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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

遺伝子の旅 ~先祖が歩んだ道 :: ナショナルジオグラフィックチャンネル

遺伝子の物語

ナショナルジオグラフィックIBMが共同で進めているジェノグラフィックプロジェクトでは 、過去4年間35万人のDNAを収集、そのルーツを遡る。

人類の歴史は、20万年前アフリカのホモサピエンスの小集団が、よりゆたかな緑を求めて移動したことに始まる。

  • Y染色体アダム:父親から男性に受け継ぐ染色体からたどり着く、6万年前のアフリカ人男性。
  • ミトコンドリア・イブ:母から子に受け継がれるミトコンドリアDNAからたどり着くアフリカ人女性、人類の系図における最古の祖先。

母から子に受け継ぐDNAの99.9%は類似している。祖先をたどるには残りの0.1%の変異を調べ上げる必要がある。
4種の塩基A・C・G・Tのわずかな変化が長い年月の中で積み重なったものは、マーカーと呼ばれる。
変異は能力、外見、体質に影響を及ぼすことなく代々受け継がれる。マーカーの分布を調べることで祖先たちが歩んできた移動の足取りを知ることができるのである。

人類の歴史の3/4の14万年もの間、人類はアフリカにとどまっていた。
人類最古のDNAの系統に属するサン族とタンザニアのハッザ族、両者は15万年前ふたつに分裂した。これは人類の系図におけるもっとも古い分岐(移動の形跡)と見られている。
軌道をめぐるわずかな変化が氷河期を引き起こし、10万年の周期で気候が変わる。北半球は氷に閉ざされ、アフリカは焼けつく熱さで乾燥した。
大干ばつの時代、水源は乏しくなり、遺伝的多様性が失われていたことから、祖先の集団の規模は2000名までに激減し、絶滅の危機にあったと見られる。
7万年前、氷河期が一時的にやわらいだ。大陸各地の遺跡からは道具が出土、新たな遺伝子の系譜も全土に拡散している。人類は以降増加の一途をたどった。
祖先がとった行動は世界を一変させた。彼らはアフリカを離れたのである。
紅海の南端は、アフリカ大陸からアラビア半島までたった28キロの距離。最近の研究で初めの人類は、ここを渡ってアフリカを出たのではないかといわれている。
 

ハプログループM アフリカからアジアへ

6万年前、筏をつかい、あるいは泳いで海を渡った人々は、緑に恵まれた土地にたどり着いた。海沿いに移動しながらイランからパキスタン、インドを経て東南アジアへ至ったとみられる。
気候はさらなる冒険を可能にしていた。氷河期で大量の海水が極地で凍りつき、海面が100m近く低下した。アジア大陸はインドネシア南部までのび、オーストラリア北部までせまった。ジャワ島までは歩いて渡れた。
オーストラリアのアボリジニにもハプログループMのマーカーが見られるが、オーストラリアにたどり着くには70kmの海を渡らなければならなかった。
4万5千年前、祖先がオーストラリアに着いたのは、漂流の末に近いのではないか。
1万1千年前、氷河期が減退すると海面があがり、人々は他の世界から切り離された。
 

ハプログループN 中東グループ

ヨーロッパを覆っていた氷が解けると、水は大気に放出され、アフリカに雨をもたらせた。アフリカの人口は拡大し、緑地を追いながらナイル川を北上しスーダン・エジプトへ入ったグループがいた。彼らはシナイ半島からユーラシア大陸へ渡り、アフリカを出た第二波となった。
 

ハプログループY アフリカからヒマラヤへ
  1. 中東に入ったMグループのうち、ヒマラヤまで到達した。今は過酷なこの地帯は4万年前はオアシスだった。
    南下したグループは3万5千年前、インドで大規模な定住者集団をつくった。

  2. インドに入る前に北上したグループは中央アジアの山岳地帯へと向かった。このグループはヨーロッパ人男性の半数と同じ。タジキスタン、その周辺諸国を起点に世界に拡散していった。
    数千年の間、気候は寒暖の変動を繰り返した。彼らは衣服を作り、たくましく進化して変化に対応した。また文化を育んだ。
    氷河期によって気候が乾燥すると、中央アジアの草地は四方へと拡散し、祖先たちは動物を追いかけ大草原の奥深くへ移動した。

