渋谷のユーロスペースでイスラム映画祭という、イスラムを扱った映画ばかりを上映する催しがあると聞いて、週末の昼ごろ出かけましたら、ものすごい盛況で、仕方なく夜の回から見ることにしました。
めあてだったオープニング作品「禁じられた歌声」は12月26日から4週間上映されるそうで、それを後日にまわして、この作品以外に適用される3回チケットを買うのも悪くないな。ということで、翌日ふくめて三作品見てきたのでした。
その結果がよかったのだ。私の見たい度ランキング4位だった「神に誓って」が、ものすごいパンチ力のある作品だったのです。とはいっても他の2作品も良くて、イスラム主題の映画を、ただよせあつめたのでは決してなく、いうなれば良品発掘上映会という感じの、見ごたえある映画祭でした。
感想をば。
長い旅
フランスに住むモロッコ人二世のレダは、免許停止処分になってしまった兄の代わりに、かねてからの父の願いだった巡礼の旅に付き合わされることになる。どうしても車で行くという頑固な父と、反発を隠せない息子の、聖地までの旅。
旅の途中、レダは不思議な夢を見る。羊飼いを見送る夢がはらむ予感は、聖地で父を捜している途中、暗闇のむこうから現れる羊の群れによって、現実へとつながる。丁寧な伏線から物語のテーマが浮き上がってくると、旅全体、ストーリーそのものが、「巡礼とは何か」への答えとなるイメージになっていることに気づかされます。
息子が父に、なぜわざわざ苦労して車でいくのか? と尋ねると、父は旅の過程を、時間をかけて蒸発する海水になぞらえます。ずいぶん前に読んだかわんごさんのブログで、母親と四国の巡礼にいく記事があったのだけど、それに近いのかな。お遍路歩きも、その過程が大切にされるから。
親の信仰心につきあって旅をするうちに、その人生に思いをはせる。一度きりの人生、さきの未来にはいくらかの分岐があるけれど、歩んだ後には一本の道しか残らない。まだ若い息子の行先には可能性があっても、年老いた親にあるのは背後にできた一本の道だけ。
人にとってはわびしい道でも、子どもの目には何か否定しがたく、かけがえのない一本道。異なる世代を生きながら、それでもひっそりと継がれていくもの。予告ムービーをはろうと思って通し見して、うるっとくるなど。これ、二度目は切なくて見れない映画だ。
長い旅
2004年・モロッコ=フランス/108分
原題:Le Grand Voyage
英題:The Great Journey
監督:イスマエル・フェルーキ
出演:ニコラ・カザール、ムハンマド・マジュド
http://cineville.jp/iff/archives/product/29
TOMATOMETER
83%
http://www.rottentomatoes.com/m/le_grand_voyage/
ガザを飛ぶ豚
ガザ地区にすむ漁師ジャファールは、ある日、網にかかった豚を引き揚げてしまう。不浄な生き物である豚を、周囲に知られる前に処分しなければならないが、なかなか実行できない。困った末に、ユダヤ人なら豚を飼育していると聞いて、さっそくユダヤ人女性エレーナへ話をもちかけるが——
パレスチナ、ガザ地区を舞台にしたコメディ。ファンタジーと言ってもいいかもしれない。映像もきれい。パレスチナ人の主人公をイスラエル人俳優が、彼と出会うユダヤ人女性をアラブ系チュニジア人女優が演じるという、和平への願いが込められた作品です。
ガザ地区を出るのに審査を受けなければならなかったり、ジャファールの家の屋根には治安維持のための兵士が駐留していたり、フェンスの向こうのユダヤ人入植地、エジプト・イスラエルに制限された漁業の可能な水域、それに自爆テロを英雄視する過激派組織など、独特な地域事情も描かれます。
シビアな状況をあえて牧歌的に描くこの作品。イスラエル兵とパレスチナ人たち一緒になって豚を追うシーンや、殉教者に憧れる少年を平手打ちするジャファール、どうせここ(入植地)は撤去されると冷めた目でいうエレーナ。迷い込んだ一匹の豚をめぐるドタバタ劇に、戦争やテロへと人々を駆り立てるものの、虚しさを暴くようです。
ガザを飛ぶ豚
2010年・フランス=ベルギー/99分
原題:Le Cochon de Gaza
英題:When Pigs Have Wings
監督:シルヴァン・エスティバル
出演:サッソン・ガーベイ、バヤ・ベラル、ミリアム・テカイア、ウルリッヒ・トゥクル
http://cineville.jp/iff/archives/product/41
神に誓って
これはすごかった!製作は2007年、今から8年前の作品なのだけど、これは10年先見てもきっとすごいと思える、重量級の作品でした。上映後にトークセッションもありましたが、これもとても興味深く聞きました。
この作品を撮ったことで、マンスール監督は宗教界から脅迫をうけたりもしたそうで、何度か国外へ避難しなければならなかったのだとか。それでも作品はパキスタンの興行成績を塗り替えて、隣国インドでも大きな反響を呼んだのだそう。
作品の主人公は、マリーと、従兄弟のマンスール、サルマド。三人にそれぞれ預けられたテーマをしっかり描きながら、展開はどんどん見る人を引き込んでいく。見終わったあとに拍手が起こって、なんかすごいのを見た!という気持ちはみんな同じだったんだなあと思った。
ロンドン在住のパキスタン人二世のマリーには恋人がいるが、父はキリスト教徒との結婚を認めてくれない。父親じしん異教徒と結婚し故郷と疎遠になったことで、年々深まる信仰心に責められる思いでいるのだった。結婚の承諾をえる代わり、父と帰郷することになるマリーは、パキスタンで従兄弟のマンスールとサルマドに会う。親戚との再会を喜ぶマリーをよそに、父は二人の従兄弟に娘との結婚を持ちかけてーー。
マンスール監督はパキスタンの音楽番組などを手がけてきた人だそうで、そのためか、作品もパキスタンの音楽が魅力的に取り入れられています。兄マンスールの力強い歌声も素敵ですが、弟サルマドのコーランを詠むシーンも美しいです。
監督がプロデュースしていたバンド、Vital Signsのメンバーのひとりが、原理主義になってしまったことが、映画を作るきっかけとなったそう。彼のファンが動揺しないように、また彼の選んだ思想に引き込まれてしまわないように、イスラム教にはさまざまな解釈があるのだというメッセージをこめたのだといいます。
そう聞いて振り返ってみると、彼をモデルとしたサルマドが、最後まで純粋で優しい青年であり続けるところには、監督の中の愛情のようなものも感じられるのでした。
Dear Pakistanis all over the world NOW is the time to rise above! This is for our generation, the next ones to come...
