日々帳

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新印象派―光と色のドラマ | 東京都美術館

東京都美術館で開催中の新印象派展。いろんな人のレビューを読んですっかり行った気になっていたのですが、上野に行くことがあったので、やっぱり見ておこうかなと足を向けました。

同じ印象派では三菱一号美術館でワシントン・ナショナル・ギャラリー展が開催中ですが、館全体で雰囲気を味わう三菱一号美術館の展示に比べて、こちらは科学的な色彩の理解をもとにした表現の追求や、フォーヴィズムにつながっていく流れがじっくり見れて、知識欲を満たしてくれる企画展でした。

ざっくり感想。

色彩の客観と主観

のちにスーラとともに新印象派を牽引していくシニャックの、画家の道を目指すきっかけになったのが、1880年におこなわれたモネの初の個展だといいます。そのモネの作品から展示がはじまります。

印象派らしい荒い筆跡で描いた湖。向こう岸の水際は、青い山の翳りに浮かぶように、西日を受けて白く輝いています。今回展示のベルト・モリゾ「ブージヴァルの庭」にも感じましたが、偶然性を含ませて描く印象派の特徴が、新印象派の作品の中にあるといっそう際立って感じられました。

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ジョルジュ・スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の習作 1884-86年(オルセー美術館)

スーラ自身が「クロクトン」と呼んだ、「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のための下絵も展示。小さな枠に収めた構図と輝くような緑の色彩。このままでも作品になりえると思うのだけど。

一枚仕上げるのに時間をかけたというスーラ。実際に作品にとりかかるまで、自分の中で綿密にイメージを固めている様子が感じられます。

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ジョルジュ・スーラ「セーヌ川・クールブヴォアにて」 1885年(個人蔵)

パレットで絵具を混色させるそれまでの描き方と違って、純色を使いながらも補色を描きこむことで、見る者の目で色彩を混合させる筆触分割。ゴッホは紫をベースにオレンジをおいて、ひまわりの輝く色彩を作り上げ、モネは赤みと青みの強い紫をそれぞれに使い、バラ色に染まる空を描きました。

スーラはその色彩分割の方法をもっと推し進めて、色彩理論をもとに、純色の点描で色彩を仕上げました。ポスターにもなっているメインの作品「セーヌ川・クールブヴォアにて」は、澄んだ色彩が美しい一枚。手前に大きな木の影を描いて、その向こうの清朗とした空気が映えるようです。

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リュシアン・ピサロ「4月、バザンクール」 1890年(個人蔵)

スーラとシニャックの二人に印象派展への出展を勧めたのがカミーユピサロでした。彼らとの出会いをきっかけにピサロも点描画を描くようになります。

全体を通して、ピサロは真面目な絵を描く人だなあと思った。抜けがないというか、安心感がある。開催された印象派展に全て参加したただ一人の画家というところもまた。責任感が強い人だったのかな。面倒見がいいというか。

そのピサロの息子、リュシアン・ピサロの作品も展示。父親に似て、穏やかな風景の点描画です。西日の明るいオレンジが芝に落ちて、郷愁ある一枚。父とともにスーラの新しい技法のとりこになったのだとか。父子仲良かったのかな。なんだか微笑ましいです。

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アルベール・デュボワ=ピエ「雪のサン・ミシェル・デギーユ聖堂」 1890年(クロザティエ美術館、ル・ピュイ=アン=ヴレ)

時を止めたようなスーラの点描画は、若い画家たちに受け継がれます。やがて新印象派の作風に変化が現れるのを、じっくり追う展示後半。

軍職のかたわら独学で絵を学んだピエ。スーラに出会い、彼の色彩原理を取り入れた当初の作品は、風景を色彩理論にもとづく点描で描きますが、晩年のこの作品では青を基調に階調を変化させています。

冬のしんとした静けさが響くような"青の変奏"。見たものを科学的な理論をもとに点描におこす方法は、やがて現実を離れ、作品に画家の主体性が現れ始めます。

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マクシミリアン・リュス「ルーヴルとカルーゼル橋、夜の効果」 1890年(個人蔵)

