日々帳

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[感想]横山大観展 ― 良き師、良き友 | 横浜美術館

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平日に休暇がとれたので、上野のターナー展と迷ったけれど、会期も間もなく終わりということで、横山大観展のほうに駆け込みで行ってきた。
余白とぼかしで自然の気配を描くような作品。後年にはやまと絵・琳派などの研究もしていて、意識的にその技法を取り込んでいる、その辺りも見応えがある。
年を追うごとに技法と絵の雰囲気が変わっていくのだけど、好きな作品をつまみながら横山大観の意識した画法を追って、本展のメモとしたいと思う。


朦朧体

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横山大観「菜の花歌意」図録

『菜の花歌意』は「朦朧体」を取り入れて描いた作品。新しい手法に挑みながらも、上方唄に主題をとった花鳥画を描いた。
「菜の葉にとまれ 蝶の朝」は、遊女が自らを菜の花に例え、愛しい人を蝶と呼んで、愛しい人の現れるのを待っている心境を歌う。
三日月は明けの空にぼんやりとかかり、薄明るくなってくるあたりに、明るい菜の花の黄色が浮びあがる。右に白い蝶の舞うのを見る。冷たく匂いやかな朝の空気。簿明の中にほのかな色彩。

伝統的絵画では、輪郭線をはっきり描くのが常だったのに対して、線を抑えて描こうと試みた菱田春草横山大観の画法は、当時の画壇から悪意をもって「朦朧体」と呼ばれた。輪郭線を描かず陰影によって形をおこす「スフマート」にも似たこの手法で、春草や大観は日本画において、輪郭線に頼らず、ものの形をとらえる表現を試みたのだろうかと思う。
 

色彩と造形 朦朧体のその先へ

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横山大観『瀟湘八景』「平沙落雁」「洞庭秋月」(東京国立博物館所蔵)ポストカード

線を用いずに光をとらえようという試行から大観は、その補いとして色彩と構図の工夫へと手法を模索していく。

『瀟湘八景』では、水墨山水画に親しまれる題材に色彩をもたせている。夏目漱石はこの絵について「気の利いたような間の抜けたような感」と評し、大観にユーモラスな感覚を見いだした。*1

『春曙・秋雨』は春秋をあつかった対の作品。江戸琳派の絵師、鈴木其一にも似た主題の絵があって、近代以前の作品と、ちょうど比較できるかと思う。
秋の紅葉に小雨の降りかかる情景。それと対比するように春の夜にうっすら浮ぶ桜の花。大観の描く紅葉は「空気遠近法」的とも呼べようか。奥の紅葉はうっすらとぼやけ、手前の紅葉は燃えるような紅。遠近感を単純化しながらも意識して描き、葉の幾重にも折り重なる色の奏を響かせる。

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横山大観「春曙・秋雨」(秋田県立近代美術館所蔵)図録
 

片ぼかし 水墨表現の新境地

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横山大観「東山」(東京国立近代美術館所蔵)ポストカード ほとんど判別できないと思うけど、左の山の麓に家があって、屋根の辺りを片ぼかしで描いている。

東海道を徒歩で旅して描き次いだ『東海道五十三次絵巻』*2の制作過程で、洋画家小杉未醒が用いたのにきっかけを得て、のちに大観がその表現を深めた「片ぼかし」。弱々しく引いた筆の内側をぼかすようにして柔らかな雰囲気をつくり、味わいを深める。墨のぼかしに表現の重きをおいた作品はとくに、構図の美に拠っているように思う。大気や水の気配を柔らかく描きながら、画面構成に張りつめるものがあり、個人的にこの辺りの作品は好きなものが多い。
大観の代表作『生々流転』*3は水墨表現に新境地を拓いた。『湖上の月』はその三年ほど前に描かれ、『生々流転』に引き継がれる水墨表現の試みが見られる。
岩に立つ白波。静かな湖上の銀の月。靄の立つような柔らかな山々の稜線が続く。広くとった余白が空間の広がりを感じさせている。湖の上をついと渡る白鳥は小さく描かれ、まるで自分自身が茫洋とした世界に入り込んだような気持ちになる。その広々とひらけた世界で、月の光を浴び、さざ波の音を聞く。

