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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 | 三菱一号美術館

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ピエール=オーギュスト・ルノワール「アンリオ夫人」1876年頃/ポール・ゴーガン「カリエールに捧げる自画像」1888-89年

三菱一号美術館の冬春の展示は、ワシントン・ナショナル・ギャラリーから、創設者アンドリュー・W・メロンの娘エイルサ・メロンのコレクションを中心とした作品展です。

19世紀以降、西洋の画家たちは私的な主題の作品を描くようになりました。身の回りの風景や親しい間柄の相手など、親密で優しい眼差しで描かれた作品が並びます。

三菱一号美術館は19世紀末の洋風建築を復元して建てられました。その趣ある館内に実現したエイルサ・コレクション。小品ながら一貫した感性で作品が綴られていき、初日のせいか人は多かったですが、それでもじっくり楽しめました。

以下、ざっくりメモです。


外光派 身近な風景を描く

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クロード・モネ「アルジャントゥイユ」1872年

入ってまず迎えるのは、印象派の風景画たち。とくに二枚目のモネの風景画には、思わず足を止めてしまいます。川沿いの小径に、木々の間から斜陽が伸びる。戸外制作を好んだこの時期の画家らしい、光の表情を美しくとらえた作品。

この一枚に少しだけ近寄ってみると、長く伸びるオレンジの光が、さっと引かれた一本線で描かれていることに気づきます。草むらのひときわ明るい黄色と、地面にはほんのすこし朱色を混ぜた黄色。たったそれだけの表現が、絵を見たときに視界にとびこむ印象的な光になる。

モネは特別な画家だなあと思いました。他の印象派の画家たちも魅力的な作品を描いているけれど、モネの絵は、はっと人を惹きつける。画面のどこかにそういう工夫が隠れています。

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カミーユピサロ「ルーヴシエンヌの花咲く果樹園」1872年/アルフレッド・シスレー「牧草地」1875年

ついでカミーユピサロの風景画。ピサロは作品の制作に、まずは大まかなアウトラインをとり、二日三日つかって戸外で仕上げたといいます。アトリエでみっちり仕上げる作品と比べて重厚さはないけれど、戸外制作の絵には、光のぐあいをはかりながら、風景との対話で仕上げていく即興性があります。

モネとは逆に、特別さがないという印象を持ったのが、シスレーの作品。とりとめのない日常の、凡庸な風景。いつもそこに変わらぬ姿である景色を穏やかな色彩で描いています。その親しみと愛おしみが静かに伝わってきます。

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ウジェーヌ・ブーダン「トゥルーヴィルの浜辺」1864-65年

ウジェーヌ・ブーダンは、17歳という若き日のモネに戸外で描くことを勧めた、モネにとって師匠のような存在。印象派の先駆者とされるブーダンですが、画風は印象派の中にあると写実的に見えます。

低い水平線とひらけた空、その間に集う人達を俯瞰でとらえる構図。水平の目線と非対称の構図に、物語を一歩引いて眺める眼差しを感じます。

「トゥルーヴィルの浜辺」は、浜辺に風が吹きわたる瞬間を描いた一枚。画面の右から左へと吹き抜ける一陣の風を見るような作品です。ドレスとストールが風にあおられ、婦人たちは思わず傘をかざす。遠くの船の蒸気が風にたなびいています。

光ばかりではなく風の動きを描けたのも、戸外ならではの風景を見る目があったからかもしれません。

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オディロン・ルドンブルターニュの村」1890年

オディロン・ルドンの風景画も展示。「悪の華」アニメEDのような昏く幻想的な絵のイメージが強いルドンでしたが、まさかこんな穏やかな風景画も描いているとは。今回の展示会でもっとも気に入った作品のひとつです。

ルドンが色彩を描くようになったのは、結婚をきっかけにして40代以降のこと。この風景画もその頃に描かれています。余計な情報をそぎ落として、抽象的な画面に仕上げています。理知的な画面構成に対して、色使いはどこか偶然性にまかせているように見えます。

