日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

旅日記 京都・妙顯寺、本法寺

京都で美術っぽいものをめぐる旅、二日目は少し早めに起きて、錦市場へ。
今いちど京都へ行きたいと思ったきっかけは、昨年のサントリー美術館の企画展「若冲と蕪村」展で、当時の絵師たちの住んでいた場所の地図を見たことです。

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江戸中期、京都画壇は絵師どうしが切磋琢磨する盛り上がりがあったわけですが、時期ばかりか、住んでいる場所も近所というほどの距離。通りに出れば思いもよらず顔を合わせることもあったはず。漫画家でいうトキワ荘みたいな感じですよ。胸熱ですね。

与謝蕪村四条烏丸円山応挙は四条堺町、伊藤若冲錦小路通高倉と、散歩がてら巡れそう。ですが今日のところはひとまず若冲を訪ねて、錦市場の入り口でもある錦小路と高倉通りの辻へ。生家なんて分かるかな。と思ったら、でっかい若冲絵が飾られてあって、一目瞭然でした。

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青物問屋の長男で家業を継いだものの、早々と隠居して絵三昧だったとされる若冲ですが、錦市場閉鎖の危機に奔走して存続を認めさせたエピソードも。若冲が好きな絵筆をいったん置いて守った錦市場は、250年ほど後の今日も、朝も早よから年の瀬の準備の客や観光客で賑わっているのでした。

錦市場を歩いたあとは、昨日に引き続き自転車を借りると御池通りへ。京都御所をめざします。

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京都御所の西、烏丸通り沿いに、菅原道真公の生誕の地とされる菅原院天満宮神社があります。小さな境内ですが、そのわりに整いがあって気に入っていて、京都を訪れるたび寄ってしまう神社です。

周囲を聖アグネス教会と平安女学院に囲まれて正面は京都御所と、往来の激しい烏丸通りにあって静かな空間。そんな人の訪れる神社でもなかったと思うけど、境内は新年の装いで拝観者の姿もぱらぱら。

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菅公御産湯の井は、その名の通り道真公の産湯に使われた水を汲んだ井戸とのこと。長年枯れていた井戸にふたたび水が湧くようになったそうで、湧水を持ち帰れるようになってた。産湯の水を少しだけいただいて、来る年の健やかな一年を祈ったのでした。

龍華 大本山 妙顯寺

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琳派400年にあやかって、琳派ゆかりの寺院が紹介されてて、その中から気になったところに的をしぼって出かけたこの日。妙顯寺、本法寺ともに堀川寺之内あたりにある寺院で、午前中はこのふたつのお寺に足を伸ばしました。

妙顯寺は鎌倉時代後期に建立された日蓮宗大本山。尾形家の菩提寺であったこのお寺に、尾形光琳・乾山の墓石が置かれています。そんな尾形家ゆかりの妙顯寺。午前のうちは他に拝観者の姿もなく、しんと静まった寺院内をのんびりと過ごしました。

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枯山水「龍華飛翔の庭」を望む客殿前の廊下は、冬でも日差しがあたって暖かい。茣蓙が使えたので、お借りして、庭を眺めながらしばし日向ぼっこ。

正面の勅使門の両脇を飾るのは桜の木です。春になれば、静寂の中に枝を揺らせる枝垂れ桜を見ることができそう。そういえば境内も桜の木がたくさんあって、春はさぞ壮観だろうな。冬枯れの枝に花の彩りを思い浮かべたり。

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拝観できるのは本堂と三つの庭園です。客殿の脇から奥へとゆくと、廊下の途中にある中庭「孟宗竹の坪庭」が。文献など残っておらず、成り立ちの詳細は分からないそうですが、お寺の宝物庫にある尾形光琳の掛け軸「松竹梅図」になぞらえて作ったのではないかと言われているとか。

坪庭からの日差しが竹の葉の陰影をつくる、その景色の切り取りにしばし見とれてしまいます。
さらに奥には「光琳曲水の庭」があります。尾形光琳「松竹梅図」をもとに作られた庭園。

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もとの掛け軸は特別公開の時期に見られるようですが、今の私にできることは「松竹梅図 尾形光琳」で画像検索することくらい。三幅対に竹と松、そして紅白の梅の取り合わせ。庭の見頃は梅の季節かな。

「松竹梅図」は、静かな構図と丁寧なたらしこみで、どちらかというと後世の酒井抱一らの雰囲気に近い気がします。しかし庭園の松や水流に見立てた小石道には大胆なうねりがあって、なかなか光琳っぽい。樹齢400年の赤松があまりに見事で、「雪松群禽図屏風」を思い浮かべてしまったのでした。

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岡田美術館 2015年9月「箱根で琳派 大公開」展 内覧会より/尾形光琳「雪松群禽図屏風」

こぢんまりながら、どれも性格のある庭園を堪能したあとは、離れにある尾形光琳の顕彰碑へ。
もとは墓地のあった場所につくられた石碑です。なんだか見慣れた「法橋光琳」の銘は、京都国立博物館にある、光琳太公望図」の落款を写しているらしい。

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*尾形家の代々の墓は妙顕寺・塔頭の泉妙院にあり、弟・乾山を訪ねたいならそちら、普段は門を閉じているみたい。

光琳を慕った酒井抱一が、光琳の百回忌法要をあげたいと願って、私淑の師の墓を探したそうですが、見つけることができず、新たに墓石を建立することにしたのだそう。そんな紆余曲折を経ながら、琳派400年と銘打たれた2015年には顕彰碑に改められたという次第。

