日々帳

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グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家 | 国立西洋美術館

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グエルチーノ展 at 国立西洋美術館、新印象派とセットで行ってきたけど、とてもよかった。
春のうちにひとつくらい美術展に行きたいなと思ってる人がいたら、きっと、グエルチーノ展いいよ!っていうと思う。

www.nmwa.go.jp

展示数は約40点と少なめらしいですが、大判の作品がゆったり空間をとって、照明の工夫などもあり、雰囲気ある展示になっています。ネタバレ感でない程度に、数をしぼって感想メモ。

入って出迎えるのは、グエルチーノがその作品に学んだルドヴィコ・カラッチの作品。チェントの教会の祭壇画として描いた「聖母子と聖人たち」は、グエルチーノにも大きな影響を与えたといいます。

薄暗い展示室の、絵の下方から柔らかい光をあてて掲げられた絵は、ちょうど教会のろうそくの光に照らされたように、厳かな雰囲気を漂わせています。

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ルドヴィコ・カラッチ「聖母子と聖人たち」1591年(チェント市立絵画館)

明暗の深いバロック美術の作品は、絵全体のどこに光があたっているか見るのも、味わいのひとつではないでしょうか。今回は絵の中の光の方向に合わせて照明をあてていることが、より感じられるように思いました。当時の画家たちもまた、絵がかけられる空間の、光の方向や加減を考えながら作品を描いたのだという話を思い出しました。

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グエルチーノ「聖母子と雀」1615-16年頃(ボローニャ国立絵画館)

早熟なグエルチーノは、ほぼ独学で自分の画風を作り上げたといいます。「聖母子像」はその模索の時代に描かれた一枚。深くも柔らかな光が、母と子の横顔を照らします。

母の指にとまる雀。その足に結ばれた白い糸は赤子の手へとつながれています。ゴシキヒワは受難の象徴として描かれますが、雀はどうでしょうか。人の罠におちる運命にある雀と、赤子イエスは白い糸で結びつけられ、母は彼らに待ち受ける運命をじっと見守るようでもあります。

あるいは賛美歌「一羽のすずめ」("His Eye is on The Sparrow" )で歌われるように、神の眼差しは一羽の雀にさえも注がれているという、その解釈を一枚の絵にしたのかもしれません。たとえ小さな命であってもイエスはあなたと運命をともにする、と。

二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
マタイによる福音書(口語訳) - Wikisource

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グエルチーノ「ロレートの聖母を礼拝する聖ベルナルディーノと聖フランチェスコ」1618年頃( チェント市立絵画館)

ボローニャ枢機卿アレッサンドロ・ルドヴィージに呼ばれて、ボローニャに滞在し、またその後にチェントに戻り制作を続けた時期を、画風の確立期とする第二章。大画面の作品が多く圧倒されます。

このころのグエルチーノは人々が好みそうな明快な光の使い方から、陰影を効果的に使った演出までうまく使い分けているように思いました。天使がめくるカーテンの向こうの聖母のその表情は、影にかくれてよく見えません。それだけに、暗がりの中に想像をかきたてられるようです。

ローマ滞在以降には影を潜めてしまう傾向かもしれません。このエリアではいちばん好きな作品。

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グエルチーノ「聖母のもとに現れる復活したキリスト」1628-30年頃( チェント市立絵画館)

枢機卿アレッサンドロがローマ教皇に選ばれたことは、グエルチーノにとっても転機となりました。教皇が亡くなるまでローマに滞在する間に、当時のローマで流行していた古典主義の影響もあって、作品はより理想的で明瞭なものへと変化しました。

グエルチーノの絵を見るためにチェントを訪れたゲーテは、復活を遂げたキリストを神々しく描いたこの作品を見て、著書「イタリア紀行」の中で賞賛しました。その中で彼は、まっすぐに立ちながらも母の顔を見ようと体を反らせるキリストを”不自然と言わないまでにしても、いくぶんか異様”と述べ、"それにもかかわらず、この像は限りなく気持ちが良い"と続けます。

この絵の中のキリストは右足を少し後ろに引いているように見えます。また、手に持った旗はさらに後方に着地していますが、旗竿にはいくぶんか傾きが足りないようです。奥へと下がる足元の線は、身体を正面に美しく見せつつも、母へと身を寄せる動きを表すためかもしれません。

素描が優れた画家ほど、美のためにデッサンの矛盾をおかすのかもしれない、と思いました。"厳格な芸術の枠組み"の中で画家が内面性を優先するとき、このような表現で現れるのかなと思って、とても興味深く感じました。

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グエルチーノ「ルクレティア」1638年(ロンドン 個人蔵)/グイド・レーニ「巫女」1635-36年(ボローニャ国立絵画館)

第四章では、グエルチーノがとくに意識した画家グイド・レーニとの比較を見ながら、古典主義的な作風が固まるグエルチーノの後期の作品を追います。

美しい女性を描く秘訣を人づてに訪ねたグエルチーノに、レーニは「あなたのチェント人にお伝えなさい」と言い、どんな不器量なモデルでも私なら美しく描ける、「モデルは頭に持つものだ」という答えを返したのだとか。モデルに忠実なグエルチーノと反対に、レーニは理想の女性を描いたのでした。

ルクレツィアは古代ローマが王政から共和制に移行するきっかけをつくった女性として知られています。夫の遠征中に迫った王子セクストゥスとの関係を余儀なくされた彼女は、父と夫に真実を告白して自ら命を絶ちます。彼女のとった行動は貞淑の象徴として語り継がれました。

彼女をモチーフにした作品は好んで描かれ、婚姻の祝いに贈られたりしたそうですが、さすがに血が描かれるのを嫌う注文主もいたようです。グエルチーノも、同じく展示されていたレーニのルクレツィアを描いた作品も、後からナイフや傷口を描きなおされているそうです。

このころはまた、グエルチーノの工房で会計記録を始めていたということで、当時の様子が分かって貴重なんだとか。作品の値引きに応じたり、サイズを間違えて制作したために一日で!描きなおしたり。師匠それやっつけ仕事やで。展示からは横道にそれますが、まあ面白かったです。

最後のフロアを飾るのは洗礼者ヨハネを描く大画面の作品。威風堂々の一枚。遠目に立ってしばらく眺めていると、荘厳さが空気を伝って感じられるようです。復活したキリストを描く作品にも似た気高さがあります。どちらもイタリア人っぽい顔してるなあと思ったことは秘密です。

感想

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グエルチーノ「アウロラ(曙)」1658年(カジノ・ボンコンパーニ・ルドヴィージ)*wikipediaクリエイティブコモンズ

展示では当然ながらパネルでの紹介ですが、デル・モンテ枢機卿の別荘カジノ・ルドヴィージに描かれたグエルチーノの天井画です。画面の左から右へと疾走する馬車が描かれています。背景の雲は写真でいう流し撮りをしたときのように、ブレをつけて細長く伸びています。また、画面の向こうに広がる世界を切り取ったような断ち切りも感じられるのです。

"体験する美"というのは、日本画を見るときによく感じることですが、似た印象をグエルチーノのいくつかの作品に感じて、ちょっとびっくりしました。

国立新美術館ルーヴル展のレンブラントにも感じたのですが、西洋絵画の中で感覚美に長けた作品ってけっこうあるんだなあと。同じくルーヴル展のフラゴナールもそうかな。あのブランコの絵も。動きの意識が、音楽に似た心地よささえ持つような絵。

動き、光、ブレと焦点。感覚的な表現から見る絵画史というのも、実はけっこうはっきりあるんじゃないかなと思って、この辺りももう少し詳しく知りたいなと思いました。