日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

月映(つくはえ) @ 東京ステーションギャラリー

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東京ステーションギャラリー「月映」展へいってきました。

大正期、三人の画学生が創刊した木版画の雑誌「月映」の刊行は、一年ほどの短いものでした。1988年に竹久夢二と関わりのある作品として展覧会で取り上げられたのち、彼らの活動を見直す流れの中で、刊行100周年をきっかけにして開催される展示会です。

東京駅へ予約した切符の受け取りにいくついでにちょっと、という気持ちで立ち寄った展示会でしたが、レンガづくりと薄明かりの照明という館内の雰囲気もあいまった、日常を遠くするような空間で、その表現への渇望や幸福感に深くひたるひとときでした。

三人の画学生のうち、恩地孝四郎は版画家の道を進みましたが、雑誌創刊の求心力となった田中恭吉は、結核により短い生涯を閉じることとなります。田中と深い友情を結んだ藤森静雄は、その後、教師の職につくかたわら版画の制作を続けたのでした。

三人が交流を結び、その最後の刊行の日までの短い時間は、「月映」のその名のとおり、ふいに差し込む月の光の、鮮やかに浮かび上げる人生のひと時であったのでしょう。

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展示会図録/恩地孝四郎 公刊「月映」ポスター 1914年

とくに田中恭吉と藤森静雄の呼応するような表現には、しみじみ感じいるものがありました。藤森の作品は情緒の強さを感じさせますが、田中は俯瞰性をもって描くところがある。それが展示が進むにつれ、互いの要素が入り混じるように感じられます。

個人的には、藤森の作品に共感を深くもちました。孤独や深い思索に好んでひたるような雰囲気があります。それゆえに、田中のもつ惑いのない発想への憧れを持っていただろうことも、伝わるような気がしました。

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藤森静雄「ピアノ」(1913年)和歌山県立近代美術館/田中恭吉「スパァク」(1914年)和歌山県立近代美術館

藤森の初期の作品には、ナビ派を思わせるような親密な雰囲気があります。当時の時代の影響もあったのかな。田中の「スパァク」という作品は、きっとこれはゴッホの色彩なんだろうなって思った。青に沈む世界にちらちらと踊る光。印象にのこった作品のひとつでした。

全体的に恩地、藤森の作品が多いのは、田中の容体が次第に芳しくなくなっていくためでしょうか。友人に差す病の影が濃くなるのを眺めながら、藤森は妹の死をも経験せねばなりませんでした。孤独の音をじっと聴くことしかできない、闇の淵にいるような表現が、この時期の彼の作品に増えています。

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田中恭吉「あをそら」(1914年)和歌山県立近代美術館 / 藤森静雄「映心」(1915年)宇都宮美術館・愛知県美術館

田中恭吉「あをそら」は、真白の空を反るようにしてあおぐ人物を描いています。死によって灼きつけられる鮮やかな生の刻印。短い生命の激しい一瞬をきりとるようです。いっぽう、藤森静雄「映心」には、しずかな光に向かって立つ人の姿があります。

その光は生へといざなう導きの光であるかもしれません。しかし同時に、残された世界で、それでも「生きねばならぬ」悲痛の思いも感じさせるようでもあります。死に直面した者と、残された世界を生き続ける者の、目に映る時間のちがいと、それぞれの重みを見るようでした。

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藤森静雄「夜のピアノ」(1914年)福岡市美術館
藤森静雄「宇宙のながれを我は聞く」(1914年)宇都宮美術館・愛知県美術館

また、藤森の作品にときどき見られる、音楽の主題もいいなと思いました。恩地、藤森、田中の作品に共通するのは、詩を読むような感性のように思います。一枚の版画のちいさな枠に濃縮される詩の世界。そういうものがとても良かったので、ついつい図録まで買ってしまったのでした。

そんな「月映」展も、11月の初旬までの開催。会期終わり間際に行く展示会ほど、とてもよかったりして。人も少なめで、展示室を行きつ戻りつ、心ゆくまでゆっくりひたれました。

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藤森静雄「あゆめるもの」(1914年)宇都宮美術館・愛知県美術館恩地孝四郎「抒情Ⅱ」(1914年)和歌山県立近代美術館

展示会レビューはここまで。のこりは極私的な感想です。

雑感

東京駅に向かう途中でpressoというアプリでニュースをチェックしてたら、「SF作家、伊藤計劃は裸の王様ではないのか」という記事が目に入って、ふむふむと読んだのですが、その前に、CDやさんで何気なく米津玄師さんの新譜を試聴したりしてて、思うところありながら見に行った展示会でもありました。

ブロガーとして注目もされていた伊藤計劃と、ニコニコ動画の動画投稿者として注目されてデビューまでいたった米津玄師さんと、どことなく似てると思ったのでした。「どこがいいの? もうすでに***(適当なSF作家やロキノン系バンド)がやっているよね」と言われれば、うん、そうだねとしか答えられないところも。

月映という雑誌もそうで、画学生三人が創刊した作品集が高く評価されるのは、その中の一人が死と向き合ったドラマを見ているだけではないか、とうがった見方も、しようと思えばできるのです。もちろん展示はそうではなく、その活動が「創作版画の草創期を形成した」点での評価を土台にしているのですが。

芸術の評価とはどこにかかるものなのか。完璧な作品だけがそれに値するのか。あるいはそうでなくても、数年後に現れる作品に何かしらの痕跡が残る影響力があれば、そうとみなせるのか。
たとえ、そのどちらでなくても価値はあるのではないかと、私個人は思うのです。

それはそこに湧き出る表現の源泉を見るからです。それらがいかに完成度を高めていけるかは、その次の話。自分の中の熱を外に放出しなければ、その身を焼いてしまう。そんな焦燥を目の当たりにするようで、たとえ技巧がいまだ未熟であっても、その熱量に圧倒されることもあるのではないでしょうか。

これは推測ではありますが、自分で創作する人ほど、そういう見方をするんじゃないかなと思います。そこはまだ形にならないインスピレーションで満ち溢れています。彼らの熱量と形の定まらない思いつきに、次なる意欲を触発されることもあるような気がします。

自分の中に色をため込む資質は、誰しも持ちうるものではありません。私たちはせいぜい、ある程度の淡い色合いを抱えて生きるくらいでしょう。けれど時おりものすごく濃密な色を身のうちに潜める人がいる。その色を外に出さないと溺れてしまう。彼らは共通して、ひとつの表現にこだわらないように思います。ひとかどの芸術家になりたいというより、身のうちの色彩の発露として、言葉や絵画や音楽という手段を手にしている。

一方で、こういった創作における霊感をいつまでも保ち続けるのは、至難の技だろうと想像します。若いうち、まだ実りのないうちが、その熱をためこめる時期でもあるのでしょう。あるいは、田中恭吉や伊藤計劃のように、死に迫られて密度を増すことも、確かにあるのかもしれません。

持ち得ても一過性の熱量だからこそ、純粋な熱量をもつ表現者に、凡庸な表現者は憧れるのです。

月映展には、若さゆえの溌剌とした表現欲も感じられました。作品を作り上げることは、そこに自分の存在を焼きつけることでもあります。また、近い友人や敬愛する人との間に、影響され、影響をあたえる中で、そこに自分の存在を見つけるのかもしれません。そんな興奮や喜びを感じる展示会でもありました。