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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

[感想]若冲が来てくれました プライスコレクション展 江戸絵画の美と生命 | 福島県立美術館

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福島県立美術館/長沢蘆雪「白象黒牛図屏風」(複製)/美術館近くの珈琲屋さん

福島県立美術館若冲が来てくれました」展は、ロサンゼルス在住の日本画蒐集家ジョー・プライス氏のコレクション*1を中心に、東北復興支援の一環で催された美術展。江戸時代の絵師、伊藤若冲の作品の魅力にいち早く気がつき、手元に集めてきたプライス氏ならではの、若冲の作品を中心に据えた展示会になっている。
若冲の他にも、酒井抱一、鈴木其一、長沢蘆雪、円山応挙、曾我蕭白など、展示作品は蒼々たる顔ぶれなのだけど、近年再評価を得た絵師の作品がこれだけの点数で揃うのはおそらく滅多になく、何よりもプライス氏自身の若冲への愛情の深さが感じられて、やはり若冲の作品が今回の展示の目玉となっているように思う。

展示はいくつかのテーマに分かれているが、まずは日本画を初めて見に来る人に楽しめるような、日本画の見方のヒントをもとに主題を定めている。
表情を楽しむこと、数遊びを楽しむこと、左右の対比を楽しむこと。プライス氏の心にそって日本画を眺め、その愉しみを発見できるような工夫を凝らしている。


森狙仙「猿図」

もし展示会の作品から一点だけ特別な作品を選ぶなら?という質問に悦子夫人が言うには、森狙仙の「猿図」なのだとか。過去にロサンゼルスで催された「鳥獣・花・虫」展でも、人気が高かったというこの一枚。宙を飛び回る蜂とそれを見上げるサルを描いた作品は、無言の中にユーモラスな味わいがあって、吹き出しがあれば見る人思い思いの台詞が出てきそうだ。
この絵について私は、尻を掻きながらまったりしているところに蜂が現れて、急にそわそわし始めるサルとストーリーづけたけれど、プライスさんは、蜂をとらえようとジャンプしたが届かないまま落下するサル説を推しているとか。

竹田春信「達磨遊女異装図」

禅宗開祖の達磨大師と、遊女が着物を取り替えている。異なるものの組み合わせという面白さがあるけれど、この絵の背景には、当時、遊女も辛く献身的な仕事をこなしているのだから、修行僧と同じくらい尊いのではないかという論議があったのだという。この論題、今でもたまに見るような。大胆な物言いは江戸の大衆文化の自由闊達な賑わいゆえと想像する。
この異種入れ替えの発想は、例えば、異なる二人の心と身体が入れ替わってしまったり、女体化・男体化、擬人化などの特殊なジャンルに通じるものがあるように思う。男性・女性、清と濁、あるいは人と獣というような対比されうるものの、その境界を自由に行き交う存在への許容が、日本の庶民文化には潜んでいるのではないかと思った。
 
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森狙仙「猿図」/ 竹田春信「達磨遊女異装図」
 

伊藤若冲「群鶴図」

体をよせ合って立つ鶴。鶴たちは首をひねって足を曲げたりしているため、一見しただけでは、何匹いるのか、どの足がどの鶴のものなのか、判断がつかない。あれ、足の数があってないような、と思わず数えてしまう。「数がものをいう」編では、他にも三十六歌仙と題しながら、35人しか人物が描かれていない絵(酒井抱一三十六歌仙図屏風」)や、百人のお福さん描いたという「百幅図」(雅熙:ざっと数えたところ百人前後はいるようだけど…)など、数のトリックが隠された作品を展示している。


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伊藤若冲「群鶴図」
 

長沢蘆雪「白象黒牛図屏風」

円山応挙のもとで学びながらも独自の画風を拓き、現代においては、伊藤若冲曾我蕭白とともに「奇想派」と言われる蘆雪。快活で大胆な構図、明るい色使いが魅力でもある。
たとえば蘆雪「虎図」では、表は今まさに飛びかからんとする虎、裏は水中の魚を狙う猫の姿を俯瞰に描いて、視覚的な仕掛けを凝らしている。虎と思ったのが実は猫だったという結びもさることながら、今でいうと、「魚眼レンズ」と「広角レンズ」の見方の使い分けを絵の裏表に施している。*2*3
「白象黒牛図屏風」にも、こういった仕掛けが隠されていて、黒と白、闘争と温和さなど、いくつかの対比を左右に施している。
言葉で言うと単純なのだけど、対比に意味を持たせ、ユーモラスに描くというところに面白みがあると思う。
 