酒井抱一も、光琳をたずねてこの地を訪れたんですね。また勝手に感慨深くなってしまう。
石の感じはまだまだ真新しいものの、人々の思いをつないでここにある光琳の顕彰碑です。


本山 叡昌山 本法寺

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妙顕寺から本法寺はご近所というほどの距離。徒歩だと小川通りの仁王門から入るのが近そう。大本山である妙顕寺よりはいくぶんかひっそりしていますが、境内には府指定有形文化財の本堂があり書院があり、また国指定名勝のお庭がありと、歴史を感じさせるお寺です。

本法寺本阿弥光悦菩提寺。刀の研ぎや鑑定を生業としていた光悦の曾祖父清信が、仕えていた足利義教の怒りにふれて、投獄されたおりに出会ったのが日親上人でした。獄中で話すうちに親しくなり、日親より教えを受けた清信は、放免されたのち日蓮宗に帰依します。

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一方、布教をしては投獄され、寺を焼き払われた日親でしたが、最後まで信仰心をつらぬきました。その後、寺院は豊臣秀吉の命によって移転となり、現在の地に落ち着きます。寺院建立に際して、曽祖父清信、そして父光二や光悦も、大いに資金を援助したのでした。

本阿弥父子の助力により寺院再建となる少し前、ひとりの男が本法寺を頼って能登国から上洛しました。桃山時代を代表する絵師・長谷川等伯です。というわけで、当時、本法寺に身を寄せた等伯も、このお寺と縁深い人物のひとり。本法寺の宝物館には、等伯の描いた「佛涅槃図」が収蔵されています。

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この日みれたのは「佛涅槃図」の複製図でしたが、実物は春頃に一般公開されるよう。講堂の側の「十の庭」も改修工事中で、時期的にちょっと残念。書院と、その手前の庭はいい感じだったので、ゆっくり過ごしました。この「巴の庭」は光悦作、こちらは秋のほうが良かったかな。

宝物館では長谷川等伯の画や本阿弥光悦の書をはじめ、収蔵している美術品を入れ替えながら展示しているようです。個人的にはお寺の玄関口にあった獅子の絵が気になりました。等伯…ではないよなあ。少し古そうで、桃山時代の水墨画の雰囲気があるように思うのですが。

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等伯は利休と親しくなり、光悦は古田織部が師であったことを考えると、等伯・光悦ともに、当時の革新の流れにいる芸術家だったのだなあと思ったり。日親上人の不屈の生き様に寄り添った本阿弥家でした。ゆかりのお寺をめぐるだけでも、いろいろ見えてくるものがあって面白い。

お寺を出る前に境内をぐるり。本堂の側には、光悦手植えの松と長谷川等伯の像が。今日では国宝たる作品を残している光悦と等伯ですが、等伯が20歳ばかり年上と生きた時代も重なっており、フォアグラキャビアのせみたいな絵面も、別段不自然なことではないに違いないのです。

南禅寺

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午後は琳派うんぬんから離れて、気になってるのに行きそびれている詩仙堂に行きたいなと思ってたのです。しかし白川通りに出るのに、少し遠回りして北白川疏水通を選んだことから、そういえば南禅寺にも行ったことがないんだった、と急に思い出して行き先変更、南禅寺水路閣へ。

南禅寺についた時には日も傾いて、拝観はせず、水路閣周囲をうろうろしました。人多いー。水路閣のアーチ越しに写真撮っていて楽しそう。

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水路沿いを歩けたので、どこまで続くのかな、と先を行く人の後についてみる。斜陽が木漏れ日になってきれいでした。水路はけっこう長くて、さらにその向こうにはなにやら線路の跡地が。蹴上インクライン跡というらしく、水路の急こう配を避けて船を台車で移動するために設けられたのだそう。

今は台車が行き来することもないようで、散歩の人や観光客がのんびり歩いている。鉄製の細いレールの上をバランスとって歩いたりして、童心に返れる場所でした。両脇は桜並木が続いているので、ここは桜の季節にくるとすごいんじゃないかなあ。何かと春の風景を思い浮かべてしまう冬の旅です。

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関連URL

伊藤若冲-京都ゆかりの作家|京都で遊ぼうART
はやばやと隠居をし、家自体は次弟に譲っていた若冲ですが、当時の史料「京都錦小路青物市場記録」によると明和8年(1771)頃には錦市場のある地域を代表する町年寄のひとりを勤めていたと書かれているそうです。

長谷川等伯とは-京都ゆかりの作家|京都で遊ぼうART
日本一の絵師を夢見、秀吉・利休を魅了し、狩野永徳を恐れさせた男―――
[…]どんな画題も自由自在、精緻にも豪放にも描き分けたその実力はまさに天才でした。
また、その波乱万丈の生涯は人間味溢れるエピソードに彩られ、まるで大河ドラマのようです。

−裏千家ホームページ 茶道資料館 春季特別展 「光悦・等伯ゆかりの寺 本法寺名宝 」
本展では、本法寺に伝わる名宝の中から、寛政9年の茶会と、『等伯画説』に焦点をあて、関連する作品を展示いたします。あわせて、本法寺に帰依した光悦・等伯ゆかりの絵画・書跡・工芸もご紹介いたします。

長谷川等伯「波龍図屏風」など。