優しい色彩とがらんとした風景の、穏やかな孤独感。理性と無意識のバランスが心地良い作品でした。

ルノワール、スーラの風景画も数点。色を混ぜない細かな筆跡が、やがて点描の表現に近づいていく。この時期、東京都美術館で開催の新印象画展とどことなくリンクしています。

セザンヌの「愛の争い」は今回のラインナップと一風ちがった激しさのある一枚。ただこの流れにおくことで、西洋絵画に立ちおこってくる絵画の自律性に気付かされます。シスレーピサロではまだ控えめな自律性が、ルノワールやスーラを経て、セザンヌでよりはっきり感じられるようになります。

親密なモチーフ

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ベルト・モリゾ「窓辺にいる画家の姉」1869年/エドゥアール・マネキング・チャールズ・スパニエル犬」1866年

後半は親密な題材を描く作品を展示。画家仲間や愛犬、自画像などが並びます。ルノワールの人物画が好きな人はたっぷり楽しめるかも。ベルト・モリゾの姉を描いた作品もよかったです。

個人的には自画像がそれぞれすぎて面白かった。陰影を緑で描いたゴーギャン。ちょっとした侮辱罪では…と思ってしまうマネの描くジョージ・ムーア。繊細イケメン感がただようラトゥール。などなど。

静物画も、それぞれの筆跡の違いがはっきり見えて、面白かったです。ラトゥールの写実的で静謐な桃の絵。その隣にはセザンヌのデザインにも近い梨の絵が並んでいます。

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アンリ・ファンタン=ラトゥール「皿の上の三つの桃」1868年/ポール・セザンヌ「牛乳入れと果物のある静物」1900年

また、「牛乳入れと果物のある静物」でセザンヌは、机の脚を、おそらくわざと傾けて画面の手前に重心を置き、果物がこぼれそうになっている様子を描きました。

キュビズムの出発点と言われる「アビニヨンの娘たち」をピカソが描く7年前の作品で、すでにセザンヌは画面の遊びを試みていたんだなあと思いました。

はっきりした遊びより、こういうさりげない遊びの方が面白いのは、見る側がそれに自ら気づく楽しさがあるからなのだろうと思います。発見の喜びは、見る側の想像力を求めることでつくられるのです。

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エドゥアール・ヴュイアール「黄色いカーテン」1893年

展示会の締めを飾るのはナビ派の作品たち。彼らは色と形態の抽象化をより進めながら、作品に内面性をもとめました。聖書や歴史によった物語性を消し去ってきた19世紀の絵画は、後世の彼らによって、絵画の中にふたたび物語を求めるようになるのでした。

エドゥアール・ヴュイアールは、同じナビ派のヴァロットン同様、戸内の親密な一場面を描きましたが、彼ほどの辛辣さはなく、さりげない日常が描かれています。

戸外へ向けられた眼差しは、ふたたび室内へと向けられます。しかし印象派の時代に獲得した、親密な対象を描くという視点は、変わらず引き継がれました。

モネ、オディロン・ルドン、エドゥアール・ヴュイアールの筆跡には共通したものを感じました。チューブからだしたままの色を、画面のバランスを見ながらおいていく。さっと引かれたオレンジの線だったり、とおく霞む山際の白。色彩に偶然性を宿らせながら、画面を仕上げていく。

綿密に塗り重ねるこれまでの描き方とは異なり、たった一度、筆を走らせるだけ。その一本の線に画面全体からのバランスや、画家の経験や美意識がこめられる。合理的な絵画の中に、非合理な要素が描き添えられました。ここに、線や色彩の一回性という絵画の新たな価値が現れたように思います。

展覧会の絵

今回の音声ガイドで使われていた音楽。The Piano Guys「展覧会の絵」。
じつは音声ガイドは借りなかったのですが…ショップでCDが売っていたのでちょっと気になって帰ってからチェックしました。

この曲ぴったりの、優しい美術展でした。