日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展 | 東京富士美術館

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夏休みは総力あげてレオナルド・ダ・ヴィンチ、な東京富士美術館にいってきました。

タヴォラ家に伝来する板絵を意味する「タヴォラ・ドーリア」と呼ばれる作品は、ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品とされる一方で、第三者の単なる模写にすぎないとも言われ、その真贋をめぐって価値が揺れ続けてきた一枚でもあります。

現在は、レオナルドの案に基づき、弟子たちが制作したものという説が強いようですが、絵にまつわるあれこれの話は後にして、個人的にはこの作品について、見ておいて損はないんじゃないかと思いました。理由は後述しますが、それにしても感想長い。

当初は、誰が描いたか分からないのだしなあ、それにつけても八王子は遠いなあ。と、立川の映画館の魅力を聞かされたついでに、ようやく行くことを決めたくらいの気持ちだったのですが。

タヴォラ・ドーリア来歴

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ジョルジョ・ヴァザーリ 市庁舎(ヴェッキオ宮殿 五百人大広間)壁画「シエナ攻防戦」等 *CC BY-SA 2.5

ことの発端は、フィレンツェ元首ソデリーニによりレオナルド・ダ・ヴィンチへと、ヴェッキオ宮殿「五百人広間」の壁画を依頼されたことに始まります。

フィレンツェ軍が勝利した「アンギアーリの戦い」「カッシーナの戦い」をモチーフに、すでに名声を得ていたレオナルドと、新進気鋭の彫刻家として注目されていたミケランジェロが、この壁画の制作に指名されたのでした。

実現すれば、ルネサンスを代表する二大巨匠の競演となったはずですが、ミケランジェロは別の事業でローマへと呼び戻され、レオナルドもほどなく、ミラノ総督に招かれてフランスへと旅立ちました。

レオナルドの壁画が完成に至らなかった理由として、油彩画にこだわったためうまく行かなかったと説明されていますが、動乱の時期にあったフィレンツェが、有能な芸術家二人を引き止めておく力を維持できなかったことも、背景にあるのでは、とも思います。

壁画が放棄されてから50年後、ヴェッキオ宮殿の五百人大広間の壁は、ジョルジョ・ヴァザーリフレスコ画で覆われることとなりました。

さて、今回展示される「タヴォラ・ドーリア」は、この「アンギアーリの戦い」を模写した作者不詳の作品。1992年に富士美術館が購入しましたが、2012年にイタリアがこの作品を、国外にある「イタリアの重要な文化遺産」と認定したことを受け、富士美術館よりイタリアへ寄贈されることとなりました。

Doria Panel タヴォラ・ドリア | tori.no.saezuri
ダヴィンチの板絵が、日本からイタリアに返還されたというニュースです。
The New York Timesから原文と、訳です。

Doria Panel タヴォラ・ドリア | tori.no.saezuri

2015年から2018年の期間、日本各地を巡回するという「タヴォラ・ドーリア」。その後にはイタリアに里帰りとなり、より詳細な調査がされるものと思われます。タヴォラ家に代々伝わった一枚の板絵についての研究は、まだ始まったばかりなのです。

ダ・ヴィンチ ミステリー

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作者不詳(レオナルド・ダ・ヴィンチに基づく)「タヴォラ・ドーリア」16世紀前半 *PDM

誰が描いたか分からない板絵に見て損はないと思うのには、ふたつ理由があります。ひとつはヴェッキオ宮殿に隠された壁画「アンギアーリの戦い」、そして「タヴォラ・ドーリア」については、まだまだ調査の途上にあるということ。もうひとつは、この絵が後世に与えた影響を思うからです。

ヴェッキオ宮殿にレオナルドの壁画が隠されていると提唱したカルフォルニア大学教授のセラチーニ氏は、ナショナルジオグラフィックの支援を得てレーザー調査を行い、ヴァザーリフレスコ画と壁との間に、隙間があることを突き止めました。

http://jp.blouinartinfo.com/news/story/856663/shi-waretadavuintinohuresukohua-woqiu-metezhen-mian-mu-nake

2012年に調査チームは、ヴァザーリフレスコ画に14個の穴をあけ、壁画の向こうに何があるのか調べましたが、強い反対の声に調査期間を充分にとれず、断片的な証拠を手に入れるにとどまりました。

ナショジオが出資しているので、ドキュメンタリーも作られています。調査チームを率いるセラチーニ教授が、レオナルドの壁画が存在すると確信したのは、ヴァザーリの絵に描かれた旗に「cerca trova(探せば、見出される)」というメッセージを見つけたためだといいます。

絵は必ず存在すると確信するセラチーニ教授ですが、制約があって思うように調査を進めることができない。さらに許可された調査期間中に強まる反対派の声。はたして調査チームは証拠をつかむことができるのか——と、ドキュメンタリーながら、はらはらする番組でした。

ダ・ヴィンチ 幻の傑作|番組紹介|ナショナル ジオグラフィックチャンネル
放送予定 2015/08/17 07:00 [字]
失われた壁画をめぐる何世紀にも渡るミステリーは解明の瞬間をむかえるのか?