Posted by Junaid Jamshed on 2015年1月5日
映画の大きなテーマは、パキスタン人二世のマリーにもゆだねられています。海外で生きるイスラム教徒の二世、三世にも、はたして復古主義をもとめるのか。新しい時代に生きて行く彼らが、イスラム教の信仰とどう折り合いをつけていけばいいのか。
その問いは、サルマドが当初イスラム法学者タヒリに向けた「音楽は禁ずべきものか」という問いとも合わせて、終盤の、もっとも白熱する場面、穏健派のイスラム法学者ワリが解釈を説くシーンでひもとかれていきます。イスラム教徒にとって音楽とは、女性とは、信仰とは。
管理を任せていたインドの配給会社がつぶれたため、作品のフィルムが今もう見つからないらしく、今回上映のものも、UAEの映画祭で使われたフィルムを、やっと見つけて取り寄せたのだそう。DVDは出てるみたいですが、日本語字幕版はなさそう。けれど日本国内の映画祭などで幾度か上映の機会があったようなので、この評判が広がって、いろんなところで長く上映される作品になるといいな。
そんなわけで、みる機会は少ないけど全くないわけでもなさそうな作品なので、映画の一番のみどころ、イスラム法解釈対決については、もっと書きたいけれど、言葉少なめにしておきます。
物語のもうひとりの主人公、兄のマンスールは、音楽を勉強するためにひとり米国へと留学します。
パキスタンではリベラルなマンスールも、米国ではパキスタンへの強い愛情を見せる。「パキスタン?それ国なの?」と尋ねるクラスメートに、ひるまず「タージ・マハールはパキスタン人がつくったんだ*1」と熱く語るマンスール。
西欧の人々と同じ目線でものを言うマンスールに、希望のようなものを託しているのかと思って見ていたのですが、あとから知ったことでは、監督の名前を彼につけていて、おそらく自分自身の投影でもあるのだろうという話。
しかしそのマンスールの運命にも不穏の影が差し込みます。2001年9月11日の朝、何気なくつけたテレビに映った、ビルの倒壊シーン。アメリカ同時多発テロ。
911後に立法された愛国者法について地上波で聞くことはあまりありませんが、CSチャンネルではたまに特集しています。テロ捜査の目的であれば、通常定められた権限をこえて容疑者を捜査・拘留できるこの法律のために、不当に逮捕・拘留されたイスラム教徒も少なくなかったのです。
「僕は、ひどいことをするのはアメリカ人の一部の人だけだと知っている。だから君も、イスラムの人々みんなが悪い人間だと思わないでくれ」その言葉は私たち、非イスラムの人たちへ向けた言葉かと思ったのですが、今はむしろ、パキスタンの人々へ向けた言葉なんじゃないかなと思います。
世界を恨まないで。あなたに冷たくするのは、わずかな一部の人々であって、世界中の人々じゃない。
*
そういえば、この映画のタイトルは「Khuda Kay Liye」(神のために)で、この言葉には「どうかお願い」という意味もあるらしい。「神に誓って」には原題の「神のために」と「どうかお願い」のふたつの言葉が持つ、祈るような気持ちが感じられるようです。
監督じしん、長くパキスタンのエンターテイメントを牽引してきた立場、見終えて時間がたつにつれ、この映画は、パキスタンやイスラム教徒の若い世代へ、よい未来をつかめるよう願う気持ちで作られたのだなあと思うようになりました。
原理主義に傾倒するサルマドも、パキスタンの外側で生きてきたマリーも、欧米の価値観におそれず飛び込んでいくマンスールも、監督にとっては等しく愛おしい子どもたちなのでしょう。
神に誓って
2007年・パキスタン/168分/カラー/35mm
原題:Khuda Kay Liye
英題:In the Name of God
監督:ショエーブ・マンスール
出演:シャーン、イーマーン・アリー、ファワード・アフザル・ハーン
http://cineville.jp/iff/archives/product/30