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[感想]「風神雷神図」俵屋宗達 | 東京国立博物館 特別展「栄西と建仁寺」

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風神雷神図」俵屋宗達建仁寺
 
俵屋宗達は後年の絵師たちに大きな影響を与えた人であったが、彼自身の評価は長らく低かった。
明治初期には海外へと作品が流出しても、気に留める人はほとんどいなかったという。
また宗達に関する資料も少なく、どのような人だったのか詳細は分かっていないことが多い。

宗達は京都で扇屋をいとなむ町絵師だったと見られている。
扇に限らず、屏風絵、料紙の下絵などを制作した。その無名の町絵師をかわいがって引き立てたのが、書家で陶芸家の本阿弥光悦であった。

京都の刀剣鑑定、研磨を生業とする名家に生まれ、美術工芸品に親しむ環境に育った光悦は、書、漆芸、陶芸など幅広い分野に功績を残した。
江戸初期、出版文化の広がりにより、料紙や装填に衣装を凝らした豪華本が作られるようになった。洛西の豪商角倉素庵が、書家光悦の協力を得て版行した嵯峨本の意匠を手がけたのが宗達だった。

宗達の出世作となった養源院の「杉戸絵」の仕事には、光悦の後ろ盾があったとも言われている。
これをきっかけに宗達の名は人びとに知られるようになった。朝廷より「法橋」の僧位を与えられ、また皇室から作画の依頼を受けるなど、絵師として高い評価を受けた。
そうした我が身を振り返って宗達は、光悦なしに今の自分はなかったと語ったのだという。

光悦と宗達、二人の技の競演「鶴図下絵和歌巻」「鹿下絵和歌巻断簡」には、互いの才能の掛け合いを見る思いになる。
詩歌をもとにして光悦の書には、単に意味を写すのではなく、まるで詩歌を詠むような躍動感がある。
宗達の絵もまた、歌のリズムをとるように活き活きとしている。

飛び立った鶴の群れ、軽やかに跳ねる鹿ーー宗達の絵はどこか音楽的だと思う。絵の中の瞬間的な動きが、あるいは図画の繰り返しが、見る者に音を描かせる。
光悦と共作した品々にも即興的な掛け合いがあり、歌合わせのようでもある。

国宝「風神雷神図」は、明るい金地の背景に、颯爽と舞い降りてくる風神と雷神の様子が描かれる。
向こうの世界から、突如と目の前に現れる二神の躍動感。枠ぎりぎりに配した巧みさに、軽妙な音楽を聞く思いになる。

歌と絵の境界がまだ未分化な、そのために音をとらえる感性が絵の中に息づいてる。
歌詠みの文化から立ちおこってきた造形美術が、後の琳派の感性につながっていったのではないかと、漠然と思った。



参考:
『風神雷神』 の俵屋宗達 (児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ)
|京都造形芸術大学 通信教育部 サイバーキャンパス
HIGASHIYAMA district | 京都 東山区 養源院 (ようげんいん)