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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ニキ・ド・サンファル展 @ 国立新美術館

art

会期終了まぢかに行って、感想まとめる時間ないな、年間まとめで書こうかと思ったけれど、あとあと考えることも多かった展示なので、やっぱりちゃんと書いておくことにしました。文字だけ長いです。

会期がすすむうちに、あちこちから「よかった」「見ておくべき」って声を聞いたので、行ってきたニキ展。個人的な思いも含めて、行ってよかった。ボーヴォワールを愛読したという彼女にとって、アートとは自分の女性性に向き合い、社会における女性のありかたを問うものでした。

結婚前はモデルもやってたというニキは、はっと目を引く美貌の持ち主。けれど愛人をつくる夫に耐える母の姿や、その父による性的虐待など、彼女は女性であることで傷ついてきたのでした。結婚後、精神的に不安定になり、治療で出会ったアートが、彼女の”生きのびる”方法となります。

このころの射撃絵画を見て、ああ、これは復讐だなあと思った。歴史的にみて男性のものだった暴力性を、女性である彼女が手にする。父や兄や別れた恋人が彼女に向けたさまざまな形の暴力を、同じようにし返す。アートならば実際にはだれも傷つかない。彼女自身が言っているように、銃を放つ時、彼女が殺しているのは男たちであり、そして彼女自身でもある。

音声ガイド機の、りょうさんのナレーションがめちゃくちゃ良かったのだけど、プロローグでながれる、”テロリストになる代わりに、私はアーティストになった”というニキの言葉も、展示をすべて見て、ふたたび聴くと、しびれるくらいかっこ良かった。

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初期の作品にみられる二重の暴力性、他虐と自虐は、テロリストの自爆行為に似ている。虐げられ、傷つけられ続けることで、自分さえも自身を傷つける行為にならおうとする。その連鎖から逃れることができず、過激化していく。その行為は彼女にとって快楽だったといいます。しかしその行為に次第に依存し、手の震えを感じるようになると、彼女は銃を置くことを決意するのでした。

その後は女性をモチーフにした作品を作っていくようになります。妊娠した友人を、美しいと思ったことがきっかけで生まれたナナシリーズ。まるで太古の女性像のようですが、彼女自身、その共通した造形を知ったのは、作品をつくったのちのこと。太古も現代も、つきつめれば同じイメージにたどり着くと感じたのだそう。

経緯をおってたどり着くと、ちょっと呆然として佇んでしまったナナシリーズでした。このころからの作品が、抽象をとりいれていて良いのですが、好みはひとそれぞれかも。憎しみが原点の初期の作品にも、感じるものは多々ありますが、ナナシリーズ以降は暴力を手にするのではなく、女性をポジティブにとらえようとする意識に変わっていくのです。

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*イラストはいろいろ適当です。こんな感じの作品、という参考程度に…。

ニキの言葉は印象的なものが多かったですが、とくに好きなのは、(既存の社会のありかたは)男性のなかにある女性性をも抑圧している、という言葉でした。

最近よんだ記事に、三橋順子さんというジェンダー研究をされている方のものがあって、日本において女性から男性へ性転換する比率が、逆のケースに比べて諸外国よりも多い理由を、レズビアンの認識が低いためではないかと推測されていました。女性のまま女性を好きになることが理解されにくい。この話は女性の例ですが、同様に女性らしい男性への不理解もあるのではないか。

以前テレビのインタビューである男性文化人が、「男として生きていて、恋愛対象も女性なのだけど、じつはトランスジェンダーなのではないか? と思われてしまう」というような話をしてるのを見ました。けれど、その人の生い立ちを聞いていると、幼くから芸能の世界にいて、女性的な感性をつよく持っているひとだなあという印象をも受けたのでした。その時にふと、男だけど女性性とともに生きているというようなあり方も、自然なこととではないかと思ったのです。

女性が女性らしくあるよう求められる一方で、じつは男性にも同じ要求が向けられている。男性として生きながら、女性的な感性を受け継ぎ、育み、伝えていく。くだんのインタビューを聞いていて、そういう生き方も、その人だからこそできる、ひとつの美しさのように感じました。ニキや三橋さんの言葉が、そのインタビューを聞いた時の思いと結びついて、なんだかとても印象に残ったのでした。

