日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

線を聴く 展 @銀座メゾンエルメス フォーラム

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ロジェ・カイヨワ ストーンコレクション(フランス国立自然史博物館蔵)

京都に住んでいたころ、何がきっかけだったか、御所のそばのとある神社へ立ち寄った。民家の脇にひっそり佇んで、小さな社に梅と椿があるほかは、とくに見るものもない、ささやかな境内である。
ふと見ると、子どもの背丈ほどの石碑が立っている。なんとはなしに手でふれてみて、不思議な感慨がこみ上げてきた。じんとしびれるような感覚に、しばらくその場に立ち尽くした。

動物に心があるかと言われれば、まあ、あるかもしれないと思う。草木はどうだろう。自我はどうか分からないが、生命活動は営んでいると言えよう。では石はどうか。無機物である。うーん。少し難があるかもしれない。
知人が石好きの人を紹介してくれると言うので、心待ちにしていたが、くだんの人の関心がマタギへとシフトしてしまい、たち消えになった。人は石の何に惹かれるのか。聞いてみたかった質問である。

銀座エルメス店で、様々な石の断面を扱った作品が展示されているというので、会期終了も間際に行ってきた。「シンプルなかたち」展との同時開催で、造形から美を見出す趣旨であるようだ。
なぜ人は石に惹かれるのか。その問いにあらためて向き合いながら、展示品を眺めみた。見れば石はさまざまな鉱物を含んで、断面は年輪を刻むように模様を作り、ひとつの造形美として完成している。

しかしこれは人によってなされた美であろうか。造形は石そのものにある。カイヨワは石を割って研磨したのであろう。美の宿る瞬間を偶然にまかせている。その点では、陶芸に近いのかもしれない。
少し前に、五島美術館の光悦展に足を運んで、詳しくもないのに焼き物など眺めてきた。ひび割れや、色合い、かたちの歪さなど、計算をつめつつも、仕上げは土と火、自然のおこす偶然にゆだねる。

鉱物を含んだ石を磨くうちに現れてくる美は、焼き物よりももっと、自然の側にゆだねられている。
時間をかけて積み重ねてきた記憶をそのうちに秘め、人の手で磨き上げられたとき、彼の長い記憶は鮮やかな姿で、私たちの前に現れる。

自然の偶然からあらわれる造形からインスピレーションをえて、焼き物の優品には銘がつけられる。
それこそが真に美の宿る瞬間ではないか。ロジェ・カイヨワのコレクションの品々に名前はつけられていないが、石を磨くうちにあらわれる色や造形は、同様の天啓を彼にもたらせるものではなかったか。

石は、ただの石である。無機物から、なぜ啓示を得ようとするのか。なぜ、心の気配をとらえようとするのか。それは私たちの心が、物語を描く力を持っているからに他ならない。

無機質なものからストーリーを描く。見えないからこそ、何か見ようとする。聴こえない音を聴き、動きの予感をとらえる。時に現実をこえる知覚となるこの想起の力は、人を人たらしめる資質であろう。そしてその資質こそが、感覚的な美というものに深く関わっているように思う。

展示会情報
■ 開館日: 2015 年 4 月 24 日(金)~7 月 5 日(日)
■ 開館時間:
 月~土 11:00~20:00(入場は19:30まで)
 日   11:00~19:00(入場は18:30まで)
■ 入場料:無料
■ 会場:銀座メゾンエルメス フォーラム

http://www.maisonhermes.jp/ginza/gallery/archives/8115/


http://www.maisonhermes.jp/ginza/gallery/archives/8115/www.maisonhermes.jp


本阿弥 光悦 — Google Arts & Culture

http://www.fashion-headline.com/article/2015/03/09/9930.htmlwww.fashion-headline.com

casabrutus.com

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/192598.htmlwww.nhk.or.jp

邦訳には「方法としての対角線の科学」というサブタイトルが付いている。この方法は若くしてカイヨワが最も得意とした方法で、タテでもヨコでもなく、ナナメなのである。