黒を使って印象的な風景を描いたマクシミリアン・リュス。深い黒は画面を引きしめて、どことなくシビアな風景の捉え方が独特の味わいを出しています。

リュスの作品を見ていると、浮世絵が印象派に与えた影響を思い出させます。色を混ぜない"澄んだ"色彩は、当時のヨーロッパの画家たちにとって新鮮に映りました。たとえば南フランスに移り住んだゴッホは、明るい陽射しと透明な空気に浮世絵の色彩を重ね見ました。*1

手前に陰りをおいて、美しいたそがれの空を映えるように描いた作品は、構図のせいでもあるのでしょうが、浮世絵に似た詩情を感じさせます。

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ルフレッド=ウィリアム・フィンチ「サウス・フォアランドの断崖」 1892年(アテネウム美術館、ヘルシンキ)

フィンチは今回いちばん気に入った画家です。今回展示の画家の中では、おそらくもっともシンプルでどこかでたらめな構成で描いているのだけど、色彩も構図も簡潔な分、画面にリズム感があります。ナビ派の作品と言っても違和感ないかも。

ブリュッセル王立美術アカデミーで学んだフィンチは、1883年にベルギーで発足した20人展(レ・ヴァン)に創立より参加しました。*2スーラの技法に感銘を受け点描画を描きましたが、絵で生計を立てることはできず、陶器の絵付けに転向、フィンランドへ渡り装飾美術学校で教鞭をとったそうです。

「サウス・フォアランドの断崖」は、断崖の垂直の重なりとゆったり弧を描く海など、色彩や造形を感じたまま自在に変形して、より感覚的にしあげています。補色どうしを大粒の点描でおく大胆な配色の競馬場や、木の垂直と影の水平が印象に残る果樹園の作品も好みでした。

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アンリ=エドモン・クロス「農園、夕暮れ」 1893年(個人蔵)

クロスは今回の展示で、スーラ、シニャックピサロに並んで重要視されている画家です。彼の作品に刺激を受けたマティスによって、フォーヴィズムが誕生するからです。

クロスの作品には、初期の頃から独特の装飾性があります。風景画をおもに描いたフィンチとは少し異なり、人物も多く描きました。とくに自然の中でくつろいだ姿でいる裸体のモチーフは繰り返し描かれています。これらの作品がマティスに大きな影響を与えたのだそうです。

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アンリ=エドモン・クロス「若い女性」(「森の空地」の習作) 1906-07年(個人蔵)

肌にかかる木漏れ日が絵の中のゆらぎになっています。身体のシルエットのもつ装飾性は強い色彩とあいまってリズムをもつ。クロスはこの作品で、影に青みばかりではなく、大胆にも緑をつかいました。

マティスへの影響で語られる新印象派でしたが、ゴーギャンナビ派への類似性も感じました。ゴーギャンも自画像を緑の影で描いたものがあるからです。ゴーギャン自身は点描で描く新印象派を否定したようですが、後期印象派から象徴主義への流れも別の機会には見てみたいなと思いました。

感想

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ルイ・アイエ 左)「灰色の空」の習作(左に3本の色帯を対置) /右)「灰色の空」の習作(カミーユピサロ美術館)

科学的な理論で色彩をおこそうとしたスーラとシニャックでしたが、そこには客観性で世界を見るような静けさが感じられました。日常を遠く突き放して眺めるような世界に、主観性が立ちおこってくる経緯が、今回とても面白かった。

たとえばルイ・アイエは、色彩理論に彩度を抑えた色を加えることにも挑戦しました。この作品には、無彩色の表情と遠景のボケ、近景のシャープさが備わっています。その表現は、人の心のものの捉え方に近いと思います。重要でないものはうつろに見えて、重要なものは鮮明に映る。

モネの作品に立ち返ってみると、彼の眼差しにはピントとボケの使い分けがはっきりとあります。とくに光の当たるスポットは、ときに厚塗りでハイライトをつけて描かれます。

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アンリ=エドモン・クロス「マントンの眺め」 1899-1900年(個人蔵)

