日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

[雑文]だって人間だものって言うときは、だいたい言い訳

虫には痛覚がないんだという話を見た。
生命の期間が短いから、痛みで命の危機を避ける必要がないんだそうだ。
でも、命の長い魚にも痛覚がなくてそれはどうなんだってコメントがあった。

昆虫が痛みを感じない理由は寿命の短さにあった?(米研究) : カラパイア

痛覚の発達が命の危機を避けるひとつの手段であって、寿命の長い生き物すべてに痛覚があるわけではない、とか。
そうすると、ほ乳類の中でも長寿のクジラには、生命の危機を回避するところの、恐怖の感情もそのぶん強いんだろうか。

まあ、とりとめもなくいろいろ考えてたんです。

前に知人と猫と犬どっちが好きか論争をしてて、犬には喜びや悲しみがあるけど、猫にはない、あいつら満足か不満足かだけなんだって話になって、宗教をもつとしたら犬の方だろうってところに行き着いた。

この頃しばしば考えるんだけど、他の生物にはなくて、人間にあるのが「罪の意識」だと思う。
もしかしたら犬にはちょっとくらいあるかもしれない。
怒られたら、ごめんなさいって顔するし。

どうして人間には「罪の意識」があるんだろう。
考えて、きっと人の社会は、信頼関係でなりたっているからだと思った。
信頼をつなぐことで、自分の立ち位置を確保している。信頼すること、されることが、実はとても大事だということ。
だから、信頼をそこなうことをしてしまうと、罪悪感を感じてしまう。

自分の立ち位置にこだわりがなくて、自分の存在の意義を求めることを他人に頼らない人は、もしかしたら罪悪感もそんなに抱かないのかもしれない。
犬には「罪の意識」があるかも、と思ったのは、犬が他の犬や人間との間に、(猫よりは密接な)信頼関係を必要とするからなのかも。

と、ぼんやり考えた。

猫派の知人は、猫のそういうところがいいんだって言ってた。