日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

躍動と回帰 ―桃山の美術 @出光美術館

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前々から気になっていた出光美術館の「躍動と回帰」桃山時代の美術展。
そろそろ行かなきゃと思ってたら、もう会期終了まぢか。
しかも、すごくよい内容だったから、もう少し早くいけばよかったな。

日本美術コレクターのロバート・ファインバーグは、その蒐集品の多くを生んだ江戸時代について、それまで中国の影響下にあった日本本来の美的な感受性が表面化し、花開いた時期だと記しました*1。その「日本本来の美的な感受性」について、P.ドラッガーは、その芽生えは江戸時代より以前にあったと見たのでした。

鎌倉時代、仏教美術をはじめ中国からもたらされた影響から、やがて日本の独自性が芽生える。その経緯に興味があったので、桃山時代にやまと文化への回帰があったのではないか? という視線でたどる今回の展示は、どんぴしゃといった感じで、すごく面白かったです。

桃山時代の絵画 平面の空間性

陶芸と絵画の二軸で進める展示、まずは長谷川等伯の屏風絵が二点、向かい合わせに飾られています。
中国の画僧、牧谿の作品を参考にした「竹鶴図屏風」。牧谿は日本で好まれた画家ではありますが、作品キャプションではさらに、等伯の筆に独自な感性のおこりを指摘します。

それがよく分かるのが等伯「竹虎図屏風」。左隻に、狩野探幽が描き足した竹が見られます。ふたりの竹を比べると、墨の濃淡による表情がある探幽に比べ、等伯は一色の墨で勢いよく描く。その平面性がやまと絵との相似であり、その面の美は、のちの琳派にもつながっていくものだそう。

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長谷川等伯「竹鶴図屏風」(一部)桃山時代 出光美術館

などといった考察はさておいても、「竹鶴図屏風」は、足を止め見入る人の多い作品でした。鶴を描いて初冬の竹林でしょうか。しんとして冷えた空気が伝わります。平面のレイヤーを重ね、木々の奥行きを演出しています。霧のためか色をおとす竹葉のつくる緩急、静まる冬の音の心象。

展示はさらに、やまと絵を担った土佐派の衰えと、代わって領分をこえてやまと絵を我がものにしていく狩野派の流れを見ます。やまと絵の様式に、大胆さ、絢爛さを意欲的に取り入れる狩野派と比べて、土佐派の絵師が描いたと見られる「松図屏風」は、静かで端正な作品。装飾的な画面と、岩や幹の苔、松の葉の細かな描き込みに、尾形光琳の「雪松群禽図屏風」が思い起こされました。

桃山時代の焼きもの はかなさの造形

桃山美術を見るもうひとつの軸、焼きものは、形の整った中国の青磁器からはじまり、いびつな国内の焼きものへと視線を移していきます。ゆがみ、染み、割れといった負の要素に、美を見出す桃山時代の焼きもの。自然をなぞらえる有機的な色合いや造形。それらは”味わい”としてとらえられました。

このあたりサントリー美術館藤田美術館展」で知ったことでしたが、その流れを丁寧にたどると、しみじみ感じるものがありました。「高取砧形花生」の胴に見るくぼみは、形の仕上げに、手のひらをそっと押しあてたのでしょう。つくり手の一瞬の緊張をとおして、存在さえもそこに焼きつくようです。

ある映画で、絵画の写しを描く職業画家たちは、自分の作品だという跡を残すため、人物の瞳にサインを残した、というエピソードがありました。展開上の創作かもしれませんが、とても好きな話です。
名もなき職人の自己の刻み。芸術への意識の芽生えを、その瞬間の心の動きにみるようです。

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「高取砧形花生」/「朝鮮唐津上手付水注」桃山時代 出光美術館

職人たちが焼きものの肌に残した手の跡やひずみは、作品を唯一無二のものにしたでしょう。それは遠い時代の誰かとの出会いでもある。美の何たるかをつかもうするとき、ふと見れば遠くにある、おぼろげながら確かな存在。その誰かの心をたどることで、はるか遠い時代のその人と、同じ景色を見る。

その一回性は、釉薬のあしらいの工夫にも現れます。釉流れの美しい作品を見る後半、中でも朝鮮唐津が好みでした。黒飴色のうえから藁灰釉を流しかける。二色のであう部分は青みがかり、冬の景色のよう。一瞬の素早い秞がけと異なって、釉薬が溶け合うまでの、静かな時間が宿る一品です。

終盤では、水のイメージでうつわを紐解きます。うつわに宿る聖性にはじまり、そこにより添い絶えず流れた水の印象をたどる。水指や花生は焼締陶が好まれましたが、そこには水を受ける岩のイメージがあったようです。無装飾のぶん、瓢箪や井戸といったモチーフや銘に水のイメージをたくしました。

ふりかえってみれば、ひしゃげた造形の「伊賀耳付水指」も、その自在なかたちを、水の動きになぞらえているのかもしれません。うつわが秘める自然の存在を、意識して見るのもおもしろいかも。

崩れに美を見る桃山美術。その一回性のなかに古人との対話の瞬間をもつ。これまで数多の芸術家たちも、うつわに時間を隔てた対話をしてきたものかな、対話の余地も作品のもつ魅力なのかもしれない。などと思って、キュレーションの熱っぽさにあてられ、図録まで買って帰った桃山美術展でした。

*1:ファインバーグ・コレクション展「江戸絵画の奇跡」図録より