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長沢蘆雪「白象黒牛図屏風」
 

葛蛇玉「雪中松に兎・梅に鴉図屏風」

ファインバーグ・コレクション展出品の「鯉図」で知った葛蛇玉。世界に6点しか残ってないという作品のうち、2点がプライス・コレクション。ほとんど無名だった葛蛇玉を発見したのも、プライス氏だった。*4
ここでは、夜の闇と雪の白、梅と松、カラスとウサギを対比させている。カラスは太陽、ウサギは月の象徴という解釈もあるよう。松と梅は、男性と女性とも読めるだろうか。夜の静けさにしんしんと降る白雪の明るさ。その明暗・静動の対比が印象的な作品。蛇玉には、奥深い自然の味わいを背景にしながら、描かれた生命にどことなく怪しさを漂わせる不思議な魅力がある。
 
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葛蛇玉(かつ じゃぎょく)「雪中松に兎図屏風」
 

鈴木其一「貝図」

改めて見ると、16世紀のフランドル画家によって描かれた静物画を彷彿とさせる。この寓意的静物画の主題となったのは、儚さ、虚しさであった。それらの主題はヴァニタスと呼ばれる。例えば、時計・枯れかけた花・果物や魚・髑髏などを描く。鈴木其一のこの一枚は、熟れはじめた梅と貝で、初夏にさしかかった季節を表しているとのことだが、フランドルの静物画よりは生命の瑞々しさを感じさせながらも、根本には移り行く季節という限りあるものの一瞬を描こうとしているように思う。其一の絵は無表情なところもあって、その絵の沈黙加減が、どこかヴァニタスを感じさせるのかもしれない。
 


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鈴木其一「貝図」
 

鈴木守一「秋草図」

掛け軸にする際に裂地などで絵の外縁に施す表装に見立てて、画面の中に装飾を描いた「描表装」は、酒井抱一が好んで描き、その弟子其一と、息子守一にも引き継がれた。*5 それは装飾性の美にとどまらず、近景と遠景をひとつの画面の中に描くという二つの眼差しを同居させる面白みと、本紙に描かれた世界が、その枠を抜け出して、私たちの世界へ流れ込んでくるような、空間表現の巧みさがある。
秋草の彩る中、いち光景を拡大した一枚。あたりを飛ぶモンシロチョウを、萩の花の影からじっと狙うカマキリ。美しい野花の風景に虫たちのスリルの物語をひそませている。視覚の効果と、花々と虫たちを主題とした自然主義、ストーリー性。この絵の前に立ったプライスさんの心境を思うと、新鮮な驚きを辿れるような気持ちになる。

”伊年”印「芥子薊蓮花草図」

「伊年」の印は、俵屋宗達の号で、彼とその後継の絵師に受け継がれた。「芥子薊蓮花草図」は作者不詳だが、宗達・宗雪から印を継いだとされる喜多川相説の作品ではないかと推測されている。喜多川相説は江戸前期の画家で、どのような人であったかほとんど記録がないが、作品は草花図を中心に比較的多く残っている。*6 宗達が得意とした「たらし込み」技法を多様しているが、黒に緑のにじみだけではなく、黒に薄紅のにじみも多く入れていて、野花の彩りがいっそうつややかで新鮮に思える。季節は初夏。草花に差しかかる光のつやも描き表したような一枚。
 
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鈴木守一「秋草図」/”伊年”印「芥子薊蓮花草図」
 

円山応挙「懸崖飛泉図屏風」

右隻の図上から遠景に流れ落ちる瀑布は、左隻で流れの豊かな川となって現れる。画面中央は霧にかすむ幽玄の山。二匹の鹿は、時折甲高い声を響かせて、山の静謐さと自然の壮大さを感じさせるようでもある。距離をとって眺めると、その雄大さのなかに佇むようで心地よい。
これを見ていた人が、マイナスイオンを感じる!と連れ合いに報告して、なおしばらく絵を眺めていた。今風に言えばマイナスイオンなのだろうが、それは水の気配ということだろうと思う。右奥の滝の勢いよく流れ落ちる水の様と、中央の霧の漂う柔らかな水の匂い、左手前にいたって、絶え間ない水音をあげて流れる川の姿となる。横山大観の作品に水の流転を描いたものがあったが、応挙のこの作品も、山に見る水の流転を描いているように思う。ぜひ絵の前に立って鑑賞すべき作品。
 
