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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

[感想]映画 「キングダム オブ ヘヴン」

おもしろかった。
物語の主題と、歴史創作について記します。

とくに、エルサレム軍(ヨーロッパ・キリスト教)とサラセン軍(イスラム教)との戦いのシーンは見応えがある。

前哨戦、大軍のサラセンと少数のエルサレム軍が衝突する様子を音のない空撮でじっくり描く。先頭から二手に分かれたエルサレム軍が、弧を描いて彼らを包囲しようとするサラセン軍の前線とぶつかると、敵味方入り乱れての激しい白兵戦となる。ここで一気に近撮となり、蹄の轟く音、剣の交わる音が臨場感たっぷりに響く。

物語の山場となるのは、エルサレム城に籠ってサラセン軍を迎え撃つシーン。ろう城を指揮したイベリン卿バリアンは少数の兵しか残っていないエルサレムで、知恵と人望をもって強軍サラセンに粘りを見せる。彼の戦術と的確な指示はサラセン軍司令官サラディンをも唸らせる。

この辺りが、個人的には一番のみどころだった。

 

話の全体を見ると主人公のバリアンが、理想的に描かれすぎているのが気になった。富と権力と信仰への執着が渦巻くエルサレムという場所を、そここそが全ての元凶ではないかと考えるようになるのは、現代の感覚だという気がする。
けれども、それは物語の主題を解くひとつの鍵であるかもしれない。この物語は主人公の成長潭ではなく、あの時あの場所にあった歴史的で濃密な空気なのではないかと思う。

聖地でありながら多くの血を欲した土地。聖なる眩さと罪の深い影。その聖地を巡る戦いの中でも、良心的な振る舞いを心がけた名将がいた。彼の行いはやがてヨーロッパ騎士道の精神へ影響を与えていく。

サラセン軍司令官サラディンの敵にも礼を尽くす振る舞いは随所に描かれる。病気の王に彼らの医師を遣わせたり、捕らえた王に氷水を差し出し、王は王を殺さぬと言う。バリアンも良心的ではあるけれど、史実通りに描かれているのはサラディンの方だ。

ヨーロッパ世界は、敵対するサラセン軍から良心を学び、彼らの騎士道精神を自ら問うこととなる。十字軍の騎士たちがサラセン王(兼軍司令官)に見たのは、他者を尊ぶ姿勢だった。それはよく「寛容性」と称される。騎士道精神の要ともなる「信仰心」と「寛容性」が両立するものかという問いには、サラディンの人となりが答えになるのかもしれない。

戦いの終わりに、バリアンが「エルサレムの価値とはなんだ」と尋ねると、サラディンは「無だ…全てでもある」と答える。これには、ひとつは彼の生き様が信仰とは切っても切れないものであること、ひとつは、現実主義者と理想主義者の二つの側面を彼が持っていた事を表しているのだと思う。サラディンは時に味方が気に病むほど敵を厚遇したが、戦いとなると慈悲を捨てた。

この物語で、実はサラディンを描きたかったのだというには、私の好みが反映されすぎていると思う。ではバリアンがそうだったかというと、バリアンに描かれた”騎士として正しくある”という姿勢ゆえの正直さと寛容性は、エルサレム王国に映し出されたサラディンの鏡の姿のようであることを思いつかせる。

個人的には、歴史の強烈な光と闇がまずあって、そこに生きた人物に描くに足りる高潔さと魅力があったということではないかと想像する。

 

とはいえ、バリアンの葛藤や彼個人としての決断も描かれていて、それは物語たる上で必要最低限をおさえている。

イベリン卿バリアンという人物は実在し、十字軍がハッティンの戦いで敗れた後、エルサレムを守るために指揮を執ったのは事実である。だが、バリアンがイベリン家の隠し子として生まれ、自らハッティンの戦いを固辞したというのは、フィクションらしい。

バリアンという人物を史実から切り離す事で、現代の視点を預ける事を可能にしているのかもしれない。だからこそ彼は、戦いの地ではない場所で生まれ、戦いから遠ざかって終わりを迎える。それはバリアンという人物とその眼差しが、あの世界の外側からやってきたということを意味しているのだろう。

史実をもとにストーリーを作る時にどれだけ事実に基づくのか、という点をこのごろ不思議に思っていたので、史実にフィクションを大胆に取り入れるという手法は学ばされるものがあった。

 

写真でイスラーム サラディンとバリアンの信義
http://mphot.exblog.jp/d2006-05-12

バリアンとサラディンとのエピソード、これはこれで面白いとおもう。

 

ここからはネタバレもふくむけれど...

実際は、シビラはバリアンの兄ポードゥアンとの恋仲だったようで、母に反対されギーとの結婚になったのだとか。ギーとの関係は作中で描かれるのとは異なり、政治的に協力しあっている。

エルサレム陥落後はティールに逃れたが入城を拒否され、残った王国軍でイスラエルの都市アッコンを攻城するが、その最中に亡くなった。ギーはシビラの妹イザベルがエルサレム女王となった後も王位を主張した。イザベルがシャンパーニュ伯を夫にしフランス王がこれを支持すると、ギーは王位を諦めてキプロス王国を受け取り、エルサレムを退く。

バリアンはというと、シビラに懇願されエルサレムの防城を指揮した後は、アッコンにおけるエルサレム王国でイザベル一世のもと実力者として君臨した。

 

エルサレム王国 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%8E%8B%E5%9B%BD

宮廷派と貴族派で対立を深めた王国はポードゥアンを擁立するか、ギーを擁立するかで対立、後にはイザベルかシビラかで対立した。
ハッティンの戦いがもとで、最終的にはイザベル派が王位を得る事となった。

 

登場人物のイメージができると、複雑な派閥争いも幾分か分かりやすくて面白い。
映画のストーリーもいいのだけど、史実の方もなかなか興味深い。

 

追記: そういえばなぜ息子バリアンと父ゴットフリーは生き別れたんだろう。庶子とかではないのかなと思って検索してみた。結局分からなかったけど。それとは別に、この感想が面白かった。

超映画批評『キングダム・オブ・ヘブン』70点(100点満点中)

ストーリー内で、「大きな善の前の小さな悪」って台詞が出てくる。あれは批判の言葉かと思ったけれど、その悪をなせなかったために戦につながったと考えるべきかしら。
エルサレム王とサラディンによってかろうじて保たれていた平和が傾いていくあたり、現在の中東情勢を眺めるにも似た、難しさを感じる。
自由のための戦いにしろ、聖戦にしろ、平和であることと善をなすことは必ずしも(いや、むしろ)両立しないのかもしれませんね。