日々帳

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ユトリロとヴァラドン 母と子の物語 | 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

東郷青児美術館で開催されたヴァラドンとその息子、モーリス・ユトリロの母子展。ヴァラドンは前々から気になっていた画家なので、楽しみにしていた美術展でした。

http://www.sjnk-museum.org/program/current/2978.html

ヴァラドンユトリロ、その関係

ロートレックルノワールなど多くの画家のモデルとなり、またエリック・サティとの恋愛など、パリの芸術家たちと恋多き人生を歩んだシュザンヌ・ヴァラドン。のみならず、画家ドガはそのデッサン力の高さに驚き、彼女を「恐るべきマリア」と呼んだといいます。

男性画家にひけをとらない才能と制作への意欲を見せるヴァラドンは、しかし、自身が女性であることを忘れたわけではありませんでした。女性の感性を失わず、それでいて男性社会の中で肩を並べて作品を制作しました。

しかし母親としては、理想的だったとは言えないでしょう。私生児だったユトリロは、祖母に預けられて育ちました。彼は早くからアルコールを覚え、不安定な精神状態の中、入退院を繰り返す生活を長く続けました。

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モーリス・ユトリロ「モンマルトルのキャバレー、ラパン・アジル」(1916~18年頃)個人蔵

それでもユトリロにとって、母ヴァラドンはかけがえのない存在でした。母が自分の親友と恋に落ち、再婚した時期には深く傷ついたようですが、三人の関係はその後も続きました。ヴァラドンの死には葬儀に立ち会えないほど落ち込み、その後はほとんどの時間を祈りで過ごす日々となりました。

ジャンヌ・ダルクを敬愛していたというユトリロ。男性の中に混じって堂々と立ち回る、母ヴァラドンの姿を重ねていたのかもしれません。どのような母親であっても、彼にとっては唯一かけがえのない女性だったのでしょう。

そんな美貌と才能に恵まれ、多くの芸術家に愛されたヴァラドンと、その母の影を生涯追い続けたユトリロの作品を展示する企画展。けっこうな点数の作品をじっくり見ることができました。

ヴァラドンの魅力

印象に残ったのは、ヴァラドンユトリロの画風の違いです。ヴァラドンドガ譲りの的確なデッサンに基づいてモチーフをとらえています。キリッとした輪郭は、丁寧なデッサンを下敷きにしているのでしょう。

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スュザンヌ・ヴァラドン「裸婦の立像と猫」(1919年)個人蔵
スュザンヌ・ヴァラドン「12歳のモーリス・ユトリロ」(1896年)ギャルリー・デ・モデルヌ蔵、パリ

裸婦や動物を描いたスケッチも多く、色彩もフォーヴィスム的な情熱の色彩。彼女が多くの画家との交流の中で流行の動向をとらえながら、生命力溢れる絵を描いています。

ヴァラドンがどういう女性であったのか。絵からは簡単に読み取れませんが、ひとつ思うのは、彼女自身とても理知的な女性であったのだろうということです。

彼女が多くの芸術家から愛されたのは、もちろん彼女の美貌と華やかな世界を好む性格もあったのでしょうが、それ以上に、彼らパリの芸術家たちと対等に話ができる、魅力的な女性であったからだろうと思うのです。

今回のヴァラドンの作品の中で好きなのが、息子ユトリロを描いたスケッチです。さらりと描くようで、デッサンの的確さを感じさせ、それでいながら、眼差しの暖かさを感じます。愛犬を描いた作品にも同じことを感じました。身近なものへの眼差しをさり気なく描く。男性の中にいても気張らない感性が、その魅力であるように思いました。

ユトリロの魅力

しかし絵については、息子ユトリロの方が間もなくその評価を上回りました。展示会のキャプションにも書いてあったのですが、デッサン力の確かなヴァラドンと違って、ユトリロは風景画を描いているにもかかわらず、その遠近感は不正確なものも多いのです。

鈍色の空の下の寂れた街並み。それはユトリロが幼いころから見慣れた風景でした。彼は厚塗りの絵具と白のハーモニーで、パリの街並みを描きました。その心象風景が人々の共感を呼んだのでしょう。

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モーリス・ユトリロ「クリニャンクールのノートル=ダム教会、モンマルトル」(1912-14頃)個人蔵

彼の作品が評価された背景には、その時代の表現が個人のものとなっていたことを感じさせます。巧さや技術よりも、画家個人が何をどう見たか。その感性の向きや感度が評価されているように思います。

もちろんユトリロ自身、白の質感を出すために様々な工夫をしていますし、晩年には画面の構成の巧みさも見られるのですが、けれども彼の魅力は、フォーヴィスムキュビズムという時代の志向から距離をとっていたこと、より個人的な心象にもとづく表現であったことにあるように思います。

ユトリロが遠近法をぞんざいに描いたのは、彼が不勉強だったわけではないでしょう。とは言っても、正確さを踏まえあえてそれを崩していたのでもないと思います。彼にとって遠近法は、理解していながらも、それほど重要でなかったのではないかと思うのです。

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モーリス・ユトリロ「ラヴィニャン通り、モンマルトル」(1940-42頃)個人蔵

ユトリロにとって絵を描くということは、心の調律だったのではないかと思いました。楽器の音を正しい調律に整えていくとき、あらかじめ決められた明確な数値を設定するという機械的なものではなく、心を澄ませて、自分の感覚で音を合わせていく。

その調律の過程こそが、彼にとって大切なことだったのではないかと思います。初めから正しい線を引いて描くのではなく、描きながら正しさを取り戻していく。ユトリロの作品は、奥へと続く道や、塀、家々の面といった、遠近法で秩序づけられるものを多く描いています。

建築や街並み好きな人は、その直線や曲線といった稜線に惹かれている面があるように思います。(私だけかな。)ユトリロは秩序ある稜線をもとに、彼の中の定まらない色彩を整えていったのではないでしょうか。

まとめ

男性社会を生きながら、女性の感性を持ち続けたシュザンヌ・ヴァラドンに、ずっと興味があったのですが、行ってみてすっかりユトリロの魅力にひかれてしまった展示会でした。

ユトリロは巧さを感じさせる画家ではないし、強い感情も見られませんが、それでもどこか惹かれるものがあります。殺伐とした寂しさを感じさせる色彩や筆使い。その無彩色の重奏。

よく、本物の絵を見る意味って何?という問いを見かけることがあるけど、ユトリロの絵に思ったのは、作品の前に立った時に、おそらく画家も同じように絵の前に立っただろう、これで完成とするか、もう少し色を足すか、迷ったかもしれない…そんな想像ができるからかも。

ユトリロが実際の風景を見て描くことはあまりなく、自分が育ったモンマルトルの街並みを、記憶や絵葉書を頼りに描いたといいます。冬の青い影も、曇り空にさす暮れの赤みも、彼の心の中の色彩だったのかもしれません。

その色彩に耳をすませる。もう少しこの色を入れよう、ここに影を落としてみよう。そんな想像をするとき、画家が聴いていた色彩の音楽が、私たちにも響いてくる瞬間がある。ような気がします。

気のせいだよと言われればそれまでですが。そういう絵に出会えると嬉しくなります。

*追記、ヴァラドンみたいな生き方をした女性って日本で言えば宇野千代かなと思うけれど、そういえば彼女は東郷青児との関わりも深かったんでした。目に見えないつながりを感じるようで面白かった。