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円山応挙「懸崖飛泉図屏風(けんがいひせんずびょうぶ)」:左隻8曲のうち4曲。右隻4曲のうち3曲。中央の山霧と鹿の部分を割愛しています。
 

酒井抱一「十二ヶ月花鳥図」

動植物を描く文化は、そういえば西洋にはなかったのかもしれないと思った。風景画や静物画さえ、宗教としての絵画からの転換としてとらえられる。酒井抱一「十二ヶ月花鳥図」は季節ごとの草花を描きながら、そこに鳥や虫の姿をしのばせる。花の美しさだけではなく、息づく命のそのものを描くような作品。時には生き物たちの物語までも感じられる。
この十二ヶ月分の絵はとても人気で人だかりが絶えなく、二巡目のときは人垣の後ろからぼんやり眺めたのだけれど、絵をみる人達の会話が面白かった。どこにどの生き物が隠れているのか、当てっこをしながら進んでいく。絵の美しさとは別のことで、絵に遊ぶ、体験する美、という日本画の魅力を改めて教えてくれた作品だった。
 
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酒井抱一「十二ヶ月花鳥図」八月/五月/四月
 

鈴木其一「青桐・紅楓図」

師匠抱一の、より自然主義的で情緒があるのに比べて、其一は、機知と装飾性に富んで、情緒に乏しい非情美を感じさせる作品が多いが、「青桐・紅楓図」には、その印象を覆す、季節の匂い立つ美しさがある。今回展示の「貝図」「柳に白鷺図屏風」も、時を止めたような造形美がある一方で、この作品には、時間の流れがある。雨に濡れる楓は、青葉から紅に染まりつつあり、燃えるような色彩の秋がはじまろうとしている。ざっと降る夏の雨にうたれる青桐の白い花と大きな葉。絵からは夏の音と香りが漂ってくる。この絵からは鈴木其一の挑んだ主題の幅広さに気づかされるように思う。
 
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鈴木其一「青桐・紅楓図」
 

森狙仙「梅花猿猴図」

猿ばかりを描いて「猿描き狙仙」*7と呼ばれた森狙仙は江戸後期の画家で、初め狩野派に学び、後に写実を重視する円山応挙に影響を受けた。猿画を描くために、猟師が生け捕りにした猿をもらい受けたが、それでは自然のままの猿ではないと指摘され、以後数年、野山で猿を観察したのだとか。*8
写実の技に裏付けされた、柔らかな毛と豊かな表情。猿たちの人間くさい一瞬を切り取るユーモラスな感性。梅の枝にぶらさがって、虫をとらえた親猿の華麗な身のこなしに、驚いたような顔の子猿の表情。野生の動物たちに向けられた愛情の眼差しが感じられる。

岸駒「雨中雄鶏図」

北陸の生まれで京都で活躍した岸駒は、南蘋派*9円山派から学びながら、写実によって迫力ある動植物の絵を描いた*10。特に虎の絵を得意としたが、ここではじっと雨に耐え忍ぶ雄鶏の姿を描いている。大輪の薔薇と雄鶏の羽の彩りの美しさは、南蘋派の影響を伺わせる。厳しい自然の中に立つ一羽の雄鶏の姿。同じ動物画でも、岸駒のとらえる世界は厳しさとともにあるように思う。

亀岡規礼「虎図」

応挙の高弟、山本守礼の弟子となり、後に守礼の生家亀岡姓を継いだ。当時日本にいない虎を描くために、絵師たちは大陸から虎の毛皮を取り寄せたり、虎の絵を得意とした岸駒に至っては、虎の頭蓋骨や四肢を手に入れ、解剖学さながらに観察し写実した*11。岸駒の異常な執着による迫力ある虎は別として、通常絵師たちは、虎のポーズを猫から真似たのだと言う。そんなわけで、体躯は大きく恐ろしげな中にも、どこか愛嬌としなやかさがある日本画の虎の姿も、ここでしか見られないものという感じがして、見るに愉しい主題である。
 
