日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ディン・Q・レ展:明日への記憶 | 森美術館

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お仕事がえりにふらりと森美術館にでも。

と、閉館の二時間ほど前にたちよったディン・Q・レ展。なかなかどうしてボリュームある展示で、貸出し無料のガイド機やら、映像作品を丁寧に見聞きしていると、とても二時間たりない内容でした。

印象深かった作品にしぼって感想を。

うしなわれた記憶をもとめて

ディン・Q・レはアメリカ育ちのベトナム人アーティスト。家族が10歳の彼を連れて渡米したのは、1978年当時カンボジアとの国境近くに暮らしていたため、ポル・ポト派の侵攻を逃れてのことでした。

アメリカに育ちながら、ベトナム人でもあるレ氏の中には、ふたつの国の文脈があるようです。ベトナムの伝統的なゴザ編みの手法で制作される「フォト・ウィービング」には、アメリカのメディア、彼自身の記憶、人づてに聞いたベトナムの話といった複数のイメージが、一枚のなかに並存しています。

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「フォト・ウィービング」シリーズ「消えない記憶#10」「消えない記憶#14」(2000-01)「無題(パラマウント)」(2013)

それはディン・Q・レ彼自身の意識の世界なのかも。アメリカと、彼自身と、同郷の人々のもつ記憶。
どちらかを否定するでも、肯定するでもなく、また入り混じるのでもなく、チャンネルを変えれば映像が変わるように、いくつかの風景を自分のなかに抱いている。

そんな流れから、手作りでヘリコプターをつくったトラン・クォック・ハイ氏の、インタビューをもとにした映像作品へ。ハイ氏自作のヘリコプターの実寸大のものが展示されていました。話では手作りヘリコプター、3メートルほど浮上したのだそう。

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農民とヘリコプター(2006) *手作りの実寸大ヘリコプター

ハイ氏は無学ながら機械にめっぽう強く、農民たちの農機具を作ったり、カンボジア政府が外国から購入した戦車を修理したりしている、独学の技術者なのだそうです。インタビューでも「ヘリコプターなら何時間でも見ていられる」と、機械オタクらしいセリフを口にしていました。

しかし、この自作ヘリコプターは政府に没収されてしまいます。人々の多くはハイ氏を応援しますが、一方でベトナムには、ヘリコプターに対して抵抗をもっている人も少なくない。レ氏はメディアには取り上げられない、そういった声を、この作品で汲みあげたのでした。

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「巻物:ティック・クアン・ドック」「巻物:ファン・ティー・キム・フック」(2013)
*著名な二つの報道写真*1を巻物状に引き伸ばした作品。情報が拡散・時代を経るにつれ免れない変質を示唆しているのかも。

戦争でベトナムの人々に恐怖心を植えつけたヘリコプター。ハイ氏のような戦時中幼かった世代は、先進国のもつ技術を、自分たちも手にしてこその平等ではないかと言います。別のおばあさんは、なんであれ受け入れられない、「若い世代にとって戦争はおとぎ話かもしれなけれど」と。

ヘリコプターを西側諸国の象徴とみると、その象徴を暴力から支援の技術へと転じさせていく若い世代に、柔軟さをみることができます。けれどもアメリカに育ったレ氏にとっては、しかしその過程で置き去りにされてしまう感情に、より思いをいたらせているようでもあります。

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「抹消」(2011)

展示の中でとくに印象にのこったのが、無数に散りばめられた写真の海を渡るインスタレーション
記憶の海から来館者が選んだ一枚は、のちにスキャンされウェブアーカイブとなります。自身も難民であったレ氏。豪領クリスマス島沖でおきた難民船遭難事故が、その制作のきっかけになったのだそう。

この空間とてもよかった。数枚手にとっただけで、長くは見つめられなかったけれど、何分もしゃがみこんで写真を眺めている人とかいた。空間や時間を隔てた他者の存在を、対一の視線で見つめる。政治のはざまに漂流する一人ひとりに、顔があり、家族があり、故郷があると思いおこさせる作品です。

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「抹消」(2011)

ミリタリーグッズを集める日本人男性をインタビューした作品「人生は演じること」も、なかなか示唆的な映像作品です。米兵、日本兵、そして北ベトナム兵の軍服に着替えてはポーズを決める男性。彼になぜひかれるのか。その理由をレ氏はインタビューで語っていますが、その経緯がすごい面白かった。

彼は、この日本人男性がベトナム戦争を再演することで、太平洋戦争が日本にとってどのような体験だったかを得ようとしているのではないか、と読みます。さまざまな国の軍服を脱ぎ着することで、自分とは別の誰かになる。その境界の行き来*2に惹かれるのかもということが、個人的に思うことでした。

なぜベトナム戦争をたどるのか。それは、彼の中から奪われた故郷を、そうでありながら、どこか他人のもののようなその風景を、とりもどそうとする行為ではないか。展示は個人の経験にもとづく眼差しから、やがて、アーティストとして国際紛争や政治にどう関わるかという眼差しへ変わっていきます。

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「記号と合図の向こう側」(2009)「愛国心のインフラⅠ」(2009)
バリケード」(2014)*対フランスのアルジェリア独立戦争に、かつてのベトナムの姿を見る。その共鳴から生まれた作品。

共産主義に賛同はしないけれど、と前置きしながら、レ氏は、北ベトナム兵に従軍した画家のスケッチに心をひかれたといいます。画家たちへのインタビュー映像では、一人の兵士として銃をとるように絵筆をとったのだという主旨の言葉が出てきました。それはもうひとつの彼らの戦いだったのでしょう。

