日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

2014年振り返り 美術館編

2014年後半は現実逃避をするように美術館ばかり行っていたのでした。
時間があるときは感想書いたりしたけど、そうじゃないものもあったので、ここらでざっくりまとめ。

西洋美術館 モネ、風景をみる眼―19世紀フランス風景画の革新

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上野でちょうど時間が空いたので、西洋美術館まで足を伸ばしました。今更モネっていうのもなあと思いながら行って、やっぱり感動して帰ってきた。
つねづねモネの睡蓮は浮世絵そのものと思っていたのだけど、本展示では、日本の美術とモネとの関連性にふれたコーナーも。ある時思い当たった推測が、別の展示会でその通り説明されていたりすると嬉しくなります。

娘たちの乗った舟影が、美しい午後の湖面に映る「船遊び」は、対象物をざっくり切り落としています。モチーフの非対称性と大胆なトリミングは、浮世絵の影響と考えられているそうです。
「陽を浴びるポプラ並木」は、琳派の断ち切りの構図と反復のリズムを思わせます。

晩年はほとんど抽象画のような作品を描いたモネ。視力の低下もあったからかと思うけど、このころの光にうもれるような作品も好きです。

東京国立博物館 大浮世絵展

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浮世絵って木版画だし、肉筆画と違って作品は小ぶりで、絵から直接受ける「やっぱり実物は違う」感もなくて、何がいいのか正直よくわかっていなかったのだけど、大浮世絵でじっくり見て、すっかり「浮世絵はすげえな!」ってなりました。

なにがすごいのかというと、まずはその大衆性。江戸時代には狩野派、土佐派といった御用絵師がいて、彼らが画壇の主流でしたが、一方の浮世絵は美術の対象ではなく、消費文化でした。

絵師が絵を描けば誰かが買ってくれたわけではなく、彼らの間には版元と呼ばれる仲介者がいました。
版元が世相から売れるものを見極め、絵師に発注する。売れるかどうかは絵師の力量もありますが、版元の腕もあります。その典型的な例が、経営の傾いた版元 蔦屋重三郎が、起死回生を狙って売り出した無名の絵師 写楽の役者絵です。

奢侈禁令にふれて版元が処分を受ける例もありました。それを逆手にとって描き幕府を批判した作品もあります。江戸時代に人民主義が芽生えていたかは別の話ですが、浮世絵に描かれる庶民の活き活きとした姿を目にした時、西洋の人々はそこに民衆が主役の社会を見たのではないか、と思ったりします。

展示会の興奮そのままに、浮世絵とボーカロイドというテーマで記事を書きましたが、あとからなんとなく恥ずかしくなって、今でも下書き保存のままです。

太田記念美術館 江戸妖怪大図鑑

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会期中二回入れ替えがあって、全3部。最後の「妖術使い」だけ行ったのですが、他のも見たかったなあと思いました。太田記念美術館は、浮世絵の学術研究もやっているらしく、ただ作品を見るだけでももちろん楽しいのですが、作品の説明の手厚さがすばらしかったです。

「妖術使い」の部は、児雷也や若菜姫といった、歌舞伎や読本などに登場するキャラクターたちが主題。浮世絵の絢爛さもさることながら、当時の民衆を楽しませた娯楽の物語を見る。男装した若菜姫が、女装した鳥山秋作照忠の正体に気づき仲間に誘う、など、今の漫画でもありそうな展開。

妖術使いたちのほとんどは、滅亡した武家の末裔だそうで、道を外しても孝を全うしようとする、忠臣蔵にも似たドラマ性を感じました。


三井記念美術館 能面と能装束-みる・しる・くらべる-

ビル内の美術館だし、とちょっと立ち寄り気分で行ったのですが、とてもよかった。
能のお面は女面のほかに老人や子供、武将の霊の役も面をかぶり、成年男性の役は面をつけない。女、子供、老人は、社会の外にいると同時に、霊性を持った存在として捉えられていたのかなと思った。

とくに魅力的なのは女面。「小面」「若女」「曲見」…年を重ねるごとに表情も変わる。
「おもかげ」の銘で知られる「孫次郎」という女面は、若くして亡くした妻を偲んで打ったものだそうで、顔の左右のつくりが微妙にちがうのです。片方から見ると悲しげに、反対側から見ると穏やかに微笑んでいます。今は遠くにいる妻との静かな対話を見るようで、ぞくぞくしました。


三井記念美術館 能面と能装束 ─ みる・しる・くらべる ─ - YouTube

ワタリウム美術館 磯崎新12×5=60

群馬県立近代美術館北九州市中央図書館など国内の公共施設のほか、ロサンゼルス近代美術館など海外の設計も手がける建築家、磯崎新氏の「建築外思考」をテーマに展示。思考の遊びをたどる。
触発される思いがあって、帰りがけに地下カフェでノートに走り書きした。以下そのメモ。

日本人の空間意識には9つの概念がある。「うつしみ」は聖と俗その反映、「みちゆき」旅、生と死。「うつろい」魂は離れつつあるが他のものは入っていない状態。抜けると「さび」となる。「すさび」枯れゆくものへの思い。「はし(橋・端)」空間と空間を渡すもの。「やみ」闇にきらめくもの。能面は闇の方を向く。神のいる座「ひもろぎ」。