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森狙仙「梅花猿猴図」/岸駒「雨中雄鶏図」/亀岡規礼「虎図」
 

磯田湖龍斎「雪中美人図」

江戸時代中期の浮世絵師鈴木春信に影響を受け、後年ふくよかな女性を描いた独自の美人画で人気を得た。代表作「雛形若菜の初模様」は、正月に初めて着る着物(若菜の初模様)の見本帳(雛形)という意味で、吉原の遊女に新作の着物を着せる、今で言うファッションカタログのようなものなのだとか。*12
そんな売れっ子浮世絵師の磯田湖龍斎が描く、雪の中の美人図。どんより薄暗い中に粉雪と女性の着物の眩い白。赤い襦袢がちらりと見えて、絵の中に鮮やかな印象を残す。冬の風景にあって女性の美しさが映える作品。
 

山口素絢「美人に犬図」

山口素絢は江戸後期の絵師で、円山応挙に絵を学び、美人画、花鳥画をよく描いた。夏の日に夕涼みに出た遊女のあとを、一匹の犬がじゃれてくる。はだけた胸元に右手のうちわ、夏用の薄い着物に赤い襦袢が透ける。磯田湖龍斎「雪中美人図」が冬の美人図なら、こちらは夏の美人図。夏の夕暮れに外に出てきた美女が風景に涼しげな印象をつれてくる。美人とは造形の美だけではなく、その空気にいて美しいことなのだなあと思った。
 
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磯田湖龍斎「雪中美人図」/山口素絢「美人に犬図」
 

”5部「お話聞かせて」”の雑感

5部「お話聞かせて」では、長谷川派「義経記図屏風」、酒井抱一「佐野渡図屏風」、鈴木其一「狐の嫁入り図」など、それぞれに感じるものが多かった。フランドル画派におこった絵画の中に寓意性を求める作風は、西洋では意識的なものであったが、日本においては、自然と現れたという感じがする。長谷川派「義経記図屏風」など、壮大な物語を屏風の中に描きおさめてしまう発想など、よく考えると突飛に思える。
鈴木其一「狐の嫁入り図」は、黒澤明監督の「夢」の中の一作目「日照り雨」を思い出させる。晴れているのに降る雨の中に、行列をなす狐。天候の変化を鋭敏にとらえ、そこに不可思議なものを想像する日本文化の感性の豊かさを思い知らされる。
 

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鈴木其一「狐の嫁入り図」
 

伊藤若冲「鶴図屏風」/「花鳥人物図屏風」

伊藤若冲は「動植綵絵」の印象が強くて、細密画の人かと思っていたのだけど、今回の展示で認識を改めさせられた。ファインバーグ・コレクション展で見た「菊図」にも感じたことで、画面に音楽を思わせる構成と線のリズムの美がある。細密に描く技も心得ているが、素地はあくまで、軽やかで即興的な筆にある。
その素早い筆さばきを見ることができるのが、「鶴図屏風」や「花鳥人物図屏風」。鶴や人の背中をさっと円で描くなど大胆な省略をほどこしながら、画面にリズムをつけ、羽の模様などは墨の濃淡を交えて緻密に表現する。
本業をのけてまで絵に明け暮れた若冲を努力の人とばかり思っていたけれど、絵の中に構成と濃淡と大胆にバランスをとる感覚の良さは、努力とは異なる生来のものであるようで、天才肌という一面を見た思いがした。
 
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伊藤若冲「鶴図屏風」

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伊藤若冲「花鳥人物図屏風」(一部)
 

伊藤若冲「竹梅双鶴図」/「旭日雄鶏図」

一筆の魅力とは異なった、細部まで緻密に描く若冲の彩色画。「竹梅双鶴図」は羽毛の白を一本一本丁寧に描くことで表現している。尾の黒もまた、その毛並みを細筆で丁寧に描いていて、飽きずに眺められる。「旭日雄鶏図」は、若冲の強みをはっきり見ることができる作品。整った構図の中に、雄々しく優美な鶏の尾がたなびいて、画面に動きを与えている。羽毛の一本一本が、はっきりした色使いで描かれる。
日本画の色使いを、ファインバーグ氏は「色を混ぜない」と言い、プライス氏は「色を重ねない」と表現した。*13 実際には日本画にも滲みやぼかし、濃淡の重ねはあるけれど。若冲のくっきりした色の描き分けで表現する写実性は、見る者に鮮烈な印象を残す。
 
