狂ってたのは、俺か、時代か——
の、キャッチフレーズがあまりにかっこいいので、楽しみにしていた河鍋暁斎展。西洋美術の企画が多い三菱一号館美術館で、めずらしいなと思っていたら、三菱一号館を設計したジョサイア・コンドルと暁斎は師弟関係でもあったという。
そんなつながりから見る画鬼・暁斎展。弟子コンドルの作品を数点まじえる他は、妖怪・幽霊、動物画や戯画、美人画と、なかなかの暁斎づくしです。
http://mimt.jp/kyosai/midokoro.html
スター絵師と弟子コンドル
河鍋暁斎と建築家ジョサイア・コンドルが師弟であったとは知らなかったので、二人の絆の深さに驚きつつもしみじみ感じ入る展示でした。コンドルの水墨画には師の影響が垣間見えますが、暁斎が毎日つけていた絵日記にもしばしばコンドルが登場し、二人の睦まじさがしのばれます。
展示をとおして、暁斎は器用な画家だったんだろうなあと思いました。戯画や風刺画で人気絵師となりましたが、暁斎は自身を正統的な狩野派の絵師として考えていたようです。海外の収集家たちも、彼を変わり者としてではなくファインアートの継承者としてとらえ、技術の確かさで評価したのだそう。
戯画や風刺画について、頼まれるのだからしかたないと話していたという暁斎。持ち前の筆力とユーモアを活かして人気を博しましたが、そこには時代の要請に応えた一面があったのかもしれません。
コンドルとの関係性やメトロポリタン美術館の収蔵作品をおったのちには、私たちのイメージに近い、奇想の画家らしい作品や、戯画、風刺画、意外なところでは山水画や美人画の展示が並びます。
暁斎に関して、そう深い知識があったわけではないので、奇想の画家たるエキセントリックな作品に期待していたつもりはないのですが、しかしながら私も、後半の展示のほうが好みでした。
この世界にまだ闇が残っていて、その向こうに生きる異形のものたちの存在がある。そんな異なる世界の命、妖怪や動物たちを、生き生きと描く作品は、とくに魅力的にうつります。
暁斎の動物画はみっちり描かれ迫力がありますが、一転して山水画は、線と陰影の抑揚が静けさを際立たせて心地よい。暁斎は山水画を描くことは少なかったようで、不得手だったというひともあるようですが、展示品のなかではとても好きな作品でした。
最後は美人画です。記号的なポーズが多い美人画で、暁斎の作品には、自然体でくつろいだ姿を描いたものがいくつかありました。ほんの一瞬の内省的な表情をとらえた作品に、女性の心の内を垣間見てしまうようで、ついどきっとさせられます。
膝を抱える女性の視線の先には一匹の蛙。このささやかな命もまた、膝をおって彼女を見つめているのです。異形を描き、凄みのある動物を描く一方で、繊細なものへ向ける静かな眼差し。河鍋暁斎というひとの、感性の幅の広さを感じさせます。
さて、画鬼・暁斎展では、彼が得意としたジャンル、春画の作品も展示しています。
岡田美術館で三人の絵師の春画を見てきたばかりでしたが、都内の美術館でも見れるとは。今秋に都内で開催予定の春画展に向けての機運もあるのかな。鑑賞側としても、少しずつ慣れてから行きたいところ。岡田美術館でそわそわしながら見た春画でしたが、暁斎展ではじっくり見ることができました。
笑い絵とも呼ばれた春画は、わいわいと可笑しく見る娯楽の一つだったようです。風刺画を得意とした暁斎はさすがにその辺お手のもので、さらりと描いてユーモラス。春画ではないですが、暁斎の描く放屁合戦も、下品でくだらなくて、でも楽しそうで、何だか憎めず、つい笑ってしまいます。
古典を下敷きに描いたものや、12ヶ月の季節感とともに描いたもの。そんなんで春夏秋冬語られてもやな。情緒どこ行った。でもそれが暁斎流の春画なのかなあと思った。楽しめました。
感想
明治期の日本美術を追った「ダブルインパクト展」では、フェノロサと狩野芳崖の関わりをみたのですが、コンドルと暁斎の縁もまた深いもの。振り返ってみると対照的なふた組であるように思えました。
当時はスター絵師だった河鍋暁斎でしたが、そのユーモラスさは不真面目さととらえられ、美術史からの評価は長く低かったようです。当時、貧困にあえいでいた狩野芳崖のほうが、日本美術院に関わった画家として、のちには正統な日本画の担い手として位置づけられました。
暁斎の再評価は、辻惟雄氏の「奇想の系譜」で取り上げられたことが大きかったようです。今日なおエキセントリックな画家と見られる暁斎ですが、しかし異端の画家だったわけではありませんでした。
日本美術学校の教授職に、暁斎へも声をかけていたフェノロサでしたが、暁斎の逝去で叶わぬものとなります。彼らの比較が、後年の見方にすぎないことを断りつつ述べれば、社会進化論に親しんでいたフェノロサは、新しい時代にさいして、日本美術を作り上げようとしたのでした。彼はパートナーである芳崖を導かねばならなかった。一方、コンドルは暁斎にみずから弟子入りし、師に学ぼうとしました。
母国イギリスでは日本庭園の研究者として知られているというコンドル。彼が日本の文化に見ていたのは、西欧の近代合理主義と異にするものだったのだろうと、図録のインタビューでは語られています。
同じ時代を生きながらも、彼らが眼差しを注いだ先は、異なる方向でした。フェノロサは新しく展開していく日本美術の未来を、コンドルはやがては失われてゆく日本の文化を見つめたのでした。
異形のものを描く暁斎の絵に、月岡芳年を思い起こしました。コンドルの著書に暁斎とともに挿絵を寄せている月岡芳年は、明治期の浮世絵師で、無残絵というジャンルで人気を得ました。芳年も武者絵、美人画など広い作風を持っていますが、やはり時代の要請でしょうか、センセーショナルでグロテスクな作品が人々の支持を受けたようです。
美術館を出てみれば、展示会コピーの「狂ってたのは、俺か、時代か?」という言葉は、河鍋暁斎と月岡芳年の作品に共通してある昏さを思い起こさせます。それは文明開化によって過去との連続性が絶たれたゆえの、不安定な心象だったでしょうか。あるいは、近代化の灯りに追いやられる過去の時代が、いっそう濃密な翳りとなって社会の向こうに漂う、その闇のきらめきだったのかもしれません。
画鬼・暁斎—KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル
2015年6月27日(土)~9月6日(日)*展示替えあり
前期:8月2日(日)まで
後期:8月4日(火)から
開館時間:10:00~18:00
金曜と展覧会会期最終週平日は20:00まで
月曜休館(7月20日、8月31日は開館)
http://mimt.jp/kyosai/about.html