ナショナル ジオグラフィック (TV)

ヴェッキオ宮殿の広間に、50年ほど放置されていたというレオナルドの油彩壁画、あるいはその下絵は、その間に画家たちによって模写され、ヴァザーリの壁画に覆われたあとも、残された模写作品により、さらにのちの世代の画家たちに影響を与え続けたのでした。

展示ではこの戦争画のおよぼした影響を証明するように、多くの画家が模写した「アンギアーリの戦い」や、それらにインスピレーションをうけて描かれたと思われる、戦争画の展示へと続きます。

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アンギアーリの戦い」と「タヴォラ・ドーリア」に感じる魅力は、まさにこれらの点、形がないにもかかわらず、後世に大きく影響をあたえてきた、姿なき名作であることにあります。

見えないものが、見えないゆえに歴史という物語を揺さぶり続けてきた。ヒッチコック映画の謎のスーツケース、アメリカにおける大量殺戮兵器、あるいはワンピースのひとつなぎの大秘宝、つまり「アンギアーリの戦い」は、絵画におけるマクガフィン的な存在であったのです(机を拳で叩く音)

思えば、17世紀末までフォンテーヌブロー宮殿で息をひそめていた「モナ・リザ*1も、ながらく姿なき魅惑であったのかもしれません。「アンギアーリの戦い」は、他の作品がもつような宗教性は薄いですが、今なお解明がまたれる、レオナルド・ダ・ヴィンチをめぐる謎めいた作品のひとつです。

感想

そんな歴史的背景はさておき、では「タヴォラ・ドーリア」自体に価値はあるのか。正直なところ、この作品を見るまでは、冷めた思いで会場にいたのです。けれどこの板絵を目にして、展示会の印象ががらりと変わりました。

背景は金地にも似た黄土色で、ぶつかり合う馬と人の躍動感あるシルエットは、しかし描きかけの壁画を模写したためか、ところどころ省略しています。また、造形をざっととらえて、輪郭線は荒く太い。まったくの偶然でこの作品は、装飾性とデザイン性をそなえ、近代性を感じさせているのです。

目を引くのは、中央に配された二頭の軍馬の表情、恐怖と興奮にのみこまれた形相です。作者は馬の表情に、戦争の狂気をたくしたのでした。また人物の表情も理想化することなく、内面感情の露出をあるがままに描いています。

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Leonardo da Vinci「Battaglia di Anghiari.」 Leonardo da Vinci - Wikimedia Commons

これらの点に、制作期は本当にルネサンスなのかと思ってしまったのでした。宗教性のない主題やはっきり描く輪郭など、レオナルドの他の著名な作品とは印象が違いますが、いくつかのデッサンと重ねてみると、理想化のない写実性や、柔らかみがあってこぢんまり描く線などは、どこか相通ずるような気もします。

真贋の判定は専門家に任せるとして、しかしながら、動的な一瞬の切り取り、生命あるものの感情表現など、宗教画という枠を取り払ったときの、当時の絵画の可能性を、垣間見るようでもありました。

作品を見に来ている人たちは、作者不詳のこの絵の前に立つと思わず黙り込んでしまう。それからざわざわと、手の感じがどうだ色使いがどうだの、気づいた点を話し合いはじめます。自分の感覚にいちど疑いを向けながら鑑賞している。その雰囲気が他ではなかなかないように感じておもしろかったです。

一枚の絵に長々と書いてしまいましたが、常設展や夏休み企画「天才ダ・ヴィンチのひみつ」展も楽しめました。企画展はさすが夏休みでけっこうな人の入り。発明品の模型からデッサンまでダ・ヴィンチづくしの展示。特別展にたどり着く前に体力消耗してしまったのが辛い点でした。

東京での会期は8/9(日)までですが、ついでは京都と、全国を巡回していくみたいです。お近くの人はぜひ。個人的にはオススメな展示会でした。

関連

マクガフィン(MacGuffin, McGuffin)とは、何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる、仕掛けのひとつである。 登場人物たちの視点あるいは読者・観客などからは重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能な物であり、泥棒が狙う宝石や、スパイが狙う重要書類など、そのジャンルでは陳腐なものである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/マクガフィン

  • 作劇において、登場人物の動機づけやストーリー展開を左右する重要な小道具でありながら、最後までその正体が不明な物のこと。

ふたりの男が汽車のなかでこんな対話をかわした。「棚のうえの荷物はなんだね」とひとりがきくと、もうひとりが答えるには、「ああ、あれか、あれはマクガフィンさ」。「マクガフィンだって? そりゃ、なんだね」「高地地方でライオンをつかまえる道具だよ」「ライオンだって? 高地地方にはライオンなんていないぞ」。すると、相手は、「そうか、それじゃ、あれはマクガフィンじゃないな!」と言ったというんだよ。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/マクガフィンとは

文中の「マクガフィン」は「正体不明の」「じつはなんでもないもの」の意味を引いてるだけなので、「マクガフィンだ」とは言い切れなくて、「マクガフィン的な」くらいのニュアンスが適当かなと。

諸説あるのですが、レオナルドは平民出身なので姓はなかったとされています。私生児であったことはまちがいなく、ダ・ヴィンチが「ヴィンチ村の」という意味だけでなく姓であったとしても、それを名乗れる立場ではなかったのではないかと思われます。
当時から「レオナルド」と呼ばれていましたし、自身のサインも「レオナルド」だけです。
というわけで、「ダ・ヴィンチ」と呼ぶ理由はありませんね。

レオナルドダヴィンチのことをよくダヴィンチと言いますが、レオナルドと... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1185834406

よく言われる、「ダ・ヴィンチ」は「ヴィンチ村の」って意味だから説。展示会資料にならって文中ではレオナルドとしましたが、「ダ・ヴィンチ」って雑誌が同じ指摘を受けて「レオナルド」に変わったら違和感あるよなあと思うくらいには、ダ・ヴィンチのほうがなじみある。