日々帳

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箱根で琳派 大公開 ~岡田美術館のRIMPAすべて見せます~|岡田美術館 part.2

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岡田美術館、秋冬の琳派展の内覧会に参加してきました。
どうせ感想が長くなるだろうと思ったので、記事を二回に分けることにしました。こちらは寺元副館長のお話や、考えたことこまごまと自分用のメモ的なエントリです。

どんな感じの美術展か、さらっと知りたいという人は、こちらの記事のほうがおすすめです。

12月半ばまで宗達、光悦、光琳の京都編、冬春にかけて抱一、其一ら江戸琳派、また大坂の中村芳中などを展示するようです。図録をみるに、前後期けっこう作品が入れ替わるのではという気がするのですが(また行かないとなのかしら)、とりあえず今時期の展示は、なんといっても雅やかな京琳派です。

今回のメインの作品、光琳「菊図屏風」は、国宝「燕子花図屏風」を思わせる、リズム感をもった装飾性ある構図ですが、より踏み込んで画面に動きを表現しているように思います。たんに図様を繰り返すのではなく、花は向きをそれぞれにして、金屏風の白菊は風にゆれて踊るよう。

菊花の白は、胡粉に淡墨を塗って、さらに胡粉を重ねているのではないかとのことで、細かな工夫で花びらの表情をつけています。緑青と墨で描き分けた茎と葉が、代わる代わる配置され、画面にリズムを生んでいる。燕子花図の静謐さも好きですが、そこから比べて菊図屏風の動きの意識の明瞭さたるや。

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尾形光琳「菊図屏風」(18世紀)岡田美術館蔵 *館内・展示品の写真は許可を得て撮影しています。

ギャラリートークでは寺元副館長から、作品の見方や買い付け時のエピソードについてお話くださいました。屏風や掛け軸の仕立ても作品のひとつなのだなあと。いつもは気にしないところに注目して、見方が広がったというか、むしろ見方の浅さを知らされました。

たとえば、金屏風の升目の大きさや紙継ぎの枚数、箔足の残り方などで、時代を推定できるのだそう。五紙継ぎのものは古く、三紙継ぎは時代をくだったもの。箔足は古いものほどくっきり残り、のちには箔足を残さず一様に仕上げるようになる。*1知識があると、たとえ作者不詳の一枚からも、読めるものがさぞかし多かろうと思って、聞いているだけでわくわくするお話でした。

本阿弥光悦俵屋宗達の合作「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」は、一巻そのまま残っているものとしても貴重で、買い付けも一筋縄ではいかなかったそう。喜びひとしお品物を車につんだ頃には、すっかり深夜になっていて、東京に向かう途中、心配していた大雪にみまわれてしまいます。

関ヶ原を越えられず、いったん車をとめたものの、重要な一品から片時も離れることがはばかれて、凍える寒さの中、じっと雪のおさまるのを待つ。手がかかる子ほどのかわいさでしょうか、寺元副館長にとって思い出深い一品だということでした。

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俵屋宗達下絵・本阿弥光悦書「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」(17世紀)/尾形光琳「蕨図団扇」(18世紀) ともに岡田美術館蔵

尾形光琳「蕨図団扇」は、日本橋三越で来場者をまっさきに迎えた一品。これを光琳とせず、なにを光琳と呼ぶかというほど彼らしい作品だといいます。蕨をモチーフにした作品は、これとよく似たものを弟、乾山との共作の器にも見ることができます。

さきに掛け軸の見方の説明がありましたが、この作品は、作品上下の帯(一文字)と、上部に垂れる帯(風帯)が貴重なもので、さらに団扇にかかる部分を巻かないようにして保管されていたのだそう。

保存を解かれて品物が目の前に現れたとき、その仕立てや、どのような人の手でどのように受け継がれてきたがということさえも、印象の塊になって飛び込んでくる。ことに光琳「蕨図扇子」のエピソードには、大切に扱われてきた経緯が、そのまま品物の品格になって、寺元副館長の目に映ったのではないかと、そんなことを思いました。

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尾形乾山「色絵菊文透彫反鉢」(18世紀)岡田美術館蔵 / 尾形乾山「色絵竜田川文透彫反鉢」(18世紀)岡田美術館蔵

光悦と宗達光琳とつづいて、奥の展示空間は尾形乾山。その点数の多さには驚きました。
サントリー美術館の乾山展では、研究を重ね、かなり創意工夫を試みた人であったという印象をもちましたが、その乾山の豊富な意匠を充分に見ることができます。