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伊藤若冲「竹梅双鶴図」/「旭日雄鶏図」
 

伊藤若冲「葡萄図」/伊藤若演「芭蕉図」

「葡萄図」は、プライスさんを日本画の世界に引き入れた運命の一枚。
「葡萄図」は墨の濃淡で葡萄の枝の乾いた感じや、実の瑞々しさを表現する。その弟子若演の「芭蕉図」では、見上げた空に芭蕉の葉がかぶさり、大きな影を落として、その翳りが心地よい。
ふたつの絵はどこか、印象派の画家たちの作品に通ずるものがあるように感じる。同じように植物をモチーフに描く画家に酒井抱一らがいるけれど、彼らの作品には要素を画面に再構成する工夫がある。若冲「葡萄図」や、若演「芭蕉図」には、再構成の美ではなく、自然あるままをきりとるような澄んだ感性を思わせる。自然を主題にして美しい光景を写真に撮りおさめたような構図。印象派の作品で言うと、モネの「睡蓮」が近いように思う。
 
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伊藤若冲「葡萄図」/伊藤若演「芭蕉図」
 

常設展

途中、常設展も立ち寄った。斎藤清という版画家の作品が良かった。しなやかで愛らしい猫の作品もいいけれど、モノクロの風景作品もいい。丸みのある輪郭線がやわらかな雰囲気をつくっている。復興支援の一環で行われた特別展の国内賛助出品として、東山魁夷の「青響」も展示されていた。福島は土湯峠の風景を描いた作品とのこと。東山魁夷のいくつかの作品は、音楽が聞こえるようだと思う。遠くにどおっと流れる水音と一体になって、山の深い青が響いてくる。その迫り来るような青。この絵の前にずいぶん長く佇んでいる人がいて、ああこの人は青の響きを聞いているのだなと思った。
 

まとめ 日本画の愉しみ

絵を見る時に私が気をつけていることは、なるべく作者の気持ちに立つということで、もちろん完全にその人の心になることはできないけれど、そうすることで、作品に向き合うたびに新しい発見ができるような気がする。何世紀に描かれたのかという時代背景や、その絵が主流の表現なのか異端の表現なのかなど、作者の心を知る手がかりは増えるほどに、思いはせることは増えていく。その方法が最上とは思わないし、絵の見方はそれぞれでいいと思うけれど。
今回はプライス・コレクションということで、展示にもプライスさんの目線を紹介するような工夫がされていて、画家たちというより、プライスさんの心になって作品を見れたように思う。

プライスさん自身、絵に対して深い知識があるわけではなく、見て面白いあるいは美しいと感じた作品を選んでいるのだという。日本画との出会いとなった若冲「葡萄画」のエピソードにはそれが端的に現れている。知人に連れ立って入った古美術商で一目惚れをして、誰が描いたのかも分からないのに購入したのだという。
今回の展示会にプライス夫妻が頼った辻惟雄さん(MIHO MUSEUM館長)が、プライスさんに出会う前のことを語っているのが図録にあって、とても面白かった。
”プライスという若い金持ちの息子がいて、(略)「若冲はないか」といって京都や東京の画廊を訪ね歩き、どんどん買っている。その若冲とはいったいどういうものだろう”
その頃まだ若冲がほとんど認識されていなかった様子が分かる。それを外国から来た変わり者の青年が端から買っていく。これはどういうことだろう。こうして”発見”された若冲は、プライスさんの好意があって展覧会にも少しずつ並べられるようになり、その度に若冲の人気は高まった。
2012年にワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーで開かれた個展は話題を呼んで、日に日に長い長い行列となった。*14 日本では2000年の京都国立博物館「没後200年 若冲展」、2006年には「若冲と江戸絵画 プライスコレクション」(全国巡回)が開催された。プライスさんは、2006年の里帰り展で、今風の若い人たちに涙ながらに、美術館に来たのは今日が初めてであること、日本の江戸の美術が素晴らしいものだと知らなかったと打ち明けられ礼を言われた経験を記している。*15
ここで言えるのは、若冲が日本画や美術を知らない人の心にも訴える力のある画家だということだろうと思う。プライスさんがそうであり、また日本画を知らないワシントンの人々や日本の子供たちがそうであったように、若冲を見る時、まっさらな心で見てほしいと望む。展覧会を通して、そんな願いが伝わるような気がした。