  • 間とは、時間と空間が未分化な状態
  • モンドリアン茶室:日本の茶室が、構造美(合理性)を持っている
  • 日本の文化は私たちの遺産。それを焼き増しして
  • スケッチは自分がそこにいたことの証明


原美術館 開館35周年記念 原美術館コレクション展

一度行ってみたかった原美術館の、コレクション展に足を運びました。草間彌生奈良美智など著名な作家の作品もありましたが、李禹煥の作品が、展示会メイン画見たときからのお目当て。
「line」から感じられる、ほのかな寒暖。「対話」は、二つの四角が呼応しあっているような関係性。対話が成り立っているかは怪しい。でも、0か1の世界と違って、不完全でぼんやりでも成り立つのが人のコミュニケーションかなと思った。

原美術館は、天気の良い午前中に行ったせいか、日差しが部屋いっぱいにあふれて、すごく心地よい空間でした。展示室から人がはける瞬間があったりして、絵の前にたたずみながら贅沢!って思った。

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3331 Arts Chiyoda THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS

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会期中、DOMMUNEが千代田331に引っ越して、100人のアーティストを紹介、20名を招いてライブトークをする企画。会場ではアーティストのインタビュー映像と作品を見ることができる。

現代アートはたまに本当に理解できないときがあって、アートへの不信感を抱くこともあるのだけど、この企画展は面白さもあって、楽しみながら見れた。

ヤノベケンジさんの火を噴くオブジェが、すごい火の噴きっぷりでよかった。
あと榎忠さんのインタビューが、ただの酔っ払いのおじさんにしか見えないんだけど(酔っ払ってないかも)、無茶苦茶で、でも人間味があって、ちょっと衝撃的だった。

いったんパフォーマンス活動をやっている間はそれしか見えなくなって、終わった後ひとりになると、空虚感で泣けてくる。インタビュアーの方が「透明な存在」「もう一人の自分(が無意識に衝動的に動いている)」という言葉を、現代の犯罪者の告白に重ねていて、芸術家の中には、芸術がなかったら犯罪者になっていたかもしれない、なんて人もいるのかなと思った。

あと、ANIME SAKKA ZAKKAという自主制作のアニメーション上映会をやっていたので、ついでで見たのですが、それもとても面白かったです。


新世紀末 奴との遭遇<第一遭遇>「終末の日」 Encounters with that kind Episode 1 - YouTube

東京都現代美術館 新たな系譜学をもとめて‐ 跳躍/痕跡/身体

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思考の散歩、という感じで面白かった。楽しみにしてたのはダムタイプの新作。巨大スクリーンの前のベンチに座って目を閉じると、瞼ごしに伝わる光と音。身体から記憶がどんどん剥離していくような錯覚が心地よい。映像は...あまり見てなかった。

他にはチョイ・カファイ氏の「ノーション:ダンス・フィクション」が印象に残りました。身体に電流を流して、刺激から動きをコントロールして、ダンスをするっていう作品で、どこまで真実でどこから虚構?ってところが多分面白味なんだけど、私はふつうに、身体は文化を記憶する装置というコピーが気に入って、その言葉は、最後の展示である野村萬斎狂言(映像)に繋がるような気がした。

それぞれ地域の土着の舞踊は、彼らが把握した世界観を再現するためのコードではないか。身体はそれを保存する装置ではないか。というSFみたいなことを考えて、満足しながら帰った秋の夕暮れでした。


チョイ・カファイ『“Notion: Dance Fiction” and “Soft Machine”』|京都国際舞台芸術祭2012


千葉市美術館 赤瀬川原平の芸術原論

ずいぶん前に横浜市美術で中平卓馬さんの写真展をやっていたことがあって、たまたま見に行って強烈に印象に残った。そこで受けた印象にどことなく被る。思えば二人は同じ時代を駆け抜けたのだった。
中平さんの写真からは、急激に変化する時代の一瞬を苛烈に生きようとする熱があって、その時代、今の瞬間がすべてというような刹那的なものを感じる。赤瀬川さんの初期活動にも強い攻撃性がある。その批判性は、年齢という波の中で角がとれて、ユーモアへと変化する。
中平さんの変化はもっと急激で、まるで軸の反対側に飛んでしまったようだった。後年の作品には、ただ淡々と日常を見つめる静謐さがある。その落差があまりに大きく、かつての熱がかえって鮮やかに映った。
とはいえ、赤瀬川さんは生涯を通して既存のものへの懐疑を忘れず、別の視点から物事を見る目を持ち続けた。その変化は、だから、成熟であっただろうかと思う。



図録はなんと完売でした…。代わりに赤瀬川さんの書籍を数冊買って帰った。
日本画についてと、利休についての本。読みやすいし、美術史ざっくり概要みたいになってたり、自身の前衛美術について話してたりして面白い。
図録は巡回展のときに増版されるみたいですが…。

赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで | 取材レポート | 美術館・博物館・イベント・展覧会 [インターネットミュージアム]
インターネットミュージアムさんの丁寧なレポート。巡回展についても記載。