藤田美術館の至宝 国宝 曜変天目茶碗と日本の美 | サントリー美術館
藤田美術館の所蔵品を公開するコレクション展。藤田傳三郎の蒐集した美術品は、明治の廃仏棄釈のさいに打ち捨てられたり、美術品が海外へ流出することを憂う気持ちがもとにあったとのことで、仏教美術や国風文化の流れにある美術品など、渋めながらどっしり見応えのある展示でした。
中国や朝鮮との文化の関わりや、その中に現れてくる日本の独自性が浮き上がるようで、面白かった。コレクション展は収集家の感性が軸になるのだなあと改めて思いました。
入ってすぐに出迎える「地蔵菩薩立像」は、ひときわ目を引きます。
透かし彫りの船形光背は、光と影の紋様をあたりに投げかけ、像はたんにかたちににおさまるのではなく、空間と響き合って、その存在を拡張するようです。
鎌倉時代の仏師、快慶は、そよ風にたなびく布の動きを得意としたらしく、この像も少し斜めから見ると、そよぐ布のしなやかさに気づかされる。足元の蓮華座には、花びらのひらく一枚ごとの表情。ひとつの像に細かな表情が隠されていて、それがはっと目をひく存在感を与えている。
光と風の表現を織り交ぜひとつの印象としていて、仏像など疎い私にもびしびし伝わるすごさでした。
仏教美術についでは国風文化の作品を展示。奈良、平安時代には金泥で書写された金字経が多くつくられました。平安後期には、かな文字が使われはじめます。一糸の乱れもない金字経と、むしろ崩れを味わう和様の書と、ここに日本独自の感性が形をとるのを見るような気持ちになります。
鎌倉後半の絵巻、国宝「玄奘三蔵絵」は中国の伝記を描いていますが、どうやら様式はやまと絵のもの。雲や波の図様的な表現と、鮮やかな色彩が印象に残りました。題材は中国、様式はやまと絵と、唐風と和風のそれとない取りあわせが興味深い。
藤田傳三郎が茶道具に傾けた情熱も並々ならず、展示の後半は茶道具の逸品が揃います。
「曜変天目茶碗」は、世界に三品しか存在を知られておらず、その制作方法もはっきり分かっていないそう。つくられたのは中国ですが、その三品とも日本にあります。宇宙を見るような、という表現がそのままぴったりな、漆黒に瑠璃色の色模様が美しい品です。
藤田美術館のコレクションには中国、朝鮮のものも多くありました。朝鮮の「御所丸黒刷毛茶碗 銘夕陽」は大胆に歪められた沓形茶碗。大きな湾曲は、おおらかさよりも激しさのように思えます。黒い刷毛の素早い走りが崩れを引き締めて、いびつなだけにとどまらない。
たとえば「砧青磁茶碗 銘満月」も本当に美しい椀で、やわらかな翡翠色を金の覆輪が引き締めています。完成をめざすのが中国の美意識、そして色で勝負をするのだそうです。朝鮮はそこから独自性を求めようとしたのでしょうか、崩れの中に整いを配し、美を見出そうとしたのかも。
帰ってきて少し調べたのですが、日本に入ってきた陶磁器は、天目茶碗をはじめ、中国では主流ではないものも多かったのだそうです。朝鮮でつくられた高麗茶碗も、もとは日常雑器だったものが、侘び寂びの精神に合って日本で好まれるようになったのだとか。
日本の文化は大陸や朝鮮半島から影響をうけたとはいっても、じっさいに日本で重要がられたものは、ずいぶん異なるものだったりして、舶来品にも日本の感性を見ることができるのかもしれません。
江戸時代の町人文化も見ていて楽しいですが、他国の影響を受けながら、独自性を育んでいく中世の文化も面白いなあと思って、古美術展が楽しいこの頃です。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_4/index.html
ルーシー・リー展 | 千葉市美術館
千葉市美術館では、20世紀後半イギリスで活躍した女性陶芸家ルーシー・リーの作品展を開催中です。
オーストリアで裕福なユダヤ人の家庭に生まれたルーシーは、ウィーンの美術学校で陶芸を学んだのち、制作活動にはげみますが、ナチス・ドイツのオーストリア併合からイギリスへと亡命します。以後はイギリスをその活動の基軸としました。
当時ひとりでイギリスの陶芸界を主導していたバーナード・リーチと交友関係をもちながも、彼に作品を認めてもらえず、かなり苦労したのだそう。彼女の作品が売れるようになったのは、アーツ・カウンシルでの回顧展が開催されたのち、60歳をこえ、遅咲きの成功であったようです。
展示はウィーン時代と、リーチの批評から研究を続け、独自性を開拓していくロンドン時代、そして円熟期の作品を展示。新しい作風を得ていくようすなど、彼女の模索を垣間見るようでもあります。
陶芸というもの、仕上がりは火と素材の力に任せるものと思いますが、偶然性をどう仕掛けるかが魅力のように思いました。最後は自然にゆだねるのだから、誰がやっても同じかというとそうではなく、ぎりぎりのところまでは作家自身がつめて、そこにフォルムの繊細さや発色がうまれる。
中国など東洋にならうことが多かった陶磁器に、モダンなセンスを取り入れたというルーシー・リー。薄づくりの肌や華やかな色彩が、ライトな印象を与えています。
すっと受け入れられるような心地よさ。彼女の作品にはその印象がありますが、助手であったハンス・コパーとの共同制作の作品には、そのシンプルな造形をくずすようなフォルムのいびつさがあり、個人的にはその作品がいちばんよかったです。
関連URL
個人で作陶されている方のブログ。井戸茶碗調べてたらでてきた。この白と青の椀がとくにきれいだけど、他の茶碗もでっぷりした形に質感の荒いものとか、どれも素敵でした。
好みもあると思うけど、しばらく焼き物を見に通ううちに、今のところ、楽焼みたいな茶碗が好きだなあと思う。
まとめサイトなので苦手な人は注意だ!
タイトルも煽り気味だけど、関連の追記がおもしろくて読み込んでしまった。
日本では井戸茶碗は高級品だったようですが、朝鮮では美術品としては見向きもされなかったのかな?
引用されている漫画「へうげもの」のシーンは、朝鮮の通信使が日本にきて井戸茶碗でもてなされたところ、こんな粗末なものを出すのかと驚き呆れ、中国の陶磁器を土産にと渡すところ。文化の優位性を中国に見ている朝鮮通信使と、朝鮮の常民の品、つまり彼ら自身の文化に美を見出している日本人との、ちょっと皮肉めいた場面です。
ちなみに黒織部を見本に注文され、朝鮮で製作されたものは御所丸といい、展示会にも出ていた「夕陽」もそのひとつ。あの大胆なひずみは日本好みに仕立てられたものだったのかな。