では自分はどうかと言うと、構成がどうだ時代背景がどうだと考えるのが好きなので、これはどうしようもない。ただ、まっさらな心で見るという視点を、意識することはできるかもしれない。
むしろ日本画は、絵の素人が楽しみやすい分野ではないかと思う。そこには江戸大衆文化の機知が潜んでいるからだ。
たとえば歌合という文化は平安時代からある。そこでは季節というテーマで要素を合わせるという工夫がなされる。それは日本画の中にも生きていて、季節ごとの絵はもちろん、ひとつの絵の中に四季や春秋が並列していたりする。(酒井抱一「十二ヶ月花鳥図」、円山応震「麦稲図屏風」)そこからさらに、対比して新しい意味を浮かび上がらせる表現もある。そうして、若冲の「鶴図」、鈴木守一「秋草図」のような視覚の遊び。
いつも思うのだけれど、駄洒落に似た意味遊びのようなものが、日本画にはある。美術でありながら、遊びの要素も潜んでいる。プライスさんはそれに気づいて、日本画の魅力に惹かれていったのではないかと思う。

休憩がてら図録を読んでから、気に入った絵だけをさっと眺める二巡目に足を向けたのだけれど、改めてその意識を持つと、絵の前であれやこれやと言い合っている人たちが新鮮に思えた。三十六歌仙をわざと一人描かないのは、数の合致を嫌がる日本の文化だとか、ああここにカマキリがいたとか、若冲の、やあと挨拶をしている風な鶴と同じポーズをとってみたり、若冲の鶴まんじゅうを作れば売れるに違いないだとか。これがもしも日本画でなければ、思い思いに楽しむ姿を見れただろうか。いつも周囲を見てないので、何とも言えない。ゴッホの絵を下手だというのが聞こえて、悲しくなった経験ならあるけれど。
見ている人の感想を盗み聞きするのは、あまりいい趣味ではないかも知れないけれど、まっさらな心を忘れそうになったときには、それを取り戻すきっかけにはなるように思う。

*1:参考:心遠館 - Wikipedia 自宅に設立した「心遠館」は、プライス・コレクションを展示する美術館。作品をガラスケースに入れない、和室に掛け軸を掛けて鑑賞するなど、その展示方法は、自然光の中で作品を見てほしいというこだわりにもとづいている。

*2:KIRIN~美の巨人たち~ 長沢芦雪作「白象黒牛図屏風」 より

*3:追記:虎が猫だったという逆転は、当時日本に虎はいなくて、猫をモチーフに描いていたということを揶揄しているのだろうかとも思った。

*4:もう一点は岩の上で虫を加えるオウムの絵「蘭石鸚鵡図」

*5:参考:京都造形芸術大学 通信教育部 サイバーキャンパス 江戸琳派における描表装再考 —その特質と展開、成立の背景について—

*6:参考:喜多川相説の他の作品 石川県立美術館 所蔵品データーベース 作品詳細 秋草図 喜多川相説

*7:参考:主な収蔵作品リスト「雪舟と雲谷派・その他の作家」 | 展覧会 | 山口県立美術館#森狙仙

*8:参考:森狙仙 - Wikipedia#生涯

*9:沈南蘋から絵を教わった門人とその一派。写実的な彩色花鳥画が特徴

*10:参考:柴田泰山ギャラリー 岸派の成立とその芸術

*11:岸駒 - Wikipedia#岸駒の虎

*12:参考:KIRIN~美の巨人たち~ 磯田湖龍斎作「雛形若菜の初模様」より

*13:ゴッホは「明るく澄んだ色」と言った。19世紀の画家スーラは、絵の具を混ぜて色がくすむのを嫌って、原色のみを使い点描画を描いた。

*14:参考:奇才、伊藤若冲の魅力:ナショナル・ギャラリー展を観て 池原 麻里子(Ikehara, Mariko) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

*15:参考:芸術の癒しの力:日本美術の世界的コレクションが東北の被災地を巡回 | nippon.com 図録にもありましたが、他のインタビューでも答えていたようです。