくコンセプトも巧妙でした。古典を当世風に描きなおす趣向は昔からあって、より風刺や可笑しみをこめて描いたのは奥村政信だそう。やつし絵、見立て絵と呼ばれたこの類の絵では、たとえば源氏物語の一場面を、遊女のもとに通う若い男に描きなおしたり。軽薄な! もとからか。

墨摺絵「浮世須磨」では、文机にほおづえの女性を源氏物語・須磨の光源氏に重ね、対岸には在原行平と汐汲みの姉妹・松風村雨の姿が描かれます。川の向こうは空想か遠き古えの世界か。ことなる空間と時間を同じ画面に配して、川という工夫で此方と彼方に仕切る。画面を舞台とした、その演出力。

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奥村政信 「風雅火鉢無間鐘浮絵根元」寛保〜延享期(1741-48) シカゴ美術館蔵

さらに奥村政信といえば、浮絵が有名でしょうか。西洋の線遠近法を積極的に取り入れた絵師でもありました。画面に一点をうって、そこから伸びる放射状の線にそって建物の輪郭を描く。しかし政信の遠近法はなんだかおかしい。これでは画面上に不規則な消失点がいくつも存在してしまいます。

これまで"パースの狂い"を絵師の故意だと聞いても半信半疑だったのですが、今回はその言葉が妙な実感をもって迫ってきました。明らかに消失点から直線を引いて描いていて、矛盾にきづかないはずがない。けれども政信は多くの場面を描くために、あえて多数の消失点を描いたのでしょう。

西洋美術の科学的なまなざしを得てもなお、人と空間の関係性は自由なままでした。写実にとらわれず、多様な場面を自在に配置する意識が浮き彫りにされた、魅力ある一枚です。

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鳥居清広「独楽まわし」 宝暦(1751-64)中期 大英博物館蔵/「花の陰」宝暦(1751-64)中期 千葉市美術館蔵

終幕は鈴木春信や錦絵へつづく、情緒ゆたかな絵画のおこりを追います。いちばん刺さったのが、鳥居清広の描く庶民のおだやかな日常でした。駒で遊ぶ子どもたちを、通りすがりひょいと覗く若衆は、帯刀して武士の装い。ですが、身を反らせ乗り出す姿勢に、隠せない童心が垣間見えるようです。

清広のもう一枚は、短冊を下げようと腕を伸ばす少年と、肩車をする侍女の姿。仲睦まじくも恋を知っているというふうではなく、けれど満開の桜は、二人の心の行く末を暗示しているようでもあります。上部の句は、「むすべとや ちえのない子に 花の陰」

もう子どもではないけれど、まだ大人でもない、その過渡期の、当人たちも気づかない微妙な心情を、何気ない光景に描く。文学的ですらある清広の紅摺絵です。展示は鳥居清広の描いた主題をまねて、その影響がしのばれる鈴木春信へと。この辺はぜひ本展で。といいたいけど、今週末までだったりする。

歴史絵など大きな物語から、日常にあるひとびとの小さな物語へ。菱川師宣から鈴木春信まで、100年3世代ほどでしょうか。どの局面も見応えあって、満喫できた初期浮世絵展でした。

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