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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

光を描く

久しぶりにTXの「美の巨人たち」を見たら、やっぱり面白かった。

今日の一枚は、ディエゴ・ベラスケス「ヴィラ・メディチの庭園」。
絵画警察の二人の刑事が追うのは、晩年の名作「ラス・メニーナス」との思いがけないつながり。印象派が誕生する200年も前に、ベラスケスは、”輪郭線に頼らず素早いタッチで光を描く”技法を試みていた。

ラス・メニーナス」と似ているのは技法だけではない。
同じ「ヴィラ・メディチの庭園」を描いた別の作品からは、同一の風景を時間帯を変えて何枚も描いたモネの作品を思い起こさせる。ベラスケスは印象派の画家たちに先んじて、光の移り変わりを描くことに心を傾けた画家だったのだ。

さらに作品の構図についても刑事の追求がおよぶ。近景に光が強くあたるものを配置し、中景に翳り、遠景にふたたび光をあてる。その光のあてかたは、「ラス・メニーナス」「織女たち(アラクネの寓意)」などの晩年の作品にも共通する。

「ヴィラ・メディチの庭園」は、傑作「ラス・メニーナス」の誕生を予言する作品だったのではないか。

というお話でした。
 

 
前に行ったターナー展でも、似たようなことを考えたことを思い出した。

光の魔術師と呼ばれたレンブラントの絵を見るとき、つい絵の中のハイライトを探してしまう。
だいたいいつも鼻のあたまなんだけど。
そこがカメラでいうフォーカスをあてたところで、シャープに描いてて、それ以外のところはピントがボケたようにぼんやり描いている。
カメラがない時代なのに、ピントとかボケの感覚があるもんなんだなあと、美術展で出会うたびにしげしげと眺める。
 
レンブラントの17世紀から時をすすめて、19世紀イギリス。
風景画家ターナーも「光の画家」と呼ばれた人だけど、絵の前に立つ時に、レンブラントの作品を見るときと同じような気持ちになる。
絵の中で、いちばん強く光のあたっている場所を探してしまう。

大気の向こうに陽がさして、荒れた暗い海に浮ぶ船に光があたる。
ハイライトは船の帆だったり、ときには光をはじく波だったりする。
描きかけの作品の前に立って、この絵を仕上げるときに、ハイライトをどこにおくつもりだっただろうと想像するのも楽しかった。
 
ターナーの、光のあたるところをシャープに描く手法はレンブラントに似ているけれど、光の構図はベラスケスに似ているかもしれない。
近景の強い光と、中景の翳り、そして遠景のぼんやりした光源。

ターナー晩年の作品は印象派を先取りしたとも言われるけれど、そこだけに限らず、ベラスケスと同じように「光を描く」ことを意識した画家だったんだなあと思った。