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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

石田尚志 渦まく光@横浜美術館

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横浜にいく用事があったので、夕方どき横浜美術館に立ちよりました。
現代アートは全然わからないこともあるので、めったには行かないんですけど、時間があったので。

造形と音楽というテーマは好きで、考えることも多いので、ぼんやり行ったわりにはがっつり見入った美術展でした。でも音と光が心地よいので、ふわっと見ても全然いいと思うのだけど。

絵巻ものの章では、綺麗な模様だなあぐらいの感想だったけれど、かけられた画面の映像に気づいて、すっかり見入ってしまった。線を描いては撮るコマ撮りの映像で、とたんに線が生きているようにリズミカルに動きだす。”綺麗な模様”には緩みと勢いがあって、密さとおおらかさがある。その紡ぎあい。

書道にも似てて、出来上がった完成品が全てではなくて、そこに残る動きの跡を鑑賞者はちゃんと見ている。あまりに細かく描かれていて模様としてしか見てなかったけれど、映像を見た後では、紡がれた線に描き手の動きが宿っていることに気づかされる。

描画行為そのものを映像にとりこんだ作品を展示する第3章。真っ白な部屋でうずまく線を描くのは、自分の感覚の拡張というふうに見えたけど、たとえば音楽や、窓の外の光と音など、外界の要素を意識して取り入れてもいる。その先、次第にその傾向に重きがおかれていくように思いました。

海や早朝の道路で、水を使って線の描写を試みるペインティングは、視覚的な派手さはないけれど、感じることも多かった。壁にペンキで塗る線は残るけれど、路面にまいた水は昼には消えてしまう。身体の動きから私たちは消えゆく線を見ている。現実の世界に刻まれる透明な跡。

この傾向は4章、部屋と窓というテーマの作品へと繋がっていきます。音や光といった外界の刺激は、身体に取り込まれて混ざり合い、描くという動きに表出される。どこまでが外界でどこからが内面なのか、どこまで実像でどこから虚像なのか、造形はおぼろげな境界にできあがり、消えてゆく。

窓のある白い部屋に光があたるオブジェが好きな感じだった。拡散する光、鋭く差し込む光。いろんな光の表情。それは擬似的な空間で、どこか公共施設に行った方が自然のまま見れる光景なんだけど、あそこの建物、夕方くらいに行くと綺麗だよって言うだけじゃ作品にならないし、伝えられる相手も限られる。感覚を抽出して、そのためだけの部屋をつくる。自分と同じ感性の、まだ見ぬ誰かに向けて。

音楽と造形について

美術展とはあんまり関係ないけど。

造形と音楽は動きの意識でつながっている。線や色彩から動きは想像しやすいけど、音楽はどうかな。単純なパターンの旋律が少しずつ複雑になっていく曲は、動きをイメージしやすい。と思う。メロディーや楽器が複雑になっていくと、難しいけど。

今回の展示ではフーガを造形化した作品があったけれど、そういえば東山魁夷もピアノ協奏曲を絵画にした作品があって、これがけっこう明確に構図化してて面白かった。クラシックやジャズを聴く人って構造を意識して聴いているものなのかな、もしかして。

音の動きを追いながら音楽を聴くのはとても楽しい。