パナソニック汐留ビルで開催中のパスキン展。近くまで出かけたので、ついでに寄ってきました。
汐留ミュージアムはこじんまりした空間でしたが、パスキンという、パリの一時期を象徴する画家の作品をじっくり辿れて、とても良かったです。
好きな作品などメモがてらエントリ。
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第一次大戦後の好景気にわくフランスには、その自由さに魅せられて、世界各地から芸術家たちが集まりました。
パリで活躍した外国人芸術家の一人、ジュール・パスキン。狂乱の時代と呼ばれたパリを象徴するような刹那的な人生でした。エコール・ド・パリの花形画家の作品からは、描く対象への慈愛ぶかい眼差しと繊細な色彩が感じられます。
そのパスキンの作品を展示する今回の美術展。ミュンヘンで人気風刺雑誌の挿絵画家としてスタートを切った頃の作品から展示が始まります。
ジュール・パスキン「思案顔の女(表)」(1903年頃)個人蔵/「二人の少女」(1907年)ポンピドゥー・センター
すでに人気挿絵画家となっていたパスキンでしたが、本格的な画家になりたいという思いがあったようです。20歳でパリに移り住むと油絵にも取り組みました。
のびのびと描いていた風刺画から油絵に転向した当初には、表現の硬さも伺えます。やがて、薄い布にすばやいタッチで色を引いていく方法で、独自の淡い色彩を手に入れました。
パスキンは素描をたいへんにこなした人のようで、画家仲間が集まるカフェでおしゃべりをしている間もずっと、テーブルの上にあるタバコの箱などを素描し続けていたのだそうです。
彼の風刺画作品をじっくり見ると、はじめに下書きで描き込んでから、ペンで主線をとっているのがわかります。さらりと描いているように見えて、形のとらえかたが的確なのは、パスキンの素描の積み重ねによるものでしょう。
油絵に移行したのちも、素描の強みは活かされています。「ヴィーナスの後ろ姿」や「青い瞳の女」は、人物を少し上から見下ろすように描いていて、その輪郭線も陰影も、描きなれたからこその抑揚があります。
真珠母色と呼ばれたパスキンの、虹色が優しく入り混じる淡い色彩。ちょうどそれは、柔らかな日差しがあふれる部屋の、くつろいだ空気を描き出しているようです。
とくに良かったのが「二人の座る少女」「ジナとルネ」の作品。ふたりの少女をモチーフに描くことが多かったパスキン。描いているうちにそのまま寝入ってしまったのか、少女たちのリラックスした姿が描かれています。
そのほか「ジメットとミレイユ」「マリオン」など、描きかけのような作品もいいなと思いました。
制作なかばに見える作品ほど、水彩画にちかいニュアンスがあります。パスキンはデッサン力の長けた画家だったと思うのですが、そこからどれだけ形を崩していくか、曖昧にしていくかというところに、彼らしい表現があるように感じます。
穏やかで淡い光の中に、崩れていく存在感。境界線や写実的な陰影は、存在のアクセントとして辛うじて描くにとどめています。
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パスキンはまた同時代に活躍したピカソのキュビスムにも挑戦しています。しかしその試みは長く続かなかったようです。そのエピソードを興味深く読みました。パスキンの初期の油絵の作品には、光を面でとらえて描くような、キュビズムにちかいものも感じたからです。
その光のとらえかたが後年になって、いくつもの色彩が交差して混じり合う、真珠母色のニュアンスを生み出したように思えました。
目に見える世界を分割して再構成したのがキュビズムなら、パスキンもまた、光を多面的にとらえて単純化し、ふたたび絵の中に描きおさめたのではないでしょうか。その経過で生まれる複雑さや曖昧な交差が、拡散する光を描くような、独特のニュアンスとなっています。
とはいえ、セザンヌやピカソほど理知的ではありません。パスキンがキュビズムの道をとらなかったのは、彼がより抒情的な作家であったからだろうと思うのです。
ピカソ同様に高いデッサン力があり、画家としての成功を求めていたパスキンが、キュビズムを試みたことは自然であったように思えますが、彼がその道を選ばなかったこともまた、不思議ではないように思えます。