クロスはとくに新印象派の画家たちの中で、その時を止めるような筆づかいから、その先に歩んだ画家のように思いました。この作品も、遠くのものは彩度をおとし、また大きな筆跡で描かれていますが、主役となる馬と馬車は境界線をもたせて、周囲の色彩から浮き上がって見えます。

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ポール・シニャック「サン・トロペの松林」 1892年(宮城県立美術館)

シニャックはモネへの憧れから画家の道をスタートさせているせいか、点描画の中にも自然の動きや光の表情がある作品も見られました。時を止めたような点描画の世界で、シニャックは憧れたモネの筆にならうように、移ろう時をとどめようとしたように見えます。

風景を科学的な色彩理論で紐解こうとした色彩の表現は、やがて目に見えるままに描くという束縛を解いていきました。理論に基づくことで表現は現実を離れて、観念の中で発展し、ふたたび画家の心象にもとづいた眼差しに戻ったときには、実際に目に見える世界から遠く離れたものになっていました。

印象派の終焉からフォーヴィズムへと、表現の手法が変わっていく様子が丹念に追えて、とても楽しめた美術展でした。

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左)テオ・ファン・レイセルベルへ「エスコー川のヨット」1892年(個人蔵)
右)ポール・シニャック「サン=ブリアックの海、ラ・ガルド・ゲラン岬、作品211」1890年 (アルブ美術館)

流れにのせれなかったけれど、フィンチと同じベルギー20人展のメンバー、レイセルベルへの絵も端正な風景画で、いいなと思いました。

正直なところ、印象派らしい移ろう時の意識が失われたようで、初めは違和感ながらの鑑賞でした。スーラは時のうつろいを普遍の筆にとらえようとしたのではないか。再現可能なうつろい。けれどそれは絵画の一回性を失わせ、その画家でなければならない必要性さえも消し去ってしまいはしないか。

それだけに、後半ふたたび画家の主観が芽生えてくるあたりは、とても面白かった。図録を買って読み直したりしましたが、当時からモネやルノワールなどはこの新しい表現に好意的ではなく、とくにルノワールは、絵画には説明できなさや不規則性が重要なのだと、抵抗を述べていたみたいです。

けれどもスーラがもっとも高く評価した画家はルノワールで、シニャックにとってはモネが心の師匠でした。彼らは対立しあっていたわけではないこと、また新印象派の名付け親、美術批評家フェリックス・フェネオンは、色彩理論の本を何十冊読んでもスーラと同じ絵は描けないと擁護したのだとか。

記事を書きながらスーラの作品を眺めてみて、新しい思いもありました。
科学理論に基づいて描かれる色彩は、鑑賞者の目で色彩がつくられるという驚きがあり、科学ゆえの正しさが内包されているようです。けれどもスーラの作品の魅力はそれ以上に、現実から遠くはなれて浮遊した眼差しで見る、冷めた世界観にあるのかもしれないと思いました。

一枚を仕上げるのに何枚もの下絵を描いたというスーラ。彼の眼にはすでに、現実にある景色とは異なる、独自に作り上げた世界が映っていたのかもしれません。

結びに

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図録/「侍の姿をしたポール・シニャック」図録124P

深い友情で結ばれていたスーラとシニャックでしたが、性格は正反対、物静かなスーラと陽気なシニャックだったそうで、短命だったスーラの才能を惜しんで、新印象派の発展をひきついだシニャックは、彼らの手法を美術史上に位置づける書籍を出版しました。

出版に関して感慨を深めたというシニャック。その説明パネルになぜか侍姿のシニャックの画像があって、なんでこの写真選んだの!と笑ってしまった。露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す、という現代俳句を思い出しました。文学的な書き出しといい、担当者の好みが反映されているような気がしてならないキャプションもよかったです。

*1:http://www.ukiyo-e.jp/gogh/1

*2:20人展:ブリュッセル官立サロンやその周辺の保守性に反発したベルギーの芸術家たちの活動で、フィンチの他に、ジェームズ・アンソールやテオ・ヴァン・レイセルベルヘが参加。主要メンバーの他に、国外からゲストを招いて展示会を開いた。ピサロやモネ、スーラ、セザンヌゴーギャンゴッホなど、フランス印象派の画家も参加している。