「色絵竜田川文透彫反鉢」の買い付けには6年の歳月があったそうで、所有者の方が「そこまで言うなら、手放すときはあなたにするよ」とまで言ってくれて、それからさらに数年待ったという、双方に思い入れの強い一品であったのだそう。ようやくその日にこぎつけて、品を受け取りに向かうのですが、しかし寸前になって相手方にやはりと迷いがおこる。

手放すほうと手にするほう。鑑賞者の私たちにはおよびもつかない心境です。白洲正子さんは本当に気に入った品を手にいれてしばらく、その陶磁器をかかえて眠ったという話を読んだことがありますが、そんな話を思い出すなど、これぞという一品への思いの深さをしみじみ感じさせられました。

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尾形乾山作「銹絵百合型向付」(18世紀)岡田美術館蔵/尾形乾山作・光琳画「銹絵白梅図角皿」(18世紀)岡田美術館蔵

兄、光琳と共作の角皿は、縁の低いものが多いそうで、乾山が絵付けしやすいようにと工夫したのではないかというお話も、おもしろく聞きました。

実家は傾けど放蕩三昧をあらためられない兄に、堅実な弟は、絵付けの仕事を依頼するなどして経済面を助けていたようで、その上、兄が絵付けしやすいようにこっそり高さを調節していたとしたら、もうどこまでも兄思いの乾山ではないですか。
や、兄「ちょ、これ縁低うしといてくれや」弟「」みたいな会話があったのかもしれないですけどね。

乾山はどうしようもない兄を渋々かまっていたわけではなく、むしろ兄の芸術的な才のいちばんの理解者であったのではという気がします。というのも乾山の「色絵定家詠十二ヶ月和歌花鳥図角皿」(MOA美術館)に思うのですが、狩野派と兄の様式を交互に描き分けるあたり、主流の様式をふまえつつも、今でいう光琳デザインに、いちはやく意識的だったのではと思うのです。

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尾形乾山「夕顔・楓図」岡田美術館蔵 / 尾形光琳「雪松群禽図屏風」岡田美術館蔵 *署名は「蝉川末派青々光琳晝」*2

一方、光琳は乾山のことをどのように思っていたのでしょう。「雪松群禽図」の光琳にしてはやや気取った署名は、学者肌の乾山に教えられたものであると図録の説明に読むと、正反対の兄弟がそれぞれに触発されている様子が想像されて、勝手なことですが、微笑ましく思ってしまいます。

さて、その「雪松群禽図」は今回の大トリです。先のエントリにも描きましたが、大胆な構図ながら細部の丁寧な描き込みがあって、品格を感じさせる一枚です。寺元副館長の説明では、二つの松はよりそって力をあわせる人の姿であると、そこに水鳥たちが集まってくるのだという解釈があるのだそう。

そういえば、国宝「紅白梅図屏風」も、あの白梅と紅梅は老いと若きだ、男と女だ、いや光琳とそのスポンサーかつ愛人であった中村内蔵助だと、いろいろな解釈があるのを思い出しました。こういうモチーフに寓意性をもたせるのは西洋的な気もしたのですが、日本でもわりとあることなのかな。

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「武蔵野図屏風」(17世紀)岡田美術館蔵

たっぷり琳派な岡田美術館でしたが、3階フロアは琳派ではないコレクション作品を展示しています。このフロアもとても楽しかった。琳派ではないとはいっても、やまと絵という流れではつながりがあって、和歌から主題をとった作品が続きます。

江戸時代に好まれて描かれた「武蔵野図」は、もの静かで寂しい秋の野を描いたもの。どうやら類型化して、秋草に山の嶺、月などが要素となるようです。当時の美意識のひとつだったのでしょうか。今回展示の「誰が袖図屏風」と同じく、和歌からの本歌取りで、当時繰り返し描かれた画題のようです。

武蔵野は月の入るべき嶺もなし 尾花が末にかかる白雲(源通方)『続古今和歌集

武蔵野は月の入るべき山もなし、草より出でて草にこそ入れ (俗謡)

岡田美術館の「武蔵野図屏風」は、俗謠のほうも引いているようです。まだ根は緑の秋草ですが、すすきの尾花は白く、その上にかかるのは白雲でしょうか。左隻四翁の下にかかる銀色(今は錆で黒ずんでいる)の月が見えます。草むらに映ってなんぞと思っていたら、和歌にならって描いてるのですね。