  3. このうち、ひとつの集団はヨーロッパへ向かうコースをとった。DNAの系図を2000世代遡った3万5千年前、ヨーロッパへ最初に進出した集団だ。
    30万年ほど早くヨーロッパに住み着くようになったネアンデルタール人は、この環境に適応し、文化を築いていた。ネアンデルタール人が温暖な環境で槍を使って狩りをしていたとき、現生人類は中央アジアの凍てつく草原で飛距離の長い飛び道具を手にしていた。
    祖先がヨーロッパに渡ってまもなくネアンデルタール人は全滅した。気候は温暖化へと向かい、現生人類の繁栄をもたらせた。

  4. 東アジアへ向かい、アメリカ大陸へ渡った集団は、まず4万年前に東に進んだ。
    氷河期の真っ只中にあった1万8千年前、ユーラシア北部と北アメリカ大陸は厚さ数キロの氷床で覆われていた。凍土を放浪してた人々がロシアからアメリカに知らぬ間に移動していたとしても不思議はない。
    チリのモンテベルデ遺跡は、人類が歩んできた長い旅路の終着地であるアメリカ大陸の最古の遺跡として、広く認められている。この遺跡から出土した石器の刃に海藻が付着していたことは、1万4千年前にアメリカの南端近くまで人類が進出していたことを示している。

 

ついでの話

もうだいぶ前になるけれど、遺伝子についての記事でコメントを残したものの、すっきりしないものがあって、出典元の記事を読んでみた次第。

原文を読むと、おおよそ下記の通りのことを言っているように思う。
(英語が得意な訳ではないので何卒...)

すべてのヨーロッパ人は共通の祖先をたった1000年前に共有していることが分かった。
ある二人が同じDNAの配列を持っているとき、より最近の祖先を共有している可能性がある。遺伝子が発展して多様化するのには長い時間がかかるからだ。
イタリアは数千年の間大規模で安定した人口を持っていたので関連性は低く、イギリス人はケルト人とより関連性が強く、東欧は西欧より互いの関連性が高い。
これまで遺伝学は数万年にわたって行われた移動の研究に集中してきたが、今研究者たちは中世におこった人口の動きを見始めいている。

ある二人のDNA配列において、関連性が低いというのは遺伝子が発展・多様化してるということであり、関連性が高いというのは、人口が減少したり流入流出が少なかったことなどのために遺伝子に変化がみられないということだろう。
イギリス人がケルト人との関わりが深いのは想像に難くないとして、イタリアにおいては人口の流入が多く遺伝子は多様化し、東欧では、人口が少なかったか、他地域からの人口の流入がなかったため、遺伝子の多様性が比較的見られないと推測ができる。

先述したナショナルジオグラフィックIBMの行ったプロジェクトについての番組は、少々専門的なこの記事を読む手がかりとなるかと思う。

まとめの話

遺伝子をさかのぼれば支流はいずれひとつの源に辿り着く。しかしながら人類には、ひとつの集団が協力し合って共同体となった時から、他の集団に対して敵対しやすい性質があるのかと思う。ひとところに定住した共同体は、グループ内の相互協力を確認すべく絆を尊んだ。共同体が安定してくると、外部の人間の流入を好まなくなるのも、自然なことかもしれない。
外界へ飛び出していく好奇心は人類へ発展をもたらせ、内部へとどまらせる力は、文化・社会体制の成熟を促した。と、こう考えると、外側へと惹かれる力と内部へ結びつける力、ふたつの力が私たちの中に内在しているのだと思い至る。
ただ今回は”遺伝子の旅”というテーマの話なので、やはり外界へ向かう力へ思いを馳せたい。
”遺伝子の旅”の物語を見ていると、人類が地上で繁栄を築いたもとには、私たちの祖先の未知なる世界へ踏み出していく好奇心と勇気があったことを感じさせる。環境の変化は遺伝子に変異をもたらせた。私たちの祖先が故郷を離れ、他者と交わることを怖れなかったために、人類は多様化し発展したのだろうと思う。

補足

録画を消してしまって確認ができないのだけど、ディスカバリーチャンネルの「イブの遺伝子」という番組もまとめに少し混じっているかも。
遺伝子に関する箇所だけまとめたけれど、ナショジオの方の番組は、NYに住む男女200人が、遺伝子サンプルからそれぞれの祖先のルーツを辿るというドキュメンタリーにもなっている。見た目からは想像できない意外なグループの祖先とつながっていたりで、面白かった。私たちも、日本人かアジア人かと思っていても、人によっては意外な祖先を持っているかもしれない、なんて思った。

*1:再放送は少なめな印象。年に一度くらいは放送するかな?