『湖上の月』の代わりにここでは『霊峰不二』『東山』をとりあげる。*4

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横山大観「霊峰不二」(横浜美術館所蔵)ポストカード

『霊峰不二』は絹地の裏に金箔をはる「裏箔」を施して、全体にうっすら金色を帯びさせている。左の墨のぼかしは雲、右に山の根の消え入るぼかしは、山間にかかる靄のようにも見える。画面中央に富士を描き、左右に白黒の靄を配する構成の美。裏箔や雪にかかる白の他は水墨の表現で富士の姿を描いている。
『東山』は『生々流転』を描いた翌年の作品。墨の濃淡で情感豊かな自然の姿を描いている。
 

やまと絵・琳派

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横山大観「秋色」ポストカード

大正期に進めたやまと絵・琳派研究の影響が見受けられる作品に『秋色』『雲中富士』などが挙げられるかと思う。
個人的に思う琳派らしさというのは、ものを単純化・デフォルメし象徴化していくところに極まる装飾性と考えているが、大観はさまざまな画法を模索しながら、そのうちに琳派特有の画面構成の美に表現の可能性を見いだしていったように思える。
西洋画にあって日本画になかったものを取り入れ消化していくのが、大観の試みではなかったかと思うが、新しい画法に挑みながらも、常に向き合い続けたのは、日本の美意識の根本だったのだろう。
 

祇園夜桜」

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冨田溪仙「祇園夜桜」(横山大観記念館)ポストカード

祇園夜桜』は、冨田溪仙が日本美術院の米国巡回展に出展したもので、後に大観が買い受け、しばしば自宅の床の間を飾ったのだという。
暗い春の夜、濃い闇の向こうにしだれ桜の明るい姿が浮かび上がる。篝火に照らされ妖艶な様である。夜道の途中に、不意に目に飛び込んで胸に焼きつくような、鮮烈な光景。
 

「夜桜」

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横山大観「夜桜」(大倉集古館)ポストカード

昭和5年(1930年)、ローマで開催された日本美術展に運用を任された大観は、多忙ながらも自ら十五点の作品を出展した。
海外に日本の美術を知らしめる機会に、どのように作品を見せるのが良いのか、大観は相当に考え抜いたと思われる。*5
出展作品の大作「夜桜」は、その意気込みの表れた一枚。大観は、『祇園夜桜』と同様の篝火に浮き上がる夜桜を主題に、琳派の構図と画法を選んだのだった。
余白の美は西洋には伝わりづらいだろうと考え、画面いっぱいに色彩鮮やかな桜を描いた。絵の前に立つと、篝火に照らされた桜の花と葉が浮かび上がる。山桜の葉の、ふちどりの赤く染まる艶めきを、たらし込みの技法で描き出している。

日本初の官立美術学校の第一期生だった大観は、当時絵を学ぶには画塾に入ることが多い中、一線を画して「学校派」と呼ばれた。*6
大観も大変に学び続けた人であったが、日本古典画のみならず、西洋画、南画まで幅広く学んだ身軽さは、美術学校に学んだところに要因があるのではないかなどと思った。
江戸在野の画家たちも様々な画法を意欲的に学んだが、大観はもうひとつ、職人的な画家というより、今で言うところのプロデュース力を備えた人物であったように感じた。それは、西欧という眼差しを意識したための、時代背景があったとも考えられるのだけれど。
 

蛇足的なお話 日本のかたちと近代日本画

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横山大観「雲中富士」(秋田県立近代美術館)ポストカード

幕末の横浜に生まれた岡倉天心は、貿易商の商家に育ち、藩の留学生を泊めることもあって、幼少期に片言の英語ひとつも覚えるような環境であったという。
八歳から宣教師ジェームズ・バラの私塾で英語を習い始めた。十九歳で文部省に就職した天心は、堪能な英語力から、お雇い外国人*7アーネスト・フェノロサの通訳となる。日本美術に深い関心をもったフェノロサに付き添ううちに、天心もまた日本美術の価値を認識するようになっていった。
東京美術学校東京芸術大学)設立時には、フェノロサとともに欧米美術の視察に出かけている。アール・ヌーヴォーに見る日本画の影響から、日本美術の優秀性を確信するようになるのだった。*8