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橋本雅邦「四季山水図屏風」(1900年頃)岡田美術館蔵

やまと絵のこういうところ好きです。今回は狩野派でやまと絵を意識したと思われる「春夏花鳥図屏風」や「誰が袖図屏風」も展示されています。また、金地に山水画を描いた橋本雅邦の「四季山水図屏風」も、気になる一点でした。

春画コーナーでは葛飾北斎「浪千鳥」、渓斎英泉「十二ヶ月風俗画帖」を展示。春に来館したときと同じですが、連作のうち作品をいくつか入れ替えています。

前回もそうでしたが、渓斎英泉のものがおもしろかった。あらためてじっくり見ると、本来は隠すはずの傘が裂けて、隠しの役目をまるではたしてなかったり、すだれの隠すようで隠せてない、むしろ注視してしまう仕切りの存在も、行為を隠さなければならない"意識"からのずらしがある。

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渓斎英泉「十二ヶ月風俗画帖」(1900年頃)岡田美術館蔵/「木造金剛力士立像」「木造四天王立像」(鎌倉時代)岡田美術館蔵

絵画、陶磁器を堪能したあと、5階の仏教美術フロアへ。前回きたとき時間がなくてカットしたので、今回はちゃんと鑑賞しましたよ。鎌倉・室町時代の彫像を展示。時代がことなると、像の雰囲気もまるでちがう。鎌倉時代のものはムキムキしてて好みだわと思いました。

満足いっぱいの岡田美術館、秋の琳派展でした。イベント中は素人質問になるかなと聞けなかったのですが、終わってみると、あれもこれも聞けばよかったと、後悔しきりでした。琳派から離れてしまうけど、喜多川歌麿「深川の雪」との出会いとか、むしろなぜ聞かなかったのか。

そういえば、乾山の器に食事を盛り付けて写真を撮りたいと語った、寺元副館長の嬉しそうな表情と、とたんにひえーとあがった声が印象的でした。どんな料理を盛ると合うんだろう。想像するだけはタダだから、つい楽しく考えてしまいます。

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福井江太郎「風・刻」岡田美術館エントランス

好き勝手書いてたら長くなった。

関連書籍

江戸時代の絵画では、代筆や共同制作は当たりまえのことで、「似せ物」は「ニセモノ」ではなかった…。こうした制作事情をはじめ、画材、表装、落款、画賛など「もの」としての絵の要素と、掛幅・絵巻・屏風・襖絵などの画面の「かたち」の情報とから、作品の真贋、来歴、制作意図などを、謎解きさながらに解明。日本絵画の面白さを語って定評ある著者による、絵を愉しむための初めての手引き書。
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B5%E7%94%BB%E3%81%AE%E8%A6%8B%E6%96%B9-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%A6%8A%E5%8E%9F-%E6%82%9F/dp/4047033715

屏風や掛け軸についてのお話が記憶半分だったので、記事を書くときにちょっと参考にしました。
該当部分だけちょっと読んだだけだけど、すごい面白そうだった。古美術をいっぽ深く知る。
今読んでる春画の本読み終えたら、続けて読むんだ。

近世初頭、京焼が生んだ名工野々村仁清尾形乾山。それまでにも京焼は焼かれていましたが、個人名を冠したやきものは存在しませんでした。この二人の存在で京焼はブランド化し、世界に誇れるやきものとなったといっても過言ではありません。また、その伝統やデザインは今日まで受け継がれ、古さを感じさせません。今号では、今なお人気を博する仁清と乾山にクローズアップし、その魅力の謎に迫ります。
淡交社 本のオンラインショップ |

乾山のうつわに料理を盛るというコンセプト、既視感あるなあと思ったら、乾山展のとき買った雑誌でやってた。
滋味な色合いにトマトの赤やら、きんかんの黄色やらは、いい感じに映えてた。
料理人の方の「盛るというより挑む」という言葉には、そうだよなあと。うつわと戦う感じだ。
次からうつわを見るときは、どんな料理が合うかな?と考えてしまいそう。

*1:寺元副館長のお言葉そのままはメモできずうろ覚えでしたので、書籍「日本絵画の見方」を参考に補足しています。:日本絵画の見方 (角川選書) | 榊原 悟 |本 | 通販 | Amazon

*2:”蝉川”は糺森を流れる"瀬見の小川"のことで、都の画家であることを名乗っている。