けれども何枚ものスケッチには、銃を肩に下げながらもひととき休憩をとる、ごく自然なベトナムの人々の表情が描かれています。写真の海の作品で「人間性をとりもどせるように」と願ったレ氏は、彼ら従軍画家のスケッチにも、人間性を取り戻そうとする心の動きを感じたのではないでしょうか。

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「光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ」(2012)*一部

従軍画家たちの作品は、本来なら、善悪のあらかじめ決まった中で答えを描くものであったでしょう。けれど長く過酷な戦争で、そうでないものも描くようになっていく。

最後の展示は、共産党抵抗勢力として活動してきたトラン・トゥルン・ティン氏の作品。共産党の活動に距離をとるようになってからは、絵画制作に心を傾けました。レ氏は、抽象画の作品の美しさを純粋に讃えながらも、戦いではないものを描いた従軍画家たちのその先を、彼に見たのかもしれません。

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「闇の中の光景」(2015)*トラン・トゥルン・ティン氏を題材にしたインタビュー映像、6点のドローイング

ディン・Q・レ氏にとってアートは「問いを投げかけるもの」なのだといいます。あらかじめ決まった答えに導いていくのではなく、作品に出会う人のなかに、いくつもの問いを生じさせるものなのだと。より質の高い答えに近づけるかは、私たち自身がどれだけ真摯に問いに向き合うかにかかっています。

そんなふうにアートをとらえたことがなかったので、駆け足の鑑賞ながら、多くのことを考えることができて、とてもよい企画展でした。会期も終了まぢか、帰宅してあわてて記事にしたためた次第です。

そのほか考えたこと

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農民とヘリコプター(2006)

少し前の話。つけっぱなしのテレビから、ベトナム戦争に参加した元米兵と、爆撃の被害にあったベトナムの民間人インタビューで構成されたドキュメンタリーが流れてきて、その対比があまりに凄かったので、思わずテレビにくぎづけになりました。

照準をあわせてボタンを押せば、標的である家々を爆撃できる。その攻撃は、安全な場所からゲームのようにおこなえるものでした。元米兵の男性はそのときの興奮を語ります。一方で被害にあった女性は、大きな喪失と傷をおったまま、その後の人生を生きなければならない。

番組の最後で、元米兵は自分たちのやったことが、本当に必要なことだったのかと自問するのですが、しかしそれは様々な情報を得たあとの認識なのでしょう。相手の情報のない最中、ことに戦場においては、倫理的な正誤など測る余地はないのではないでしょうか。

相手がいち農民だとしても、銃を隠し持っているかもしれない。ゲリラとの協力者かもしれない。どこまでが民間人で、どこからが敵だったのだろう。小国の紛争の向こうに大国の事情があるように、国際紛争の構造は複雑で、ましてや他人が人ひとりの生死を審判するなんて、そもそも不可能ではないか。

そういった判断の困難なグレーな領域が、私たちの世界のほとんどで、そういう微妙なラインへの判断の感度をあげていくには、多方面のいろいろな人の言葉を聞く経験を重ねるしかないのかもしれない。
ヘリコプターの映像作品は、2度も見てしまいましたが、そんなことを考えました。

いのちの戦場 -アルジェリア1959- [DVD]

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虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

最近、虐殺器官という小説を読み終えまして、ちょうどその感覚で見に行ったので、ヒリヒリする気持ちがひとしおでした。作者もつねに問いを持ちながら日々を生きた人だっただろうなあと感じさせられます。読み終えて、自分の中に問いを投げかけられる。あらためて思うと、すごい作品でした。

いつかきちんと書きたいなと思うのですが、伊藤さんは言葉や発想がとても美術的なところがあって、最後にはたくさんの問いの種を蒔かれてしまう感覚もまた、アート的だなあと思ったのでした。

関連URL

ディン・Q・レ インタビュー
表面上に見えるものを越えて、完全に掴みきれないような何枚ものレイヤーがその下に隠されているのではないかと理解が深まりました。ふたつのイメージがピクセルとストリップ(※ひも上に裁断された写真)からなる領域の支配権を競い合い、それはある意味で、ハリウッドによるイメージの支配権を打ち壊そうとする私の試みでした。
http://www.art-it.asia/u/admin_ed_feature/LxOV4pelUKiYPaNcmIXy

ディン・Q・レ インタビュー(2)
日本人画家としてプロパガンダの「戦争記録画」を描き、戦後、激しく糾弾されて国を離れたレオナール・フジタ藤田嗣治) を知ったのは興味深いことでした。(略)制作の動機のひとつとして、私が現在のベトナム政府にどう対応すべきかを考えたり、自分がとるべき選択肢や当時自分が活動していたら何を選択していたかについて考えたりする手助けとして、彼らが体験したことを理解したいという欲望もありました。
http://www.art-it.asia/u/admin_ed_feature/IwxkRHEoFpGXesL6lij8/

今回の展示の答え合わせのような、かなり深いインタビュー。

「フォト・ウィービング」のイメージは「並存」と感じたのですが、レさんは、アメリカメディアの向こう側に存在する像があることを描いていたのかも。抽象主義が政治に対するアートの逃げの姿勢である指摘も興味深かった。答え合わせで自分の感覚とのズレに気付けるなあと思った。

アートと政治の関係を考える、すごくよい企画でした。