もうひとつ思ったことは、女性が女性について考えるということです。私の母親は女の子らしいものが嫌いだったので、私自身、少女漫画はほどんど読んだことないし、男っぽいものに憧れが強いまま育ちました。その意識が変わってきたのは、ほんとうに最近のこと。「レズビアン短編小説集:女たちの時間」という本を読んだことがきっかけです。

恋愛に限らず、男が男を描く、男どうしの絆の世界は、これまでにも幾度となく描かれてきたのでした。けれども、女が女を見る、女どうしの絆は、描かれることがあっても、評価されることはほどんどなく、後世に残らない。あるいは興味半分に描かれる程度である。その解説を読んで、今までの自分はどうだっただろうと思ったのです。

女性ならではの、人生ふしめふしめにおこる感情があります。周囲が異性を意識し始める時期のあの違和感。社会に出た時に知る、自分の女性としての不器用さ。結婚適齢期から、自分の女性性が失われていく予感。私は、女性だからこそ感じることに感性をむけてこなかったのではないか。

ニキは生涯をとおして女性性と向き合ったアーティストでした。彼女にとってそれは、目をそらせないものだったのだろうと思います。

新装版 レズビアン短編小説集: 女たちの時間 (平凡社ライブラリー)

新装版 レズビアン短編小説集: 女たちの時間 (平凡社ライブラリー)

あまり展示のことについて書いてないので、話をもどして、ニキの作品でいちばん好きだったモチーフについて。彼女の後期の作品には、蛇をモチーフにしたものがたくさんあります。本物の蛇は苦手ですが、彼女の作品のものはとても惹かれました。

幼いころ森で絡まりあう二匹の蛇にであったというニキ。蛇を眺めているうちに、まるでかれらに同化してしまったように恍惚としてしまったのだそう。その同じ年、兄がいたずらで死んだ蛇をベットにおいたり、父の虐待を受けたりして、彼女にとっての蛇は複雑で特別な存在となったのだといいます。

蛇を繰り返し作品にとりいれたのはトラウマの克服という面もあったのでしょう。けれどそれ以上に、彼女じしん蛇のもつイメージに惹かれたのではないかと思うのです。彼女にとって蛇とは、生命の根源ではなかったか。時に暴力的で、時に甘美に恍惚とさせるエネルギーの源。他者に抑圧され、アンフェアな状態にあるとき、そのエネルギーは、彼女に牙を剥き、加減もなく痛めつける。けれど他者との関係に均衡がたもたれ、互いを尊重しあえるとき、二匹の蛇は愛と調和の象徴になる。

香水瓶にはじまり、最後の部屋にあらわれた大きな噴水まで、二匹の蛇のモチーフには、彼女が感じていた無限のエネルギーが伝わってくるようです。この部屋で、ガイド機のなかのニキのことばを繰り返しきいてしまった。はじめはテロリストと同じ心境でアートを手に取ったのかもしれないけれど、彼女にはその先があった。そのことばとおり、彼女はテロリストではなくアーティストになったのでした。

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ニキ・ド・サンファル《ブッダ》 1999年. Yoko 増田静江コレクション *この作品だけ撮影可でした

ジェンダーについて日ごろ思うことは多いですが、ぱらぱらと考えていることを、いったん集約するきっかけになるようなニキ展でした。でも、何を感じるかはひとそれぞれのような気がする。ジェンダーとっぱらってみてもいいと思うし。

そういえば、ニキが女性ならではのものとして「直感」をあげていて思い出したんですが、里帰りするたびに母が「女は50すぎると霊感が出てくる」というようなことをいいます。前に夜空を見てたら、星がいっせいに流れはじめて、空じゅう流星でいっぱいになったらしい。昔はUFOも幽霊も「自分の目で見るまでは信じない」と言ってたのに。大丈夫なんでしょうか。けれどまあ、女として歳をとる楽しみを、こっそり分けてくれたのかもしれません。

ニキ・ド・サンファル展 @ 国立新美術館
2015年9月18日(金)~12月14日(月)
10:00~18:00
毎週火曜日休館
1,600円(一般)

関連URL

Yoko増田静江コレクション | Niki Museum Gallery
「生きること」と「つくること」を重ね合わせてきたニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle)の作品を、ニキ自身の言葉を添えながら、テーマごとにご紹介していきます。

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 三橋 順子(性社会・文化史研究者・明治大学文学部非常勤講師)
 小林 秀章(セーラー服おじさん)ほか

カヒミ・カリィさん。娘さんの名前は彫刻家だった母と、彫刻家つながりで? ニキ・ド・サンファルからとったらしい。