岡倉天心が創立に関わった東京美術学校の第一期生に、横山大観菱田春草・下村観山がいる。後に天心は、西洋美術派との対立により、東京美術学校を排斥されることとなるが、助教授であった横山大観も、この時職を辞して、天心が構想した日本美術院の創立に賛同した。
大正2年に天心が病没した後、大観は師の理想を追う生き方を継いで、近代化の流れの中に新しい日本画を確立しようと模索した。

岡倉天心と同様に横山大観もまた、国粋主義者としての一面を指摘されることがある。
開国後、西欧の文化や制度、価値観が日本に流れ込んだ。また、明治政府神道を国の要としようと考え、神仏分離令を発令した。これにより廃仏毀釈が広く行われ、仏像・仏堂が破棄された。日本の美術品が海外へ多く流出したのもこの時期であった。
こうした激動期に、日本の文化・美術を守ろうとしたのが、岡倉天心であり、政治家九鬼隆一であった。*9
しかし、近代化が一段落し、国粋主義の気運がおこってくると、日本美術はその象徴に求められるようになっていく。*10
横山大観が富士山の絵を多く描いたのも、そこに関わりがあり、大観自身、当時の国家体制への支援を惜しまなかったのだった。

大観も東京美術学校に入る前に、神田錦町の東京英語学校に4年間学んでいる。そのため、会話には困らない程度に、語学ができたという話である。*11
天心も大観も、海外を良く知っていたからこそ、西欧の存在感を前に、日本がどうあるべきかを、早くから考えた人であったのだろうと思う。
周辺国の存在が大きく、ひとつの民族のアイデンティティが脅かされるときに、かえって自らの文化・伝統にこだわりをもつようになるのは、ごく自然なことだろうと思う。
民族主義が、そういった状況のなかで強固になって立ち現れてきた例は、西洋の歴史にも例を見ることができるはずである。その先、民族主義がもたらせたものは何だったのか、それぞれのケースがその後どのような選択を選んできたのかは、まだまだ私が学ばなければならない部分ではあるけれど。

大観は日本の伝統的な文化・美術に対して過大評価することなく厳しい眼差しで向き合い、西洋画の画法をも恐れることなく取り入れてきた。その中から、日本の伝統的美意識の本質をつかもうとしたのだった。
その作品で示したものは、民族の文化・伝統へのこだわりをはるかに越えているものではなかったか。そしてそれをなしたからこそ、近代日本画を確立し、大観の今日まで残る評価となったのではないかと思う。

今回書ききれなかったこと
  • 詩歌一瞬の美、短歌に鍛えられた主題性
  • 総合美術と江戸絵画

*1:参考:三重県立美術館/横山操・横山大観の「瀟湘八景」 日本画の伝統と近代 陰里鉄郎 横山操・横山大観の瀟湘八景と近代の日本画 図録
瀟湘八景 - e国宝

*2:参考:横山大観展 公式ホームページ 『東海道五十三次絵巻』

*3:参考:生々流転 - 東京国立近代美術館

*4:『湖上の月』はポストカードもなければ図録も二ページに渡って絵が分断されてしまうので、鑑賞したくなった折には実物に会いに行くしかないなあと寂しく思った。福井県美術館所蔵。調べものの途中に、大観展の特別展に行かれた方の記事があったので、参考までに。
参考: 猫とごはんと 20131007 横山大観展の夜間特別鑑賞会に行ってきました(2)。

*5:参考:三重県立美術館/横山大観《夜桜》について 佐藤美貴 横山大観展図録

*6:参考:横山大観展 良き師・良き友 展覧会カタログより

*7:欧米の先進技術・学問を日本に輸入するために雇用された外国人

*8:参考:岡倉天心 - Wikipedia/横山大観展 良き師・良き友 展覧会カタログより

*9:参考:日本人の心を守れ-岡倉天心、廃仏毀釈からの復興 | Web Magazine 笑って!WARATTE No Smile No Life

*10:参考:日本美術史 - Wikipedia 近代 幕末から明治期

*11:参考:横山大観展 良き師・良き友 展覧会カタログより