日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

7月の風景、雨の音

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あきもせず降り続く雨に、人のほうは今日もまたかと、うんざりしている。

くもり空を確かめて小さな傘で出かければ、美術館へのバスは出たばかりで、薄曇りの空からぽつぽつと雨のしずくが落ちてくる始末。次を待つより歩いたほうが早そうだと、環八通りにでて、横から砧公園に入った。梅雨どきの公園は、木々の幹に苔の緑が活き活きと生え、案外たのしい散歩道である。

美術館のガラス越しに、雨が緑の芝をしとしと濡らすのに気がついた。帰りはあの心もとない折りたたみの傘が頼りになりそうだ。針のように細く柔らかな雨を、しんとした廊下から眺めていると、ガラス越しの雨音が、耳の奥に響くようである。雨の季節もよいものだと思いなおした。

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帰りも結局歩いて帰った。傘にあたる雨音を聞きながら、公園を横切る。芝の広場に入ってみれば、人の気配もなく、細かな雨が降るばかり。木々の緑の深い翳りに、雨脚のけぶるのを、眺めてしばらく立ち尽くした。

人にはうっとおしいものだけど、この程度なら、草木にはむしろ恵みの雨かもしれない。しっとり降りかかる雨にじっとうたれながら、いちめんに咲く白詰草は、その生命の歓びを謳歌している。

気持ちもかろやかに、雨の中をしばらく歩いていると、大きな木につきあたった。白いすべらかな肌を持った大木で、島百日紅というらしい。太い幹は三又に分かれ、いっぱいに広げた枝が空をおおって、雨のしのぎにちょうど良さそうである。

ふと持っていた傘をおろすと、あたりに降る雨の音につつまれた。いくつもの雨音の細かな重なりが、心を傾けないと気づかないほどのささやかな響きで、芝の広場を満たしていた。

百日紅の大きな枝が傘になり、ときおり大粒の雫を落とすほかは、降りしきる雨からこの身を守ってくれる。白い肌の木の下で、しばし雨の音にたたずんだ。葉をうつ音、剥がれておちた木の皮に、雫のたたく音——木の幹にそっとふれて撫ぜてみると、つるりとして案外あたたかな肌である。

草木には、自我というものなどないのかもしれないけれど、しかし、自我があるなしなどでものごとをはかるのは、人の器量というものだろう。

私たちのすぐそばに生きるこの異なる生命は、私たちには判別のおよばない知性を宿して、その構造のなかで生きているかもしれない。雨の日に人と大木のふと向き合うのは、言葉のちがうものどうしの、通い合うことのない、切ない出会いであったかもしれない。

などと、突拍子もないことを思いついて、機嫌良く帰った梅雨の夕暮れであった。

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