日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画の感想 - ヤクザと憲法

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あるとき通りがかった夜にひと気がなかったのでつい撮影

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
日本国憲法第14条 - Wikipedia

面白そうだなと思ってたら、あれよあれよと話題になって、ある夕方行ったら満員で入れなかった。翌週に出直して、朝の回に早めに行くと、ぶじ好みの席で見れました。

暴力団を擁護するのかという声も多く見たけれど、作品は、人権をうったえてるヤクザがいるらしい、どうゆうこっちゃ、よし取材にいこう。といったノリの印象をもちまして、取材スタッフが、ヤクザにも人権あるんとちゃうんか的なことをいう組長に、ヤクザなのにですか? とか聞いてしまう一場面も。

あと事務所内の案内中に、無造作におかれたバックを指した組員に、取材スタッフ「マシンガンとかですか?」「!? そんなんこないとこおくかいっ」ってバックを開けてみせる場面は面白かった。取材スタッフがね、いちいちちょっと失礼。でも多分わたしたちの感覚に近い。

密着取材とインタビューと、過去報道のVTRで構成されるドキュメンタリー。なぜその道に入ったのかと聞かれると、組の構成員は、世話してくれたからだと言う。自分が本当に追いつめられたとき、周囲の人は誰も助けてくれなかった。

顧問弁護士をつとめた山之内さんは、話をもらったとき一ヶ月悩んだそう。顧問料は月10万。そのため警察に目をつけられ、組事務所隣のビルとのトラブル交渉を、恐喝と仕立てられて起訴される。証拠品に捏造があったりして、証拠不十分で勝訴。しかし、この事件を機に顧客が激減してしまう。

この作品から何を読み取るかそれぞれだと思うし、私の中にも「人権を虐げている人たちが人権を語るなんて」という思いもある。ただ、その世界から足を洗っても、5年間は規制の対象となるのだそう。その間どうやって生きていくのか。辞めようにも辞めることがでない。

ドキュメンタリーのプロデューサーは、ヤクザのいない社会のほうがいい、でもそのやり方はもう少し知恵を出したほうがいいんじゃないか、と話します。社会をドロップアウトする人たちは必ずいて、彼らを社会に受容するのでなく、追い詰めるだけでは、あるいは社会の闇を深めるだけかもしれない。

組の門を10代でたたいた青年は、未成年だからと一度は帰されたものの、20歳になって再び訪ねたのだという。二冊の本だけ携えて家を出た青年は、取材スタッフに自分の思いを訥々と語ります。

「あいつはおれが嫌いで、おれはあいつが嫌いで、でも嫌いなもんどうしでも一緒の世界に生きていられる。そういう方がええんじゃないかと思うんですけどね」「学校でも変わったやつがいるとおちょくられる、そういうやつでも(おなじ社会に)いてられる方が」

私たちにとって不都合な存在のひとびとも、私たちの世界の一部で、そういったこととどう生きて行くか。犯罪は犯罪として対処するのは当然のこととして、一連の状況は、異質な他者にどう向き合うかということと、一見遠くとも、どこか結びついているように思います。

タイトルの「ヤクザと憲法」、当初は「ヤクザと人権」だったものを放送10日前に変更したのだそうで、思いつきの部分が大きかったようですが、結果よかったのではないかな。というのも、同時期上映のスピルバーグ監督「ブリッジ・オブ・スパイ」がよく似たテーマになっているからです。

いろいろ書いたけど、後日きれいに言語化してた人がいた。

厳しく取り締まるのではなく、ソーシャルスティグマを無くし薬物へ依存せざるを得ない状況の方を改善すべき

そうそう。それね。