詩とかって書いたことある? と聞かれて、質問の意味を思わず考え込んだ。
「詩を書いたことがあるかい? 詩は良いよ、君、詩を書きたまえ」
みたいな流れかと思って、これは迂闊に凡庸なことは言えないな、と、
「そうね、書いたことはないけど、読むのは好きよ。そういえばヴェルレーヌは、昔よく読んだわね」
と答えたほうがいいか、
「あーでもそういうことってありますよねー」
と、そつなく答えたほうがいいのか、迷ってしまった。
ちなみにヴェルレーヌは読んだことないけど、昔「太陽と月に背いて」という映画で(略)
よく「女がマニアックなことを言い出したら、たいてい男の影響」とか、「女がポエムっぽいことを言い出したら、だいたい恋をしている」と言われたりするけれど、わりあい真実に近いと思う。私がゴルゴ13とかムーとか好きなのは、父の影響なのだ。
町山智浩「女の子が急にマニアックなこと言い出したら、たいてい男の影響。 」→炎上→平謝り - Togetter
そして、その会話の後、部屋の隅から引っぱりだしてきた、かつてのポエム帳(スケッチブック、絵付き)を開いてみたら、うんざりするほど、恋恋恋だった。
そのうんざりするほどの駄文の中にも、これは名言という言葉があったので、その言葉にまつわる思い出と共に記しておきたいと思う。
曰く、
「恋とは、負け続けること」
この一文が思い浮かんだ瞬間を、私は今でも鮮明に覚えている。
それは、ある晴れた日曜日の朝だった。
10代の私は、恋愛というものを信じていなかった。あれはニセモノの感情だと思っていたのだった。
クラスの女子が集まって、Aちゃんは誰が好き? などというのは、何か違うと思っていた。
それって恋に恋しているだけだよね、と母に言ったら、母は悲しげに答えた。
「みんな初めから本当の恋をするわけじゃないのよ。初めは恋に恋しても、そういうことを繰り返して、いつか本当の恋をするんじゃないの」
私は、ふーんと思った。
そんな私は、ある時ある男の子と同じクラスになった。クラスの人気者でリーダーシップがあって格好良かったが、なぜか絵がものすごく上手かった。
私も絵ばかり描いている子供だったので分かるつもりだけど、絵が上手くなるためには、まずは才能云々より、たくさん描かなければいけない。
だから絵がすごく上手い人は、ひとりの時間をたくさん過ごしている、それだけ孤独になれる人なのだと思っている。
彼は放課後になると、友だちと別れてひとり美術室にやってきて、デッサンをして、ひとり帰っていった。同好会じみた私たち美術部員と会話をすることはなかったけれど、私にとって放課後は少し特別な時間だった。
きっと大勢の中にいる自分とは、違う自分を持っている人なんだろうなと思った。気がついたら、彼の姿を目で追うようになっていた。
その頃、よく聴いていた音楽がある。
洋楽だったけど、シンプルな歌詞なので、歌えるくらいに覚えていた。
ある夏の日の朝、起きて、まだすっきりしない気分を洗い流そうと、シャワーを浴びていたときだった。
その曲のメロディが頭に流れてきたのだ。
ひどい気分の朝
それには理由があったのだけれど
何かが私に言った
あなたにはまだ変わる準備ができていない
私は起きて、シャワーを浴びた
そして考えたわ
一時間もすれば、消え去ってしまうものだって
でも、何かが私に言った
それはもっと奥深くから来るものだと
突然、涙が伝った
ちょうど水のように
私は熱を失ってしまった*1
誰かが私から離れ去っていったように感じた
私だって、もう何千回も死んでいるわ
http://tube365.net/lang-ja/init_char-19/artist-Sophie_Zelmani/track-A_thousand_times/video_id-jWhoZ6qAS24&feature=youtube_gdata
※意訳。怪しい部分はある。
シャワーの水と涙が一緒になって流れて、ああ、私は負けたんだ、と思った。
彼を目で追う度に、同じ教室にいてその存在を感じている時に、もう何百回も負けている。
この歌詞が恋愛の歌詞だったのかは、じつはよく分からないのだけど。
恋人と別れた詞かもしれないし、人生の負けを選んだ誰かに共感している詞かなのもしれない。
けれど、ある日突然、自分の奥深くの感情に打ち負かされてしまう感覚に、共感した。
あれからずいぶんと時間が流れて、私も大人になったけれど、今でもふとした瞬間に、その言葉は私の中にめぐってくる。
”恋とは、負け続けること。”
おしまい。
Sophie Zelmani - A Thousand Times - YouTube
*1:lost the fight:戦意喪失